2011/11/5・6 安曇野ほか その10 安曇野市田沢他2011年12月07日 22時37分08秒

長かった安曇野ツアーの記録も最終回です。

国道19号を南下し明科市街地に戻ったところで、naoさんとおとんさんが同時に発見。
「ありました~」

安曇野市明科東川手の鍾馗さん

今回発見の鍾馗さんたちとは毛色の異なる、バランスの良い関西風テイストの鍾馗さんです。

次は田沢駅付近で2個所3体。

安曇野市豊科田沢の鍾馗さん

この鍾馗さんはすごいですね。
人間離れしています。
何を参考にするとこんな姿ができあがるのでしょうか。

安曇野市豊科田沢の鍾馗さん

安曇野市豊科田沢の鍾馗さん

この2体は駅前の大きな家の納屋に対であがっています。

この頃から本降りとなり、写真撮影は困難になってきました。
おとんさんに運転をお任せして車中からきょろきょろしていましたが
なかなか鍾馗さんは見つかりません。

おとんさんのご案内で、
松本の南に位置する山形村にある鏝絵の鍾馗さんを見に行きました。
(発見の経緯はこちら

鍾馗さんの鏝絵のある豪邸

鏝絵のあるのはご覧のようなお屋敷。
右は切れていますが、まだまだ塀が続いています。


山形村の鏝絵の鍾馗さん

この鍾馗さん、非常にしっかりとした造形です。
きちんとした鍾馗の絵画などをお手本に作られているようで、
信州の瓦鍾馗さんとは別の系列だと感じます。

鏝絵師さんの描いた鍾馗図をネットで見つけました。
ちょっとポーズが似ている気もするが、偶然の一致でしょうか。



最後、戻り道の旧三郷村(現安曇野市)で今ツアー最後の鍾馗さんを撮影。
これは小さな鍾馗さんでした。
薄手の鏝絵風ですが、上の本格派とは全然違う素朴なもの。

安曇野市三郷明盛の鍾馗さん

雨のため、いくつかの鍾馗さんを積み残しましたが、もうお腹いっぱいです。

だらだらと長い探訪記へのお付き合い、ありがとうございました。

その後もさんろくさんとnaoさんは精力的に探索を続け、
続々と新発見の鍾馗さんが報告されています。

春になったら第三回、またお願いしてみよう。


2011/11/5・6 安曇野ほか その9 安曇野市明科南陸郷2011年12月07日 00時01分07秒

国道19号を引き返し、安曇野市(旧明科町)に入ったところにある
ちいさな集落、南陸郷小泉で2体と中村で6体を見ました。

昨日更新されたところのさんろくさんのブログ『安曇野ハーブスクエアだより』に
さんろくさんとnaoさんの発見時の経緯が掲載されましたのでご覧ください。

我々は何も苦労なく、案内していただいた鍾馗さんを「ほほぉ~」といって感心しているだけの大名旅行です。

(小泉の2体)
安曇野市明科南陸郷の鍾馗さん

安曇野市明科南陸郷の鍾馗さん

(南陸郷の6体)
安曇野市明科南陸郷の鍾馗さん

安曇野市明科南陸郷の鍾馗さん

安曇野市明科南陸郷の鍾馗さん

安曇野市明科南陸郷の鍾馗さん

これらの鍾馗さんは屋根瓦に比べて古色があり、建て替え(or瓦の葺き替え)の際に破棄されることなく、古い鍾馗さんが残されたのだと思われます。
信州ではこうして大事にされている、運の強い鍾馗さんをあちこちで見かけます。
3つめのお宅では、前の家の鬼瓦も保存されていました。

縁起物として、古い鍾馗さんは破棄するならわしだったことを割り引いても、
関西でどんどん古い鍾馗さんが失われていく一方で、あまり好きな言葉ではないのですが、「県民性」の違いを感じますね。


安曇野市明科南陸郷の鍾馗さん

安曇野市明科南陸郷の鍾馗さん

この2体は同じお宅ですが、下の写真のように置かれています。

安曇野市明科南陸郷の鍾馗さん

安曇野市明科南陸郷の鍾馗さん

路傍の道祖神みたいですが、家の人の話では、家を建て替えたときに
破棄してしまうのもなんなので下ろして庭先に置いておいたが、
雨ざらしもかわいそうなので、屋根をつけてあげたそうです。

長野の人は優しいなぁ。


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「みちくさ学会」第20回記事がたぶん今日、掲載されます(^^;
今回は当ブログでも現在連載中の信州がテーマです。
よろしければお寄りください。

2011/11/5・6 安曇野ほか その8 大町市八坂2011年12月05日 23時29分59秒

安曇野ツアー二日目は小雨の中。
さんろくさんは仕事の都合で不参加ですが、naoさんがあらかじめさんろくさんと
下見までして、今日の本番に備えていてくれたので、道案内は完璧。
おとんさん、naoさんと三人で出発。


はじめは有明の赤沼家です。訪問時は『安曇野スタイル』というイベント開催中で
普段なら入れない豪邸の中に入れてもらって鍾馗さん撮影。
写真は母屋ですが、他にも建物があって広いこと広いこと。
赤沼家
(1階小屋根の左端に1体います。もう一体は右側でフレーム外)

穂高有明の鍾馗さん

穂高有明の鍾馗さん

四賀五常の鍾馗さんと兄弟ですね。

その後、明科経由、国道19号線を北上したのですが、
途中の東川手でnaoさんがひと声 「ありました~」
さすが視力2.0。

明科東川手の鍾馗さん

この鍾馗さん、兄弟はたくさん見つかっています。
全員顔が違いますが、兄弟であることは明らかで、人間のようです。
そんな兄弟、身の回りにもいますよね。


19号を長野方面に北上したところ、行政区画では大町市になる小集落に
さんろくさんが3体の鍾馗さんを見つけています。
うち1体は1mはあろうかという巨大鍾馗さん。

メガ鍾馗さんの棲家

遠景はこんな感じ。豪邸なのですが、煙出しに置かれた鍾馗さんが目立っています。

大町市八坂の鍾馗さん

私の知る限りでは日本で2番目に大きい。 (1番はこちら
表情は憂いを含んで優しげです。

同じお宅の軒には標準サイズの鍾馗さんも。
大町市八坂の鍾馗さん


さらにすぐ近くの家の棟にも。
大町市八坂の鍾馗さん

いずれもいっぴん物で、どことなく共通の雰囲気を持っていますが、
おそらくはそれぞれ別の人の手になるものです。

本当に小さな山あいの集落ですが、これだけ見事な鍾馗さんが揃っているとは
信州恐るべしです。

2011/11/5・6 安曇野ほか その7 四賀五常2011年12月02日 23時35分58秒

会田宿の次は少し西へ向った五常へ。
現在は松本市になっていますが、ここも会田と同じく旧四賀村です。
正直言って今回、さんろくさんが鍾馗を発見されるまで、私は「四賀村」という町があることすら知りませんでした。

五常地区も山あいを走る県道302号線に沿って民家が点在する、
知らずに通りがかればノーマークで過ぎてしまいそうな目立たないところですが、
さんろくさんは以下の通り、魅力的な鍾馗さんをいくつも発見しています。

(以下、いずれも松本市五常)
松本市五常の鍾馗さん

松本市五常の鍾馗さん

松本市五常の鍾馗さん
この二体は明らかに兄弟。会田宿にももう一人兄弟がいましたね。

松本市五常の鍾馗さん
上下の二体は同じ家の両端。もちろんこちらも兄弟です。
松本市五常の鍾馗さん

松本市五常の鍾馗さん
この鍾馗さんも兄弟と思われます。

松本市五常の鍾馗さん
鬼を踏みつけ、豪快なポーズですが、写真が・・・


五常からさらに302号線を西に下っていくと明科に出ます。
ここでもう二軒案内いただいたのですが、かなり日が傾いてきた上に
とうとう雨が本降りに。

安曇野市明科東川手の鍾馗さん
(安曇野市明科東川手)

さすがに撮影の限界を超えましたので、本日はここまで。
いずれ撮り直しに赴きましょう。

宿に入り、楽しい鍾馗談議で夜更かししました。

2011/11/5・6 安曇野ほか その6 会田宿2011年11月24日 23時12分45秒

つづいての訪問地は善光寺西街道・会田宿

善光寺西街道は中山道・洗馬と北国街道・信濃追分を結ぶ脇往還。
江戸時代は東海、関西方面から善光寺を詣でる人たちで賑わったと思われます。

会田宿もその宿場のひとつです。宿場町はかなりの急坂沿いに伸びており、
その先の立峠につながっていきます。
今回訪ねてみて、街道全体がずいぶん険しい道であることを実感しました。

立峠の他にも険しい峠がいくつか控えており、長距離のウォーキングに多少は自信のある管理人もちょっと勘弁して欲しい行程です。

松本から長野へ向うのであれば、現在の国道19号線、犀川沿いを下ったほうが
多少距離は長くても、はるかに平坦だと思います。
当時は川沿いに道を通すことができなかったのでしょうか?
それとも多少の峠道が気にならないほど、江戸時代の人は健脚だったのでしょうか?

それにしてもやはり難儀な道には違いなかったようで、
明治に入って犀川沿いの道路が整備されると
善光寺西街道沿いの宿場は急速に寂れたようです。


会田宿の鍾馗さんたち。いずれも手びねりです。

会田宿の鍾馗さん1
家の方が脚立を出してきてくれた。

会田宿の鍾馗さん2
軒下・曇天と悪条件で・・・

会田宿の鍾馗さん3
土人形のような素朴な風情

会田宿の鍾馗さん3
隣の五常にはこの鍾馗さんの兄弟が二人。鬼の首を持っている。

会田宿の鍾馗さん5
サーファー鍾馗さん(さんろくさん命名)

いずれもさんろくさんの発見。


2011/11/5・6 安曇野ほか その5 西条、乱橋、四賀中川、取出2011年11月23日 23時39分10秒

麻績宿から善光寺西街道を南下します。

筑北村西条
西条の鍾馗さん

ちょっとシンプル過ぎでしょうか。鍾馗だと見ればそう見えてきますが。


筑北村乱橋大門
乱橋大門の鍾馗さん

かなり峠に近い山里。こんなところにも鍾馗さんがいることに感嘆します

風越峠を越えて、松本市(旧四賀村)に入ります。

松本市中川
松本市中川の鍾馗さん

道路からはかなり遠く離れたお宅。
下見のときに車中からnaoさんが見つけたそうですが、
これは普通見つからないと思います。さすがは視力2.0。
動体視力も高いんでしょうね。

松本市中川の鍾馗さん

ここも背景は紅葉。
余談ですが、このお宅のように、大棟の装飾を兼ねて丸瓦を互い違いに重ねる
葺き方、特に隙間を残して向こう側が見えるように葺かれた屋根が大好きです。
松本平ほか信州ではごく普通に見られますが、東海・近畿ではほとんど見られません。


松本市中川
松本市取出の鍾馗さん

こちらのお宅は大棟にも量産型が1体。

松本市中川の鍾馗さん


松本市取出
松本市取出の鍾馗さん

これとよく似たタイプは今回のツアー中、あちこちで目にしました。
ただし手作りのようでまったく同じ鍾馗さんはなく、それぞれが個性を主張しています。

2011/11/5・6 安曇野ほか その4 麻績宿2011年11月22日 22時39分21秒

初日の午後は須坂から引き返して、麻績村へ。

善光寺西街道の宿場として栄えた歴史を持ち、
現在でも街道集落の風情を残しています。

詳しくはさんろくさんの紹介を。

街道沿いのお宅にまず1体。
麻績宿の鍾馗さん

細身のバイオリニストといった風情。

屋根瓦は葺き替えられて新しくなっていますが、鍾馗さんは残された。
信州ではこのパターンが多くて、果報者の鍾馗さんにほっこりします。

麻績宿の鍾馗さん

反対から見るとやや凶相。寄らば切るぞ。


麻績宿の鍾馗さん

宿場の外れに近いところでもう1体。
これまた素朴な細工が好ましい、信州らしい鍾馗さんです。
右手に花を持っているみたいに見えますが、これは刀の鍔(つば)。

こちらのお宅の瓦は良く見ると表面の肌理が荒い。
よくわかりませんが、ひょっとしてコンクリ瓦?

麻績宿の鍾馗さんと紅葉

撮影しているときは鍾馗さんに夢中になっているのですが、
背景には色づいた里山。これも信州ならではですね。


麻績宿の恵比寿さん

麻績宿ではこんなのも。
この家も飾り瓦を残してくれました。
ただ、この恵比寿さまは微妙だな。

2011/11/5・6 安曇野ほか その3 須坂2011年11月21日 22時47分56秒

お出かけばかりしていて、ブログがほったらかし。
気を取り直して安曇野探訪記を再開します。

長野県須坂市は蔵の町として有名ですが、屋根瓦も凝ったものが数多く残り、
須坂市立博物館が平成12年に開催した企画展「須坂の甍」の図録には
さまざまな鬼瓦や飾り瓦に交じって、二体の鍾馗さんが掲載されています。

さんろくさんはこの情報をもとに、現在でもこの鍾馗さんが保存されていることを
突き止め、我々の訪問の段取りまでつけてくださいました。

安曇野からはずいぶん遠いですが、今回のツアーの始まりは
外からは見ることのできない、収蔵鍾馗さん訪問からスタートです。

1体目は小河原新田町のAさん宅。
図録では屋根にのっています。

図録より
(「須坂の甍」より転載)

ところが、家の建て替えの際に降ろされて、
現在では玄関の土間に置かれていました。

須坂市小河原新田町の鍾馗さん

ひびが入っているので動かすに動かせないそうですが、
大事にされていました。
信州に多い素朴な鍾馗さんとは完全に一線を画して、
均整が取れた高い技術を感じる鍾馗さんです。

うっかり聞き忘れましたが、さんろくさんはどうやって探し当てたのでしょう?


つづいて二体目は市街地中心部・穀町のMさん宅。

腰から下が欠損していますが、それでも50cmくらいある堂々たる鍾馗さんです。
蔵に収蔵してあるのを出してきていただきました。

須坂市須坂の鍾馗さん
(立派な鍾馗さんを前に色めき立つツアーメンバー)

現在も瓦関係の商売をやっておられますが、
先代までは瓦製造も手がけておられたそうで、
さんろくさんの聞き込みによれば、M家に招かれた三州の鬼師、
神谷喜三郎の作品ではないかとのこと。

須坂市須坂の鍾馗さん・彩色の痕跡

剣はぶっとい金属製。耐久性を考えると正解ですが手がこんでいます。

また、細部には、茶、緑、黄の彩色の痕跡が残ります。
いったいどんなに華やかな鍾馗さんだったのでしょうね。

他にもこちらには様々な瓦が保存されており、Mさんはわざわざ事情に詳しい
親戚の方にも声をかけていただき、貴重なお話を伺うことができました。


さらに、近くの神林家、今井家(蝶の民族館)を訪問しましたが、
先の予定もあって駆け足となり、先方にはちょっと申し訳ないことをしました。


Aさん宅でもMさん宅でも物好きの訪問に対し、
嫌な顔もどころか逆にご親切におもてなしまでいただきました。
須坂の人の親切さに触れ、いきなり暖かい気持ちになったところで午前の部は終了。慌しく須坂を離れましたが、またゆっくりと訪問したいところです。

2011/11/5・6 安曇野ほか その22011年11月09日 22時27分03秒

今回のツアーで目にした鍾馗さんを勢ぞろいさせました。
類似の鍾馗さんが複数ある場合はひとつにまとめています。

記録した鍾馗さん勢ぞろい

わずか二日の成果。
もうおなか一杯という感じ、お分かりいただけるのではないでしょうか。

全部で50体を記録して、とりあえず分類してみたところ、30種に分類できました。
他地域に比べて量産品が少なく、型物も少ないためご覧の通りの賑やかさです。

鍾馗記録の変化1月→11月

中信地方の鍾馗さん分布図です。
左は2011年1月時点、右が現在です。
わずかに点在するだけだったものが、松本盆地では非常に賑やかになりました。
特筆すべきは長野自動車道沿いの地域で、松本から長野にかけて、
ほぼ分布が連続してきたこと。
ここは善光寺西街道と呼ばれる松本方面から善光寺への参詣道として
賑わった旧街道沿いの地域です。

これまで、長野市南方の丹波島宿だけにまとまって鍾馗さんが見られることが
謎でしたが、こうして見ると南から街道沿いに伝わっていった様子が
強く想像できるようになってきました。

ひとえにさんろくさん+naoさんが地道に調査されてきた成果で、
ここまでの成果は「安曇野ハーブスクエアだより」にまとめられています。


歴史的、文化的な掘り下げは、引き続きさんろくさんが
深めていっていただけると思いますのでそちらはお任せして、
私は私らしく、鍾馗さんウォッチャーに徹して、
今回目にした鍾馗さんを少しづつ紹介していきたいと思います。


2011/4/2・3 安曇野 その22011年04月13日 23時21分52秒

翌日曜日はおとんさんと二人で、車から安曇野鍾馗探索。
前日の"まき"さんの道案内でほんのちょっとだけできた土地勘と
地図を頼りにうろうろしました。

朝のうち、曇って冷え込んでいたものの、すぐに晴れてきてアルプスの山々が
姿を現し、ドライブする気分も晴れやかです。
遠くには厳しくも美しい山、近くには屋敷林を備えた
暖かみのある集落を抱く田園風景。
安曇野に移り住まわれた"まき"さんの気持ち、すごくよくわかるなぁ。

豊科からの北アルプス

半日の探訪で、3か所 5体の鍾馗さんを発見しました。
いずれも手作りの珍しいものでした。

まだまだ腰を据えて探せばたくさん見つかりそうで、
今後の"まき"さんの成果に期待です。

安曇野市穂高白金の鍾馗さん

穂高白金で見つけたこの鍾馗さんについては、
家の人に話しを聞くことができました。
ま新しい蔵に載っていますが、鍾馗さん自体は古く明治28年のものだそうで、
百才を軽く過ぎています。

蔵の建て替えの際、立派なものだったのでそのまま残したそうです。
鍾馗さんとバランスを取るために、背後の棟瓦も予定していたものより
大きなものを使わなくてはならなくなり、予定外の出費になったと
笑っておられました。

こうしてさりげなく古いものを大切にする安曇野の人たちの心根に触れ、
この地に息づく鍾馗さんは幸せ者だと感じながら
再訪を誓って安曇野を後にしました。