2011/4/2・3 安曇野 その2 ― 2011年04月13日 23時21分52秒
翌日曜日はおとんさんと二人で、車から安曇野鍾馗探索。
前日の"まき"さんの道案内でほんのちょっとだけできた土地勘と
地図を頼りにうろうろしました。
朝のうち、曇って冷え込んでいたものの、すぐに晴れてきてアルプスの山々が
姿を現し、ドライブする気分も晴れやかです。
遠くには厳しくも美しい山、近くには屋敷林を備えた
暖かみのある集落を抱く田園風景。
安曇野に移り住まわれた"まき"さんの気持ち、すごくよくわかるなぁ。
半日の探訪で、3か所 5体の鍾馗さんを発見しました。
いずれも手作りの珍しいものでした。
まだまだ腰を据えて探せばたくさん見つかりそうで、
今後の"まき"さんの成果に期待です。
穂高白金で見つけたこの鍾馗さんについては、
家の人に話しを聞くことができました。
ま新しい蔵に載っていますが、鍾馗さん自体は古く明治28年のものだそうで、
百才を軽く過ぎています。
蔵の建て替えの際、立派なものだったのでそのまま残したそうです。
鍾馗さんとバランスを取るために、背後の棟瓦も予定していたものより
大きなものを使わなくてはならなくなり、予定外の出費になったと
笑っておられました。
こうしてさりげなく古いものを大切にする安曇野の人たちの心根に触れ、
この地に息づく鍾馗さんは幸せ者だと感じながら
再訪を誓って安曇野を後にしました。
コメント
_ まき ― 2011年04月14日 10時56分01秒
_ kite ― 2011年04月15日 00時06分25秒
ありがとうございます。
自分の興味のおもむくまま、好き勝手をしているだけですので
過分なお言葉はくすぐったいです。
話は飛びますが「鬼板師―日本の景観を創る人々」という本に
三河地方の鬼師が出稼ぎで長野方面に向かったという歴史が
紹介されています。
長野の鍾馗さんはこういった人が作ったのかと思っていましたが、
実際の鍾馗さんや松本城旧大手門の天女さまを見ると、
もっと古くから、土着の瓦職人が瓦で細工物を作っていたのではないかと思えてきました。
実際、今回安曇野で連れて行っていただいたような、
素朴な手作り鍾馗さんは三河ではあまり見つからないのです。
ほとんど歴史を追うすべはないのですが、追求してみたいものです。
自分の興味のおもむくまま、好き勝手をしているだけですので
過分なお言葉はくすぐったいです。
話は飛びますが「鬼板師―日本の景観を創る人々」という本に
三河地方の鬼師が出稼ぎで長野方面に向かったという歴史が
紹介されています。
長野の鍾馗さんはこういった人が作ったのかと思っていましたが、
実際の鍾馗さんや松本城旧大手門の天女さまを見ると、
もっと古くから、土着の瓦職人が瓦で細工物を作っていたのではないかと思えてきました。
実際、今回安曇野で連れて行っていただいたような、
素朴な手作り鍾馗さんは三河ではあまり見つからないのです。
ほとんど歴史を追うすべはないのですが、追求してみたいものです。
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かなり、あちこち連れ回してしまい、スミマセンでした。いゃ~あ、それにしても楽しかったですね。
kiteさんが以前、長野県で鍾馗探訪をされたブログを見て一つでも多くの鍾馗さんやら、この地方の風土をご案内したくなって、ついついあちこちへと足を向けてしまいました。
ご案内していてkiteさんの鍾馗探訪に対する並々ならぬ熱意、静かな行動に深く感心しました。
安曇野はこれからいい季節を迎えます。時間が取れましたら、また散策いたしましょう。
東北で被災された方たちのなかにも、kiteさんのブログを楽しんでいる方たちもきっと多くおられると思います。一段落したら、訪れることでしょう。その日のためにも、これからも鍾馗さん探訪記を続けて下さい。