2011/4/2・3 安曇野 その1 ― 2011年04月12日 19時41分54秒
愛知県在住ですが、日頃出かけるところは関西方面ばかり。
いつも太陽を背にして、運転時に眼が疲れないのは助かりますが
本当に東のほうには足が向きません。
鍾馗さんの分布は基本的に愛知県あたりが東限で、
それより東はめっきり少なくなります。
長野県でも少数ながら鍾馗さんを見つけてはいましたが、ほとんどはブログなど
人様の情報を基に訪ねたもので、無闇に探し歩いても見つかるものではないと
思っていました。
そんなある日、たまたま見つけたのが、
安曇野でハーブのお店を経営される"まき"さんのブログ
安曇野周辺で発見された10体近い鍾馗さんが紹介されていて、
見たことのない鍾馗さんも複数含まれています。
こんなにあるとは!と新鮮な驚きです。
こうなると居ても立ってもいられず、コメントを入れて情報提供をお願いしたところ
"まき"さんからは「ご案内してもいいですよ~」と望外のお申し出。
おとんさんもお誘いしてお言葉に甘えることに。
少し春の訪れが遅く、まだ真っ白な北アルプスの山並みもくっきりと見える朝、
"まき"さんの車に同乗して安曇野鍾馗さんツアーの始まりです。
ブログを見ていただくとお分かりの通り、"まき"さんはハーブのお店を営むかたわら
安曇野の歴史や今に幅広い関心を持って情報発信されています。
5町村(穂高町、豊科町、明科町、堀金村、三郷村)が合併して誕生した
安曇野市を隅々まで訪ねておられるようで、
隣の筑北村まで足を延ばしながら、広い市域を効率よく回っていただきました。
鍾馗さん以外にも、おとんさんがブログで取り上げた、驚異的な細工が施された
有明山神社や、そこかしこに残る鏝絵、そろそろ北へ帰り支度を始めた
白鳥が休む田んぼなど、安曇野の隠れた名物を織り交ぜながら、
一日、安曇野観光を楽しみました。
そして夜は宿で"まき"さんにも参加いただいて小宴。
飛び入り客もあって、森に包まれた宿で楽しい夜をすごしました。
鍾馗の写真がなくてはこのブログの存在価値を問われますので一枚。
(安曇野市豊科新田)
手作りの興味深い鍾馗さんが数多く見られました。
全部で30体を超える鍾馗さんを見ましたが、多くが手作りの一品もの。
こんなに多くの、しかも古そうな鍾馗さんがあるとは本当に驚きでした。
本宅博物館には今回の新着鍾馗さんをアップしていますので
そちらもご覧ください。
魅力的な鍾馗さんをたくさん収蔵しました。
(つづく)
2011/4/2・3 安曇野 その2 ― 2011年04月13日 23時21分52秒
翌日曜日はおとんさんと二人で、車から安曇野鍾馗探索。
前日の"まき"さんの道案内でほんのちょっとだけできた土地勘と
地図を頼りにうろうろしました。
朝のうち、曇って冷え込んでいたものの、すぐに晴れてきてアルプスの山々が
姿を現し、ドライブする気分も晴れやかです。
遠くには厳しくも美しい山、近くには屋敷林を備えた
暖かみのある集落を抱く田園風景。
安曇野に移り住まわれた"まき"さんの気持ち、すごくよくわかるなぁ。
半日の探訪で、3か所 5体の鍾馗さんを発見しました。
いずれも手作りの珍しいものでした。
まだまだ腰を据えて探せばたくさん見つかりそうで、
今後の"まき"さんの成果に期待です。
穂高白金で見つけたこの鍾馗さんについては、
家の人に話しを聞くことができました。
ま新しい蔵に載っていますが、鍾馗さん自体は古く明治28年のものだそうで、
百才を軽く過ぎています。
蔵の建て替えの際、立派なものだったのでそのまま残したそうです。
鍾馗さんとバランスを取るために、背後の棟瓦も予定していたものより
大きなものを使わなくてはならなくなり、予定外の出費になったと
笑っておられました。
こうしてさりげなく古いものを大切にする安曇野の人たちの心根に触れ、
この地に息づく鍾馗さんは幸せ者だと感じながら
再訪を誓って安曇野を後にしました。
2011/4/10 小坂井・豊川 ― 2011年04月17日 23時56分10秒
豊川方面に花見に出かけたついでに鍾馗さんを探してきました。
名鉄伊奈駅から豊川稲荷駅まで寄り道しながら約12km。
以前にも歩いたことがありますが、
今回は旧街道とおぼしき道を一直線に歩きました。
残念ながら目新しい収穫はありませんでしたが、
以前に小坂井の東海道沿いで見つけた鍾馗さんを再訪して来ました。
この鍾馗さん、なぜか街道には背を向けています。
街道側からはこんな感じ。
何か文字が書かれているのがおわかりですね。
2007年にはじめて見つけたときは撮影時に気がつかず、
写真を見てもせっかくの銘がよく読めませんでした。
左が2007年の撮影、右が今回のもの。
これならはっきりわかります。
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明治■八年 未三月上旬 (■は"廿"か"十")
製造人 三州八名郡/鈴木金次郎/西郷小野田
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明治28年が未年なので、■は"廿"だろうと予想していました。
八名郡はかつて豊橋市の北東部に存在していた郡名。
小野田村は1889(明治22)に他と合併して西郷村になり、
さらに1906(明治39)にその西郷村が他と合併して石巻村になっています。
その後、石巻村は1955に豊橋市に編入されて現在に至っていて、
「西郷」という地名は明治22の合併以前の村名にはなく
"西郷小野田"という銘の表記は、
西郷村小野田の状態だった明治22年から明治39年の間に、
この鍾馗さんが作られたことを裏付けるものといっていいでしょう。
鈴木金次郎さんは色々な飾り瓦を製作していたのでしょうか、
自分の名を刻んだ印判を誂えています。
東三河地方は鍾馗の少ない地域ですが、
こうした職人さんが明治には確かに存在していたようです。
写真は二川稲荷の御衣黄。
緑がかった花を咲かす、珍しい桜です。
きれいに見えますが咲いていたのはこの二輪だけ(^^;
2011/4/16 京都で2011名残の桜 ― 2011年04月19日 00時15分37秒
昨年は4月17日に京都の桜を見に行きました。
今年もほぼ同じコース、
平野神社→雨宝院→白峰神社と西陣周辺を巡った後、
東山方面へ。
昨年より花は遅れていて、平野神社ではソメイヨシノは盛りを過ぎていましたが
他はほぼ満開。
一葉・平野神社
胡蝶・平野神社
朱雀・平野神社
松月・平野神社
太白・平野神社
大内山・平野神社
鬱金(ウコン)・平野神社
歓喜桜・雨宝院
御衣黄(ギョイコウ)・嘉楽中学校
御衣黄・白峰神社
御衣黄・二年坂
雨宝院の御衣黄だけはまだまったくつぼみのままだったので写真なし。
これは昨年の写真です。
同じ御衣黄という名前ですが、
花の姿は他の三か所とずいぶん違いますね。
品種が違うのかなあ。
ちょっと調べてみると、雨宝院の御衣黄以外は全部、鬱金のように
思えてきた。まあ、どちらでもいいですけどね。
それにしても4月中旬とは思えない寒い日でした。
風が強く、花びらを盛大に散らします。
桜吹雪を写したつもりでしたが、光が弱くてシャッタースピードが遅すぎ、
本当の吹雪のようになってしまいました。
花と食いしん坊が目的の旅でしたが、
少しだけ鍾馗さんを探索したところ、
北野天満宮に近い、上京区今小路通で発見。
素朴ながら、力強い造形。
京風鍾馗さんとは対極にあって、
小さな子供が見たら怖がりそうですね。
2011/4/24 【速報】奈良 橿原・桜井・天理 ― 2011年04月24日 23時13分17秒
今日は昨年10月以来の奈良県へ。
大和八木から柳本を経由して結崎駅までを歩いてきました。
まだ写真の整理もこれからなので、詳しくは後日レポートしますが、
嬉しいことがあったのでとり急ぎアップします。
ときどき雲が広がる時間帯もありましたが、
今日の奈良は概ねこのとおりの晴天。
気持ちのよい探索日和でした。
翻る鯉のぼりを見ると、
このお宅には若夫婦と子供がいることがわかります。
こうした伝統家屋や集落に共通の課題として、
住人の高齢化がありますが、
こちらではとりあえずその点は安心。
自らも親と離れて暮らすのを棚に上げて、
語る資格はないのですが、伝統集落のあちこちの家で
鯉のぼりが翻るようになるといいな。
(ちなみにこちらのお宅に鍾馗はありませんでしたが)
(2005年10月撮影)
天理市長柄町のこの鍾馗さんは鍾馗博物館・収蔵室(#0020)
にも記載のとおり、2007年再訪時には真新しい家に建て替わっていて
鍾馗さんも見当たらず、古い家と運命を共にしたと思っていました。
他に見たことのない一品ものだっただけに・・
ところが今日通りがかると、あったんですねぇ。
左の黄色っぽい壁がくだんのお宅ですが、
正面から、勝手口脇の塀の上へ移って、
少し待遇は悪くなりましたが健在だったんです!
手を触れられるほど間近に置かれ、しかも前傾気味だった以前に比べ
正しい姿勢にしてもらっています。
失われたと思っていた鍾馗さんを再発見したのは
たぶん初めて。
語る相手もいない単独行ですが、一人静かに興奮していました。