2011/4/24 奈良 橿原・桜井・天理2011年05月05日 23時09分40秒

記事化が遅れ、鍾馗さんについては既に博物館に掲載済なので、
ここでは途上で気づいた鍾馗以外のもろもろの瓦について紹介することにします。

まずはこちらの鬼瓦
橿原市醍醐町 養国寺山門の鬼瓦
(橿原市醍醐町 養国寺)

鍾馗さん#1281のすぐ横に位置します。

橿原市醍醐町 養国寺山門の鬼瓦 銘1

『明和七庚寅年 閏六月下旬』と読めます。
明和七年は1770年。平気で最古の鍾馗さんより古いな。
太陰暦なので閏月があります。

反対側の鬼瓦には作者の署名
橿原市醍醐町 養国寺山門の鬼瓦 銘2

橿原市醍醐町 養国寺山門の鬼瓦 銘3

『高市郡立位村 細工 大西』 でしょうか。
旧「高市郡」は現在の明日香村、高取町に加え、橿原市と大和高田市の一部を
含んでいましたが、「立位村」がどこになるのかはwwwの情報だけでは
わかりませんでした。


次は恵比寿さん。大和盆地は恵比寿・大黒が本当に多く、
ちょっと食傷しますが、この恵比寿さん、大棟から道端のブロック塀に引っ越して
よく目立っています。
桜井市大豆越 久米仙作の恵比寿
(桜井市大豆越)
桜井市大豆越 久米仙作の恵比寿
向かって左側に銘あり。

桜井市大豆越 久米仙作の恵比寿
あの久米仙でした。
しかも大泉 岡寅の刻印も。
やはり岡寅が瓦屋で、久米仙が鬼師なんでしょう。

久米仙、岡寅についてはおとんさん運営の掲示板に詳しいので
ご参照ください。


次も恵比寿さんです。
桜井市東田の恵比寿さん
(桜井市東田)

桜井市東田の恵比寿さん
ちょっと字が切れちゃいましたが、
「細工人 ヒラタ 大玉」 とあります。

大玉は鍾馗さんで3体見たことがあります。

しいて言えば、袴のような服と袖の翻り方が共通の作風かもしれません。

ヒラタという地名は、近在だと明日香村に平田という大字があります。(Mapion
平田には、瓦源という瓦屋がかつて存在していたようで、
こちらも上記、おとんさんの掲示板に記事があります。
興味のある方はご覧ください。


もうひとつ恵比寿さん。
橿原市醍醐町の恵比寿さん
(橿原市醍醐町)
細工としては前の二つに比べ今イチか。
橿原市醍醐町の恵比寿さん
刻印は不鮮明ですが、
『上田商店 大和大三輪大泉』 ではないでしょうか。
大三輪町は行政区画としては昭和30~38のわずかな期間存在していた町なので、
この恵比寿さんもこの時期のものと決めたいところですが
大神神社を「おおみわじんじゃ」と読むように、
「大三輪」という地名は古来からのもののようですので、この決め付けは難しそう。


小難しい銘談議はここまで。
以下は変わった瓦です。

小房町 京婦?
(橿原市小房町)

『京婦』でしょうか? 婦の字は変です。
いずれにせよ、意味がわかりません。


橿原市中町 三猿
(橿原市中町)

三猿といえば「見ざる、言わざる、聞かざる」が思い浮かびますが
この猿たちは盛装して桃や扇を持っています。
詳しくはわかりませんが、猿は山王神社の神の使いとされているそうです。
こちらのHPに詳しい)

この三猿があがるのは酢を醸造する会社でしたが、同じ建物には馬の飾り瓦も。
橿原市中町 馬

珍しいですね。


長くなりましたが、最後は見事な龍。
天理市小島町 龍
(天理市小島町)

2011/4/29 八幡系ツアー第一回2011年05月11日 23時44分22秒

GW初日、服部さん、おとんさんと一緒に近江八幡周辺を巡ってきました。
主目的は「八幡系」鍾馗さん。

既におとんさんが「鍾馗を探そう」で成果を公開しておられますので、
ここでは、おまけの情報を少し。

◆待ち合わせ場所の野洲駅に少し早くついてしまったので、
 駅から近い富波乙、富波甲の集落を少しぶらつくことにしました。
 朝鮮人街道が通る集落で、近江の街道集落の雰囲気をよく残したところです。

 2006年に一度歩いたことがあるので、既知の鍾馗さんを再確認しようと、
 軽い乗りで訪れたところ、新種を2体も発見してしまいました。
 
野洲市富波乙の鍾馗さん

野洲市富波乙の鍾馗さん
(野洲市富波乙 遍照寺前)

ひどい逆光。お寺の境内からは正面の全身像が写せそうでしたが、
門が閉まっていました。

野洲市富波甲の鍾馗さん
(野洲市富波乙 光徳寺前)
先回、このお寺にも行っているけど、この鍾馗さんのある角は
スルーしてしまっていた。


新発見がある一方で、見つけられなかった既知鍾馗さんも。

野洲市富波乙の鍾馗さん
(野洲市富波乙 光徳寺前 2006年撮影)

そんなに様子が変わってはないので、いるはずなんだけど・・・

同じところに行っても毎回新たな発見があるというのは、
再訪し甲斐がある一方で、如何に自分の眼があてにならないか、
の証明でもあるな。


近江八幡では、この鍾馗さんが見つからず。

近江八幡市船木町の鍾馗さん
(近江八幡市船木町 厳浄寺前 2006年撮影)

おりしも門前では古い家を解体中でした。
どうも、この家と運命を共にしてしまったようです。
ひと足遅かった・・・・

大津市和邇北浜の鍾馗さん

同じと思われる鍾馗さんを、琵琶湖対岸の大津市和邇北浜で
1体見つけていますが、残念ながら正面からの撮影ができない位置にあります。

2011/5/1 砺波平野、高岡他2011年05月12日 00時30分01秒

富山県西部をうろうろしてきました。

砺波平野の、屋敷林を備えた大きなお屋敷が緑の平野にぽつんぽつんと
点在する様子は、他では見られないこの地方独特の美しい景観です。

砺波平野の鳥瞰
(夢の平スキー場近くの散居村展望台からの砺波平野鳥瞰)

おりしもチューリップ祭開催中。当然混雑する会場付近は避けながら
福光、福野、中田など、いきあたりばったりに出くわす町場の軒先を
きょろきょろしながらのドライブです。

突風の吹く荒れ模様の天気で、青空がほとんど見えなかったのが惜しいですが
途中、こんなきれいな景色に出会うこともでき、満足しました。

南砺市 チューリップ畑
(南砺市長源寺付近)


このあたりの民家の瓦は金沢と共通で、
黒い釉薬ののった能登瓦が主流のようです。
飾り瓦は鯱のほかには恵比寿さんを数体見かけただけで、
もちろん鍾馗さんは気配もありませんでした。


高岡御車山祭

高岡御車山祭開催日にあたる高岡市内を、山車を見ながら少し散策した後は
さらに北上して氷見まで足を延ばしました。


金沢 眼を細めるわんこ
(金沢・東茶屋町近くで)
観光客の多いあたりなので人馴れしていて、
いろいろ構われてもまったく動じていませんでした。
ちなみに見えている腕は管理人のものではありません。

2011/5/9 伊那谷 飯田~宮田2011年05月15日 22時53分24秒

先日、安曇野ハーブスクエアのまきさんに鍾馗さんを案内いただき、
安曇野に多くの鍾馗さんが残されていることに瞠目しました。

いっぽう、愛知大学の高原隆さんの著書「鬼板師 日本の景観を創る人々」によれば、
江戸時代から、三河地方の鬼板師が信州方面に出稼ぎに行って鬼瓦を
焼いていたとか。

安曇野でこれだけの鍾馗さんが見つかるならば、
三河から信州へ向かう街道沿いの他の街にも、
彼ら三河職人の瓦鍾馗が残されているかもしれません。

三河から信州に向かうには、当時は足助、稲武を経由して
飯田に至り、伊那谷を塩尻へ抜ける三州街道がメインルート。
伊那谷は広すぎて、なんの手がかりもないことから、
まずは手始めに飯田から駒ヶ根にかけての南半分を
ざっと車で探索してみました。

といってもまったく土地勘はなく、街道沿いを中心に
地図でおおよそのあたりをつけた後は、
現地で街のたたずまいを見ながら出たとこ勝負の探索です。


この日の助手は鍾馗にはあまり関心のない人。
ちょうどりんごの花の時期にかこつけて連れ出しました。

あちらこちらにりんご畑、さらには梨畑も花の時期で
どちらも白い清楚な花ですが、この時期の伊那谷は非常に華やかです。

さらには遠景に南アルプス。これはたまりませんね。

松川付近からの南アルプス
塩見岳、悪沢岳、赤石岳 あたりが見えています。

そして反対側には中央アルプスもきれいに見えました。

飯島からの中央アルプス
これは空木岳、南駒ケ岳付近らしいです。

中央道でこのあたりを通ることはよくありますが、
両方の山々がこんなにくっきり見えたことは記憶にありません。
これを見ただけでもこの小旅行、十分満足です。



肝心の鍾馗さんですが、一軒だけ見つけました。
飯田市の少し北にある豊丘村田村。
天竜川の左岸にあって、三州街道からは外れています。

予定していた道が、土砂崩れの復旧工事で通行止めになっていて、
急遽、道を変えたところで発見しました。
こんなことを書くと笑われますが、「鍾馗さんのお導き」を感じてしまいます。

豊丘村神稲の鍾馗さん

一軒とはいえ、素朴な鍾馗さんが三体と、謎の老人までおまけに載った豪華版。
博物館にすべて掲載しましたのでご覧ください。

結局、この日はこの一軒だけだったのですが、負け惜しみでなく満足。

その後駒ヶ根、宮田まで北上してこの日の予定を終了しました。

伊那谷南部の傾向、人型の飾り瓦は少ないですが、
凝った鬼瓦は時折り目にしました。
「探せばまだ見つかる可能性がないこともない」と
微妙な言い回しにしておきましょう。

三河から信州まで、鍾馗の道はつながるか?
探索はまだまだ続きます。

2011/5/14 吉野~大宇陀2011年05月22日 22時30分11秒

もう少しすると歩くには暑くなってくるので
この時期は少し無理してでも出かけないとと
気がせく季節です。

奈良県吉野町上市から宇陀市松山(大宇陀)までを歩いてきました。
途中経由地は佐々羅、山口、三茶屋、田原、守道など。

地図を見ていただくとわかりますが、こんな山中に鍾馗があるのか!?
という、かなりマニアックなコースです。
鍾馗さんに関して多くは期待しておらず、アップダウンのある道で
多少は体を鍛えようというもくろみです。


アザミ、ハルジョオン、キンポウゲ

大部分の道のりは山里で、道端には野の花。

吉野町佐々羅付近
(吉野町佐々羅付近)

点在する集落には時折、正調大和風の重厚な民家が見られます。
鄙とはいえさすが奈良。

宇陀市下片岡付近

水田は大方が田植を終え、水をたたえています。
広葉樹の新緑も陽光に映え、暗く沈んだ針葉樹林をバックに
輝いています。

既に歩くには暑過ぎるほどの陽気になったのですが、
眼に入る景色の美しさに癒されました。

鍾馗については既知のものを除けばめぼしい発見はなし。

2011/5/18 米原市2011年05月23日 00時00分30秒

滋賀県の最東端に位置する、米原市・旧山東町、伊吹町エリアに行ってきました。

滋賀県最高峰(といっても1377m)の伊吹山の南麓一帯で、
終日伊吹山を横目で見ながらの探訪となります。

伊吹山(米原市小田から)
米原市小田付近から見る伊吹山

ちなみに「小田」と書いて「やないだ」と読みます!
究極の難読かも。


米原市市場 付近
米原市市場付近

先週の吉野に引き続き、この日も好天。
苗の並ぶ水田を前景に、新緑が目に沁みます。

米原市伊吹地区の俯瞰
米原市伊吹

いかにも鍾馗さんがひそんでいそうな、
雰囲気のある集落がそこここに。

でも鍾馗さんは1体も見つからず。
37kmほどのロングウォークでしたが、徒労に終わりました。

鍾馗さんがないのでみちくさしていました。
ちょっと珍しいものをいくつか紹介します。

その1 大清水という集落で見かけた蔵の鏝絵
不思議な三種の神器

小槌と宝珠まではわかりますが右上の道具は何でしょう。
ネットで調べてみると、「鑰(やく)」という蔵の鍵で、
宝物の象徴としての意味もあるとか。宝尽くしの絵柄ということですね。


その2 上野集落のパイプライン
伊吹山麓のパイプライン

画面全体に高架鉄道のようなものが横切っているのがお分かりでしょうか。

右は右端に見える工場まで続いており、
左は山を巻くようにつながっていて終点は見えません。

どうも伊吹山で採掘した鉱石(石灰岩?)を工場まで運ぶ
コンベアのようなものと思われますが、
調べていないので確かなことはわかりません。

その3 いぶきさんがいっぱい
伊吹地区住宅図

伊吹地区(集落の写真は上のほうで掲載)の住宅地図です。
眺めていると「いぶき」さんという苗字が多いのですが、
「伊吹」という漢字は使われておらず、いろんな「いぶき」さんがいます。
さて、問題です。いったい何種類の「いぶき」さんがいるでしょうか。
お暇な方はクリックして拡大画像を眺めてください。

こたえ
6種(伊富貴 伊夫貴 伊夫伎 膽吹 井吹 伊夫気) 

2011/5/21 大阪あちらこちら2011年05月31日 01時21分38秒

ここのところ、歩けど歩けど鍾馗さんは見つからずといった、
実りの少ない探訪が続いて、少々寂しかったので、
今回の探訪は手堅いところで、他人のふんどしで
相撲を取らせていただくことにしました(^^;
最近おとんさんが回られたところをフォローです。


訪問地は 岸和田、住吉、八尾、守口、桃谷 と 
大阪府内をあっちへ行ったりこっちへ行ったり。
この日は歩く時間より、電車に乗っている時間のほうが
長くなりました。

このうち八尾だけがオリジナルの情報に基づく探索で、
JR八尾駅近くの安中新田会所跡の住宅に鍾馗があるとの情報があり、
江戸期の住宅ということで、期待に胸膨らませて行ったのですが、
鍾馗さんは今出来のありたきりのものでがっかり(;;)

安中会所跡 旧植田家住宅
安中新田会所跡   中央に鍾馗さん、#0063でした。

その他では、おとんさんの情報に基づく鍾馗さんはもれなく確認できました。
+αはほとんどありませんでしたが、慌しくも久々に充実した探訪になりました。

見つけた鍾馗さんは博物館に掲載済ですので、そちらでご覧ください。

岸和田市五軒家町の鍾馗さん
岸和田市五軒家町