謎の模様-三重県伊賀市2010年09月01日 23時52分10秒

上野を中心とする、三重県伊賀市はこのブログでも何度も取り上げていますが
珍しい鍾馗さんがあちこちで見つかる、鍾馗探訪には最高!の町です。

伊賀市で見つかる鍾馗さんのうち、かなりの割合で今日紹介する共通の文様が
見られ、何か意味があると思うのですがよくわかりません。

ご存知の方がいらっしゃればぜひ教えてください。

伊賀市東條の鍾馗さん
0579】(伊賀市東條)

胸のところに釣り針状の三本線が入っています。
この鍾馗さんの場合は下向きに三本。

伊賀市上野相生町の鍾馗さん
0585】(伊賀市上野相生町)

この鍾馗さんの場合は上向きなので、草みたいです。

伊賀市上野向島町の鍾馗さん
0844】(伊賀市上野向島町)

下向き、5本線。

伊賀市上野忍町の鍾馗さん
0554】(伊賀市上野忍町)

下向き、2本線?

伊賀市上野愛宕町の鍾馗さん
1122】(伊賀市上野愛宕町)

下向き、4本線


ご覧のとおり、見た目は全然違う鍾馗さんたちの
胸の模様だけが共通で、これまで模様を確認したのは15体ですが、
うち14体が伊賀市内で見つかっており、他の地域では見つからないというのも
謎めいています。
残りの1体は隣町、滋賀県甲賀市)


ひょっとして伊賀忍者の符牒か何か? まさかね。

伊賀上野に逗留2010年09月02日 23時39分13秒

ひょんなことで伊賀上野の鍾馗さんを紹介して、
まだまだ紹介したい鍾馗さんがたくさん残っていることに気が付いたので
もう少しこの町に滞在することにしましょう。

伊賀市上野東日南町の鍾馗さん
【0556】(伊賀市上野東日南町)

がっしりした鍾馗さんが多い伊賀市では異色のひ弱な鍾馗さん。
なんとも頼りない手足で、鬼から護ってくれるのかかなり心もとない気がします。
同様の頼りない鍾馗さんはこちらにも。
 【0724】伊賀市上野池町


上野城の南側に広がる旧市街では、あちらこちらで鍾馗さんを目にします。
そして希少性の高い、伊賀上野独特の鍾馗さんが多いのもここならでは。
街並みを散歩しがてら、鍾馗さんを探すには最適の小さな町です。

伊賀上野中心部の分布図
●が鍾馗さんの位置

浦島太郎風 二題2010年09月03日 23時48分02秒

まだ伊賀市にいます。

郊外の集落で見つけた鍾馗さんですが、
何度見ても腰蓑が浦島太郎に思えます。

伊賀市西明寺の鍾馗さん
【1015】(伊賀市西明寺)

同じく伊賀市内でこんなのも。
伊賀市柏野の鍾馗さん
【0254】(伊賀市柏野)

こちらも腰蓑です。
今は針金を持っていますが、両手に何かを通すように作られていて
もともとは釣竿でも持っていたのかも?


仲良く並んだ鍾馗さん2010年09月04日 23時59分54秒

伊賀市の最終回です。

本宅「鍾馗博物館」の収蔵室では分類を主眼においているので、
写真のように並んでいる鍾馗さんも泣き別れになっています。
右が【0578】、左が【0579】ですが、
実際はこのようにくっついて置かれています。

伊賀市上野西大手町の鍾馗さん
(伊賀市上野西大手町)

同じ鍾馗さんが複数置かれている家は珍しくないのですが、
こうして全然違う鍾馗さん、それもどちらもレア物というのは
結構珍しい例です。

左の鍾馗さんは右手が欠損していますが、
兄弟のような下の鍾馗さんから想像すると、
やはり右手は水平に大きく手のひらを開いて、
「あいや、待たれい!!」とやっていたのでしょうね。

伊賀市東條の鍾馗さん
(伊賀市東條)

2010/9/4 琵琶湖東岸 大津~長浜2010年09月05日 21時36分15秒

お暑い日が続きます。
この週末は地味に地元で徒歩探索を予定していました。

ところが、金曜日の予報では地元の最高気温はなんと38℃!
30℃そこそこであれば決行を心に決めていたのですが、
9月に入ってこの気温・・・
かなり気持ちが萎れかけていたところに、
帰省中の娘が、暇だから付き合ってもいいとのご託宣(^^;

急遽予定を変更して、滋賀県に行くことにしました。
同伴者の機嫌を損ねないためにも、多少は観光の要素も取り入れて
行きそびれていた、点在する集落を拾い歩くことに。

これで涼しければ文句なしの快晴の空の下、
大津市瀬田付近から探訪をスタートして、琵琶湖東岸沿いを北上していきます。

大津市で1か所、草津市で2か所、守山市で4か所を探訪した後、
本日のメインディッシュ、近江八幡市の沖島へ。

ご存じない方も多いと思いますが、沖島には
400人ほどが住んでいて、淡水湖に浮かぶ有人島というのは
世界的にも珍しいんだそうです。
地図を見てみると、家が密集する小さな集落に寺院が二つあります。
これは行くしかない!と以前から思っていたのですが、
不審者扱いされにくい同伴者ありのこの機会に行ってみることにしました。

沖といっても近江八幡市の堀切港からはすぐそこに見えており、
なかなか立派な渡船に乗ればわずか10分で到着。
およそ観光資源といったものがなさそうな島ですが、
船には観光とおぼしき人が20人くらい。
私も同じ穴のむじなですが、みんな何をしにいくんだろう??

港に着くと乗客はあっという間に散っていき、
港と言っても商店ひとつ眼に入りません。
我々も目の前の集落に分け入って行くことに。

近江八幡市沖島 街並みを見おろす
集落裏手の村社からの俯瞰

街並みは完全に漁村のそれで、海のない滋賀県にいるとは思えません。
建物は軒を接して密集し、道は細く曲がり、
どこまでが道でどこからが個人の敷地かも定かでなく、
部外者は地図だけが頼りの迷宮です。
近江八幡市沖島 メインストリート
沖島の目抜き通り!? 空が狭い。

それでもお寺の前の家に1体、鍾馗さんを発見。
ありふれたタイプでしたが、満足満足。

その後も島内を歩きましたが小さい島、
30分で一回りしてしまうともうやることがない。

次の船まで1時間、木陰のベンチで二人で読書タイム。
車のない島の昼下がり、といえば優雅に聞こえますが、
日なたに一歩でればそこは灼熱地獄(^^;


その後はこんなところ
ひこにゃん

にも立ち寄ったりしながら、
米原、長浜市内の数か所を訪ねましたが収穫はありませんでした。
やはり彦根以北には鍾馗文化は伝播していないですね。

本日の収穫、守山市内で八幡系の初見鍾馗さん1体。
守山市守山の鍾馗さん
残念ながら強烈な逆光。
肉眼では真っ黒にしか見えないのを何とかこんな感じで撮影しましたが、
これはまた曇りの日にいかないといけないなぁ。

八幡系(1) イントロ2010年09月06日 23時58分25秒

このブログでも繰り返し記事にしていますが、
滋賀県近江八幡市、東近江市を中心とした一帯で、
非常に特徴のある鍾馗さんをしばしば目にします。

勝手に『八幡系』と命名していますが、
近江八幡のかわらミュージアムに収蔵されている、
2体の巨大な鍾馗さんを代表作とする近江八幡の瓦屋、
寺本仁兵衛をルーツとしていることからのネーミングです。

しばらくこの『八幡系』鍾馗さんにまつわる話題を取り上げていこうと思っています。

初回の今日は、滋賀県各地で見つかる八幡系の中でも
特に優れた4体の『大首絵』をご紹介します。

八幡系代表作:安土町西老蘇
(安土町(現近江八幡市)西老蘇)

八幡系代表作2:東近江市綺田
(東近江市綺田)

八幡系代表作1:野洲市木部
(野洲市木部)

八幡系代表作4:東近江市五個荘塚本町
(東近江市五個荘塚本町)

『大首絵』なんて言葉を使いましたが、歌舞伎役者が見得を切るような
派手で大げさな表情が『八幡系』の特徴でもあります。

八幡系(2) 特徴2010年09月07日 23時54分19秒

八幡系鍾馗さんには以下のような特徴が見られます。

1)棟端鬼瓦と一体で焼成
2)棟巴瓦をまたぐように両足を広げて踏ん張っている。
3)細長い顔に、彫りが深くバタ臭い目鼻立ち。
4)七宝などの装飾文様を衣服に散らす。
5)袖や裾には装飾の細いストライプが入る。


上記から二つ以上の条件を満たし、
「雰囲気があれば」八幡系と認定します(勝手に)
安土町西老蘇の鍾馗さん
(安土町(現近江八幡市)西老蘇)

これなんかは1)~5)すべての条件を満たす、典型的「八幡系」ですね。


日野町別所の鍾馗さん
(日野町別所)

こちらはだいぶ単純化されていますが、
特徴 3)、5)を備えているので、ぎりぎりで八幡系認定
末裔という言葉が似合う存在。


栗東市手原の鍾馗さん
(栗東市手原)

一方、こちらも上のによく似ていますが、
特徴 3) のみのため、八幡系認定申請却下。


八幡系(3) 起源2010年09月08日 23時30分36秒

近江八幡市のかわらミュージアムに、2体の巨大な鍾馗さんが展示されています。

八幡系ルーツ(かわらミュージアム収蔵)

八幡系ルーツ(かわらミュージアム収蔵)

この2体には銘が刻まれていて製作者と制作年代が明らかになっており、
文政11年(1828) 寺本仁兵衛五代目 兼武 とその弟 西堀栄三郎 の作。

八幡系のみならず、瓦鍾馗の中では、制作年代がわかっている最古の作品です。

また、この鍾馗さんは古いだけでなく、大きさやその技術の高さで、
後の鍾馗さんがとても及ばない水準に達しています。

金箔まで押した豪華な姿ですし、民家の屋根に乗せるには大きすぎるため、
勝手な推測ですが、注文に合わせて製作・販売しようとしたというよりは、
現在まで良好な保存状態で残されたことも考え合わせると、
腕試しとか、展示用とか、特別に作られたもののように思えます。


「寺本仁兵衛」は近江八幡で永らく瓦製造を営む寺本家の当主の代々の名乗りです。
かわらミュージアムのホームページによれば、寺本家はもともと京都深草で瓦屋を
営んでいたが、17世紀末ごろ八幡に移住してきて、寺院建築などに携わったそうです。
八幡で百年以上続いた家系が、この鍾馗さんを産みだしたのですね。


昨日、八幡系の五つの特徴を提示しましたが、この二体もすべて当てはまります。
1)棟端鬼瓦と一体で成形・焼成
2)棟巴瓦をまたぐように両足を広げて踏ん張っている。
3)細長い顔に、彫りが深くバタ臭い目鼻立ち。
4)七宝などの装飾文様を衣服に散らす。
5)袖や裾には装飾の細いストライプが入る。

これより古い鍾馗さんが失われたり、未発見だったりという可能性は残されていますが
この二体を八幡系鍾馗さんの源流としたいと思います。

参考:かわらミュージアム  http://www.80000.jp/kawaramuseum/

八幡系 (4) 様式の継承と作家意識2010年09月09日 23時52分06秒

かわらミュージアムでは、他にも面白いものを見つけました。

かわらミュージアム「棟鬼」
鍾馗さんではありませんが、寺本仁兵衛の作。
技巧を凝らしています。

そしてこちらは野洲市で発見した、八幡系鍾馗の優品
野洲市木部の鍾馗さん
(野洲市木部)

顔の表情など、驚くほどそっくりです。

この鍾馗さん、側面に銘が入っています。
野洲市木部の鍾馗さん(側面)
◇北村 瓦屋 平右ヱ門  と読めます。
残念ながら作成年代はわかりませんが、寺本仁兵衛とは別人です。

寺本家が八幡瓦製造の中心だったとすると、こちらはその系譜に属する、
弟子のような人だったのでしょうか。
この鍾馗さんも技術は非常に高く、本家の技術が継承されています。


通常、鍾馗さんに銘が入っていること自体がごくまれで
ほとんどの作者は「作品」を作っているという意識はなかったと思いますが、
八幡系鍾馗の作者はある程度、作家意識があったものと推測できます。

「銘を入れる」 
このことが、八幡系鍾馗が他の鍾馗さんとは一線を画する存在だった
ひとつの証しだと思います。

八幡系の対極 八幡脱力系2010年09月10日 23時33分04秒

八幡系はかっこいいけど、毎日フルコースでは飽きてしまう。
今日はちょっと息抜きで、近江八幡市内で見られる「ゆるい」鍾馗さんをご紹介します。

近江八幡市八木町の鍾馗さん
(近江八幡市八木町)【0527】

近江八幡市土田町の鍾馗さん
(近江八幡市土田町)【0527】

近江八幡加茂町の鍾馗さん
(近江八幡市加茂町)【0543】

素朴さ極まれり、といった3人組、
2~3本はいった波線がチャームポイントです。

八幡系が作られる立派な工房の隣では、零細な瓦屋さんが
八幡系と対極をなす、こんな怪しげな鍾馗さんを、
ひとつづつ手作りしていたのかも知れないですね。


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「みちくさ学会」第2回記事が掲載されました。
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