八幡系 (7) 執念の彫り2010年09月16日 23時36分47秒

東近江市綺田の鍾馗さん
(東近江市綺田)

この鍾馗さんも典型的な八幡系の優品。
棟端瓦と完全に一体化しています。

この鍾馗さん、細部へのこだわりがすごい。
東近江市綺田の鍾馗さん右手
右手部の拡大
鍾馗さんらしくない、細くて筋張った指の質感は
一般的な瓦鍾馗さんとは別次元。
波打つ袖と衣服の装飾も深く鋭く彫り込まれています。

東近江市綺田の鍾馗さん左手
こちらは左手、左足。
執念を感じます。

残念ながら、銘は確認できませんでした。


この鍾馗さんのある綺田は、「びわ湖空港」建設予定地すぐ近くの
静かな集落です。
空港計画は白紙撤回のようで、余所者の勝手な感想ですが、
完成のあかつきにはこの静かな集落と鍾馗さんがどうなっていたかと思うと
ほっとしています。

はっきり言って交通の便はめちゃ悪いところ。
こんなところに空港作ったところで、
滋賀県の人だってあまり使わないでしょ。

八幡系 (6) 直系優品 安土町西老蘇2010年09月14日 23時46分07秒


安土町西老蘇 八幡系鍾馗さん
近江八幡市(旧安土町)西老蘇

昨年暮れに発見した、八幡系の最高峰ともいえる鍾馗さん。
中山道武佐宿のすこし東、街道沿いの旧家の屋根でお寺を睨んでいます。

かわらミュージアムの元祖八幡系と非常に近い様式を保っています。
これでもかとばかりに装飾を施し、飾り立てた姿は勇ましく華やか。
歌舞伎役者のようです。

画面右下部分には銘が入っています。
「光定」 「清輔」 (輔の字はこの写真では見えません)

どんな人かはわかりませんが、寺本仁兵衛の直系なのは
間違いないでしょう。

この旧家には、反対側にも八幡系の特徴を示す謎の人物像。
安土町西老蘇 鍾馗の裏の謎の人物像
鍾馗ではなく、仙人みたいな雰囲気ですが由来は不明。
類似の人物像を滋賀県内で他に2体見つけています。

しばらく、八幡系鍾馗さんの数々を紹介していきます。

八幡系 (5) 八幡系鍾馗の拡がり2010年09月11日 23時45分40秒

かわらミュージアム所蔵の2体の鍾馗さんが
八幡系鍾馗の源流であろうとは、前に述べたとおりですが、
それでは八幡系鍾馗はどこにどれくらいあるのでしょうか?

これまでに八幡系と思われる鍾馗さんを100体強、見つけていて
京都でショーケースに収まっている1体以外を除き、すべて滋賀県内のものです。

八幡系分布図

特に優れた鍾馗さんを赤、および黄色の★で示してあります。
緑の★はほとんどが、八幡系の特徴を備えた普及品(型もの)です。

この分布図から、近江八幡に始まった八幡系が、
技巧を凝らした一点ものから、型ものの普及品の登場で
県内各地に拡がっていった様子がうかがえます。

八幡系 (4) 様式の継承と作家意識2010年09月09日 23時52分06秒

かわらミュージアムでは、他にも面白いものを見つけました。

かわらミュージアム「棟鬼」
鍾馗さんではありませんが、寺本仁兵衛の作。
技巧を凝らしています。

そしてこちらは野洲市で発見した、八幡系鍾馗の優品
野洲市木部の鍾馗さん
(野洲市木部)

顔の表情など、驚くほどそっくりです。

この鍾馗さん、側面に銘が入っています。
野洲市木部の鍾馗さん(側面)
◇北村 瓦屋 平右ヱ門  と読めます。
残念ながら作成年代はわかりませんが、寺本仁兵衛とは別人です。

寺本家が八幡瓦製造の中心だったとすると、こちらはその系譜に属する、
弟子のような人だったのでしょうか。
この鍾馗さんも技術は非常に高く、本家の技術が継承されています。


通常、鍾馗さんに銘が入っていること自体がごくまれで
ほとんどの作者は「作品」を作っているという意識はなかったと思いますが、
八幡系鍾馗の作者はある程度、作家意識があったものと推測できます。

「銘を入れる」 
このことが、八幡系鍾馗が他の鍾馗さんとは一線を画する存在だった
ひとつの証しだと思います。

八幡系(3) 起源2010年09月08日 23時30分36秒

近江八幡市のかわらミュージアムに、2体の巨大な鍾馗さんが展示されています。

八幡系ルーツ(かわらミュージアム収蔵)

八幡系ルーツ(かわらミュージアム収蔵)

この2体には銘が刻まれていて製作者と制作年代が明らかになっており、
文政11年(1828) 寺本仁兵衛五代目 兼武 とその弟 西堀栄三郎 の作。

八幡系のみならず、瓦鍾馗の中では、制作年代がわかっている最古の作品です。

また、この鍾馗さんは古いだけでなく、大きさやその技術の高さで、
後の鍾馗さんがとても及ばない水準に達しています。

金箔まで押した豪華な姿ですし、民家の屋根に乗せるには大きすぎるため、
勝手な推測ですが、注文に合わせて製作・販売しようとしたというよりは、
現在まで良好な保存状態で残されたことも考え合わせると、
腕試しとか、展示用とか、特別に作られたもののように思えます。


「寺本仁兵衛」は近江八幡で永らく瓦製造を営む寺本家の当主の代々の名乗りです。
かわらミュージアムのホームページによれば、寺本家はもともと京都深草で瓦屋を
営んでいたが、17世紀末ごろ八幡に移住してきて、寺院建築などに携わったそうです。
八幡で百年以上続いた家系が、この鍾馗さんを産みだしたのですね。


昨日、八幡系の五つの特徴を提示しましたが、この二体もすべて当てはまります。
1)棟端鬼瓦と一体で成形・焼成
2)棟巴瓦をまたぐように両足を広げて踏ん張っている。
3)細長い顔に、彫りが深くバタ臭い目鼻立ち。
4)七宝などの装飾文様を衣服に散らす。
5)袖や裾には装飾の細いストライプが入る。

これより古い鍾馗さんが失われたり、未発見だったりという可能性は残されていますが
この二体を八幡系鍾馗さんの源流としたいと思います。

参考:かわらミュージアム  http://www.80000.jp/kawaramuseum/

八幡系(2) 特徴2010年09月07日 23時54分19秒

八幡系鍾馗さんには以下のような特徴が見られます。

1)棟端鬼瓦と一体で焼成
2)棟巴瓦をまたぐように両足を広げて踏ん張っている。
3)細長い顔に、彫りが深くバタ臭い目鼻立ち。
4)七宝などの装飾文様を衣服に散らす。
5)袖や裾には装飾の細いストライプが入る。


上記から二つ以上の条件を満たし、
「雰囲気があれば」八幡系と認定します(勝手に)
安土町西老蘇の鍾馗さん
(安土町(現近江八幡市)西老蘇)

これなんかは1)~5)すべての条件を満たす、典型的「八幡系」ですね。


日野町別所の鍾馗さん
(日野町別所)

こちらはだいぶ単純化されていますが、
特徴 3)、5)を備えているので、ぎりぎりで八幡系認定
末裔という言葉が似合う存在。


栗東市手原の鍾馗さん
(栗東市手原)

一方、こちらも上のによく似ていますが、
特徴 3) のみのため、八幡系認定申請却下。


八幡系(1) イントロ2010年09月06日 23時58分25秒

このブログでも繰り返し記事にしていますが、
滋賀県近江八幡市、東近江市を中心とした一帯で、
非常に特徴のある鍾馗さんをしばしば目にします。

勝手に『八幡系』と命名していますが、
近江八幡のかわらミュージアムに収蔵されている、
2体の巨大な鍾馗さんを代表作とする近江八幡の瓦屋、
寺本仁兵衛をルーツとしていることからのネーミングです。

しばらくこの『八幡系』鍾馗さんにまつわる話題を取り上げていこうと思っています。

初回の今日は、滋賀県各地で見つかる八幡系の中でも
特に優れた4体の『大首絵』をご紹介します。

八幡系代表作:安土町西老蘇
(安土町(現近江八幡市)西老蘇)

八幡系代表作2:東近江市綺田
(東近江市綺田)

八幡系代表作1:野洲市木部
(野洲市木部)

八幡系代表作4:東近江市五個荘塚本町
(東近江市五個荘塚本町)

『大首絵』なんて言葉を使いましたが、歌舞伎役者が見得を切るような
派手で大げさな表情が『八幡系』の特徴でもあります。

近江系改め「八幡系」優品2009年12月31日 20時40分50秒

東近江市蛇溝町の鍾馗さん
29日の探訪では、滋賀県に特徴的なタイプの鍾馗さんが
いくつも見つかりました。
上もそのひとつ。
これらの鍾馗さんの特徴として、
大棟端の瓦と一体になって、棟をまたぐようにして足を開き
安定感のあるポーズを取っています。
また、顔は瓜実顔で眼が大きいため、歌舞伎役者が見得を切っているようです。
衣服には七宝や亀甲などの伝統文様が多用されています。
以上から、非常に技巧的で華やかな印象を受けます。
これまで『近江系』と呼んでいましたが、近江では範囲が広すぎるので
八幡系』と呼ぶことにします。

近江八幡のかわらミュージアムに八幡瓦の始祖、寺本仁兵衛作とされる
非常に立派な鍾馗さんが収蔵されており、
これらの鍾馗さんの原型になっていると思われます。

安土町西老蘇の鍾馗さん
こちらは安土町で見つけた『八幡系』の優品。
徹底的に細部にこだわった作りに圧倒されます。

安土町西老蘇の鍾馗さん
こちらもすぐ近くで見つけた『八幡系』。
こちらも並みの鍾馗さんとはまったく違う高い技術を感じますが、
上に比べると多少簡略化されています。

近江八幡、八日市を中心とした地域には
このあたりをピラミッドの頂点として、流れを受けたと思われる鍾馗さんが
あちこちで見られます。