2013/12/1 京都 ― 2013年12月03日 23時06分52秒
12月1日は穏やかに晴れ、最高のお出かけ日和。
京都へシーズンラストチャンスの紅葉狩りに行ってきました。
とはいえ、やっぱり鍾馗さんには会いたい。
同行者が買い物に行くのをしおに別れて、一目散に桂方面をめざします。
お目当ては「木津川の地名を歩く会」のrekishi_anbouさんがレポートしている
こちらの鍾馗さん。
西京区山田上ノ町 #1148で博物館掲載
ここは4年ほど前に歩いたことがあります。
一見、新しそうな鍾馗さんなので、歩いた後にあげられたのかと思って
ストリートビューをチェックしてみると2009年時点で確かにありました。
単なる見落としのようです(・ω・)
西京区山田上ノ町 #1114
こちらは再録。唇に朱が入っているのは珍しく、ちょっと艶かしい。
軒下で撮影が難しい鍾馗さんですが、幸い冬の柔らかい西陽があたって
いい感じで撮影できました。
西京区山田車塚町 #127
この鍾馗さん、奈良ではありふれた鍾馗さんですが、京都で見るのは珍しく
それも変哲もない住宅街で発見しました。
以下は紅葉狩りで巡ったところ。比較的マイナーなところが多いので、ご参考まで。
岩倉実相院
円通寺(岩倉幡枝)
鷺森神社(修学院)
京都府立植物園
2013/12/7 滋賀県うろうろ ― 2013年12月17日 23時40分16秒
ここのところ、滋賀県がちょっとしたマイブームです。
11月初めに第三回八幡系ツアーで皆さんをご案内した際に、
思いのほかたくさん新発見があったのに味をしめ、
二週間後に再訪したところ、近来まれに見る豊作で
ひとりですっかり盛りあがりました。
三匹目のどじょうを狙ってのこのこ出かけていきましたが、
そうはうまく行かず、数はそこそこあるものの、
この日見つかる鍾馗さんは量産品ばかり。
以下で紹介するものが主な収穫です。
甲賀市水口町山 #1549として博物館収録予定。
最初見たとき、こちらの鍾馗さんの兄弟かと思いましたが、
関係なさそうです、
近江八幡市小田町
日本で一番多い#0050ですが、顔周りの細部は職人さんが
手作業で線彫りをしたような素朴な表情です。
こういった鍾馗さんは他の型でもときどき見かけますが、
摩耗した型から取った鍾馗さんを補修して仕上げたのかなぁと
想像しますが、真偽は定かでありません。
甲賀市水口町本町
鍾馗さんではありませんが、謎の飾り瓦。
裸足の女性が柄杓のようなものを持って走っています。
博物館のほうにも掲載していますが、いったい何でしょう?
2013/12/14~15 阿波国鍾馗巡礼 準備編 ― 2013年12月21日 23時13分59秒
月に一回くらい、思い出したときに『鍾馗』でGoogle検索や画像検索して、
どこかに耳よりな情報はないかチェックしています。
さらにその時思い出せば『鐘馗』でも検索します。
「小沢」と「小澤」はどちらで検索してもいいのですが
「鍾馗」と「鐘馗」は同義語とはみなしてもらえないようです。
で、「鐘馗」でヒットしてきたのが、「阿波学会」の研究紀要です。
昭和20年代から続く、徳島県内の歴史。自然、文化等幅広く研究している団体のようですが、その文献が徳島県立図書館の手でデジタル化されてインターネットで閲覧可能になっています。
こうした出版物は全国各地に残されていると思いますが、なかなか手に取って見ることは難しいので、こうして居ながらにして検索・閲覧できるというのは本当にありがたい。
この中の「石井町の民家」という報告に鍾馗さんのことが紹介されているのを見つけたので、おとんさんの掲示板に報告したところ、さっそくおとんさんが現地調査に行ってくれました。
掲載されていた鍾馗さんは見当たらなかったものの、別の鍾馗さんが見つかりました。
さあ、こうなるともういけません(^^;
これまで吉野川中~上流部で2体記録がありますが、中下流域では初めての記録。
さらに同じ紀要には松茂町にも鍾馗があったという記載もあることがわかり、
管理人の心には、いつも徳島の空と町並みが浮かぶようになってしまいました。
これまで徳島県では本格的な鍾馗探訪をしたことはありません。
自宅から徳島の入口鳴門までは約350km、4時間半くらいでしょうか。
さすがに日帰りはしんどいし、無駄が多い。
暮れの忙しい時期、なかなか3連休ともいかないので、
一拍二日を前提にコースの検討を始めました。
徳島県はシンプルな構造で、ど真ん中を東西に吉野川が貫通し、
巨大な扇状地のように両岸に平野を作っています。北の低い山並みを越えれば
香川県、南側には四国山地の深い山々が連なっています。
徳島から吉野川右岸(南側)を西に、池田を経由して川之江に出る伊予街道と、
鳴門から吉野川左岸(北側)を西に向かい池田で伊予街道に合する撫養街道が
主要な街道で、地図や航空写真で見ると古い街道町が点在していて魅力的です。
どちらも歩き通してみたいのですが、それぞれ70km以上もありそうです。
二日のうち一日は伊予街道、もう一日は撫養街道を歩き、
まずはそれぞれ鍾馗さんがいそうか、雰囲気を探ることにました。
約三週間、夜な夜な綿密に計画を練り、前日忘年会での酒を断ってまで
準備万端、午前三時に自宅を出発しました。
(つづく)
2013/12/14~15 阿波国鍾馗巡礼 一日目 ― 2013年12月23日 00時12分00秒
朝三時に家を出て、途中事故渋滞で1時間遅れて八時過ぎに鳴門IC到着。
最初の目的地、松茂町中喜来はICからすぐです。
参考文献に番地まで出ていたのでピンポイントでGoogleマップで事前に見た限りでは屋根はいぶし瓦風で良い感じだったのですが、たどり着いてみると目的のお宅は建て替わっていて、鍾馗さんは見当たりませんでした。
気を取り直して、本日のメイン伊予街道歩きの出発点、徳島線蔵本駅へ向かいます。
伊予街道の起点は徳島ですが、徳島市の中心部にはあまり古い家が残っていないようなので、少し外れたここから歩き始めます。
街道は国道192号線とつかず離れず並行して残っていて、家々はかなり更新が進んでいますが、所々に明治くらいまで遡れそうな、本瓦葺きの重厚な建物が残っています。鬼面瓦はかなりたくさん見ることができますが、それ以外の飾り瓦はほとんど見当たらず、鍾馗さんももちろん見つかりません。
ストリートビューでもまったく見当たらなかったので少ないことは覚悟の上で、淡々と進みます。
鮎喰、国府と進み、八十八個所の札所もいくつか見ながら、石井町に到着。
おとんさん発見の鍾馗さんが本日の初鍾馗となりました。
街道から見ると、どうってことのない家ですが、瓦は本瓦です。
裏手に回るとずっと重厚な雰囲気を残している家でした。
その先旧鴨島町に入り徐々に景色は鄙びてきますが、街道沿いには引き続き重厚な家が点在しています。しかし鍾馗さんの姿はなく、テンションも下がってきます。
鴨島の町は古くから賑わっていたようで、期待していたのですがここも外れ。
駅前のアーケードも土曜日の午後にも関わらず、悲しいほどシャッター通りで人影がありません。
寂しい気分で鴨島を過ぎたころ、ようやく当たりがありました。
玄関の上にいました。二階の緑色が微妙ですが、古そうな家です。
さらに100mほどのところで二体目を発見。
この鍾馗さんも玄関の横。
北向きなので薄暗く、表情がよくわかりません。
ここまで約20km歩いてかなり消耗していましたが、
二人のお出迎えを受けて私のパワーも完全リセットです(^^)v
今日はこのあと、三好市三野町の鍾馗さんも見に行きたかったので、
時間の都合もあり、阿波川島駅で終了することにしました。
特急停車駅ですが駅舎にもホームにも人影はなく、ベンチの下では猫が日向ぼっこ。
起点の蔵本に置いておいた車に戻り、R192を一路西へ。
晴れてはいるものの雲が多く、三時半なのに夕暮れモードでお日様との競争です。
目的地の三好市三野町芝生に到着したのは四時半少し前。
何とかおとんさんに教えていただいた鍾馗さんを撮影することができました。
鍾馗さんの左右には、鯉をあしらった立派な鬼面瓦が置かれていました。
この後、さらに上流に向かって井川町辻の鍾馗さんを確認に行きました。
この鍾馗さんは、私が四国で初めて見つけた記念の鍾馗さんなので、ここまで来たら挨拶していかないといけません。
到着したのは五時半近くでほ真っ暗。屋根の上に健在でいるのはわかりましたが
撮影はまったく不可能。
一日目はあわただしく動き回って終わりました。
情報に基づいて確認した鍾馗さんが三体に、新発見は二体でした。
伊予街道はまったく鍾馗をあげる文化が伝わっていない、
という訳ではないがかなり少なそう。
さらに上流を探訪するには気合が必要です。
2013/12/14~15 阿波国鍾馗巡礼 二日目 ― 2013年12月24日 00時31分15秒
二日目は吉野川の北側の撫養街道を鳴門から土成まで、31kmほどを歩きます。
ゴールの土成町に宿を取り、車は宿に預けて、バスで起点の徳島駅経由鳴門に向かう予定で宿から10分足らずのバス停に着いてみると・・
あらかじめ調べておいた便はなんと日曜運休 (*_*;
次のバスは一時間後。まだ真っ暗な田舎のバス停で呆然。
最寄りの鉄道駅は鴨島駅ですが吉野川を越えて3km以上あります。
といっても何もない暗い寒いバス停でぼんやりと一時間を過ごすわけにもいかず
電車の時間を調べると7時5分発というのがあって、
連絡もよく鳴門には8時ちょっと過ぎに到着と、バスで予定通り行くより早く着けることがわかりました。
ただし、既に6時35分で3.2kmを30分で歩かないと間に合いません。
これはかなりのハイペースですが、迷わず歩き始めました。
吉野川の長い橋を歩いて渡りました。朝焼けです。
なんとか間に合いました。いきなりつまづきましたが我ながらナイスリカバリー。
スマホさまさまです。
早く着いたので、鳴門駅から街道を少し戻って東の方へ。
鳴門市林崎。後ろは妙見山に撫養城。
探索は太陽に向かうか、背にするかで見つけやすさも疲れ方もまるで違います。
私はいつも太陽を背に、東から西に向かって歩くようにしています。
撫養の街中は古い家が数多く残っていましたが、鍾馗さんの姿は見当たりませんでした。
謎の鏝絵 「造車■」 何でしょう?
歩き始めて約10kmの鳴門市姫田は古くからの瓦産地。
歩いたルート沿いにも「鬼一製瓦」といった気になる屋号の瓦屋さんがあって
通りすがりで倉庫の中を眺めたりもしたのですが、目を引くものはありませんでした。
帰って師匠に報告すると、姫田の三木さんという瓦屋さんでは、
大阪/奈良あたりでよく目にする#0063の鍾馗さんを作っておられると
教えていただきました。
三木製瓦所という瓦屋さんも地図では見ていたのですが、街道からちょっと奥まったところにあるのでスルーしてしまいました。しまった。
姫田から少し行った、池谷駅(鳴門線の分岐駅)前で本日最初の鍾馗さんを発見。
だいぶ摩耗していますが、#0063の一種で
博物館では住吉区住吉の鍾馗さんと同じ、レアな型物です。
これまた玄関扉の上、お札を貼る位置に置かれています。
この後、連続して鍾馗さんが見つかり始めました。
上の鍾馗さんとシルエットはそっくりですが、これは恵比寿さん。
鳴門市大麻町萩原アコメン
鳴門市大麻町坂東
これは#0111ですが、#0063とは兄弟分。
鬼の顔が見えているのは初めて見ます。
鳴門市大麻町桧道ノ北
#0111の標準タイプですが、関西では釉薬の乗ったものを見ることはありません。
板野町川端
大阪、奈良に多い量産品#0135です。あまりに立派なお宅で玄関が遠いので
ぼけてしまいました。
板野町犬伏
正面から撮影できなかったのでわかりにくいですが、#0650だと思います。
発見数は少ないのですが型物です。
ここまでの鍾馗さんは一日目と違ってすべてが型物で、
産地は淡路島か地元のようです。
また、知られている分布圏はいずれも大阪・奈良が中心の鍾馗さん。
昨日の、由来不詳の鍾馗さんたちとは違って、
関西圏の鍾馗文化が街道沿いに伝わってきたのではないかと想像します。
それにしても、なぜ徳島では揃いも揃って玄関に鍾馗さんがいるのでしょうか。
他の地域でも見られますが少数派で、普段の探索でもあまり玄関周りには注意を払っていませんでした。
瓦の鍾馗が普及する以前は、鍾馗札といって印刷された鍾馗像を戸守りに貼る風習が盛んだったと聞いたことがあります。
鍾馗札の代わりに瓦鍾馗が普及したのだとすれば、
お札を貼る玄関先に瓦鍾馗が置かれるようになったのは自然なこととも言えますが、
それでは関西ではなぜ小屋根や棟に置かれるようになったのか説明できません。
妄説ですが、民家の構造からの推理をひとつ。
目に見えない外敵から家を守るのが鍾馗さんの役目なので、
置き場所はなるべく周囲四方に目が届くところがいいと思われます。
なので、一番いいのは大棟のてっぺんで、東海地方ではこの置き方が多い。
いっぽう京都などでは一階の小屋根の上に置かれることが多いのですが、
これは道の狭い町場ならではで、大棟の上に置いたのでは全然見えないのです。
家人からも見えないのではいくらなんでも面白くないので、京都では通りに面してよく目立つ小屋根の上に置かれるようになったんじゃないかと思っています。
それでは徳島県ではというと、この地方の伝統的な民家は写真のような姿です。
「四方蓋造り」といわれていて、茅葺き屋根の下に傾斜の緩い瓦屋根を付けたような形態です。今はトタンがかぶせられているものがほとんどですが、
減ったとはいえ徳島県内では時々目にします。
この屋根に鍾馗さんをあげようとしても草葺きと瓦屋根の間にはほとんど空間がなく、
あげる場所がないのです。
やむなく玄関周りにあげるようになり、四方蓋造りが減って一般的な入母屋造りに変わっても鍾馗さんの置き場所としては玄関周りが一般的になったと。
まあ、スルーしておいてください(^^ゞ
この後、しばらく鍾馗さんの姿が途絶え、ひたすら足を前に進めるだけの探訪となり
30kmを超えて足を引きずり出した頃、一体の鍾馗さんが待っていてくれました。
阿波市吉野町柿原
シンプルで飾り気のない鍾馗さんですが初めて見るものです。
小さく典型的な四方蓋造りの家にありました。
ようやく土成町の宿に戻ってめてたく満願。
初めての四国巡礼は車での移動が800km、歩きが二日で60kmと
なかなかハードでしたが、実り多いものでした。
またそのうち、行ってみたいと思います。
阿波国鍾馗巡礼余話 『デジタル漬け』 ― 2013年12月25日 00時13分34秒
鍾馗さん探しの核心は、五感を研ぎ澄ましてひたすら歩くという、
とてもアナログな営みですが、準備段階も事後の整理も、ご想像どおり
デジタルの世界に全面的に依存しています。
パソコンがなかったら、インターネットや検索エンジンがなかったら、
デジカメがなかったら、恐らく自分はこの趣味やっていなかったと思います。
今回の阿波巡礼、気がついてみるとどんだけデジタル機器を持参していることか。
並べてみたらこんなに持って歩いてました。
歩数計やIpodはご愛嬌ですが、今回マイクロソフトのWin8タブレット、
SurfacePro(一番大きいのです)を持ち歩いたのがこたえました。
普段はパソコンからルートマップを印刷した地図を持ち歩くのですが
今回プリントをさぼって、これで代用。
車の移動がメインならそれでもOKなのですが、
今回のように6時間も歩いていると、1kg程度のタブレットPCとはいえ、
肩に食い込んで辛くなってきました。
歩きながら取り出して、地図ソフトでルート確認なんてことも
頻繁にやっていたのですが、そのうち落としそうで怖い。
いったいどれくらい重いのか、秤で量ってみました(^^;
タブレット SurfacePro | 1127g |
デジカメ coolpix P510 | 591g |
Kindle Paperwhite | 206g |
スマホ | 117g |
ガラケー | 101g |
iPod nano | 41g |
歩数計 | 38g |