2011/10/29 愛知県刈谷市 ~灯台下暗し~2011年11月01日 23時53分36秒

10月29日は所用で刈谷市へ出かけたついでに、鍾馗探索。
仕事ではほぼ毎日のように通っているホームグラウンドですので、
車で移動中などに見かけた鍾馗さんがいくつか溜まっていました。

もちろん珍品の可能性がある鍾馗さんであれば、すぐにでも撮影に行きますので、
今回の目的はどちらかといえば既知の、
慌てて記録しなくても良い鍾馗さんばかりです。

そこでまったく期待することもなく、のんびり歩いたのですが、
意外にも下の二体の新種鍾馗さんを発見しました。

刈谷市大正町の鍾馗さん
(刈谷市大正町)

刈谷市中手町の鍾馗さん
(刈谷市中手町) 京都の#0708にシルエットや細部は類似(顔立ちは全然違う)

いずれもま新しいお宅で、周囲も新興住宅街なので、
これまで完全に盲点になっていました。

どちらも古い鍾馗さんではなさそうですが、
これまでノーマークだった地域での発見。
探訪地の絞込みがやりにくくなったと感じています。


奈良県→和歌山県→大阪府→(愛知県)→長野県2011年11月06日 23時46分58秒

昨日から一泊二日で、さんろくさんpresentsの安曇野を中心とした
鍾馗さんツアー(第二回)に参加して大いに楽しませていただきました。
大量の希少鍾馗さんのもとにご案内いただき、エピソードも沢山ありますので、
順次紹介していきますが、まずは本筋とは関係ない
数奇な運命?の鍾馗さんのお話から。

さんろくさんの鍾馗さん


この鍾馗さんを和歌山県海南市の骨董店で鬼瓦さんが見かけたことから、
話は始まります。
鬼瓦さんはおとんさんに発見の一報、
おとんさんは写真を添えて私に連絡してくれました。
「kiteさんなら買いますか?」
私は「買いですね~」と返事しましたが、あまり気に留めず忘れていました。

裏には「奈良五条、壷坂寺より出土」とマジックで書かれており、つじつまが合わない文章で信憑性は低いものの、奈良県出身の鍾馗さんのようです。
裏書きはともかくとして、見た目素朴な「いい感じ」の鍾馗さんで、
奈良県の鍾馗さんというのは説得力がある造りです。

数日後に携帯にメールが入り、おとんさんから
「今、骨董屋にいます。買いましょうか?」 おっとっと~
思わず「買っておいてください」と返事して、この鍾馗さんは私のところへやって来ることが決まり、いったんおとんさんに預かってもらうことになりました。
和歌山県から、おとんさんの住む大阪府へ、この鍾馗さんにとっては少なくとも二度目のお引越しです。

そして今日、安曇野ツアーにおとんさんが持ってきてくださって引渡しも完了、
筆者居住の愛知県に三度目のお引越しをするはずでした。

安曇野ハーブスクエアで今回のツアーのホスト役のさんろくさん
この鍾馗さんをお見せすると、大変気に入ったご様子で、
「譲っていただけませんか?」

狭い我が家で落ち着き場を見つけるのを待つよりは、と即決で嫁入り決定し、
わずか半日で手元を離れることになったMy鍾馗さんを記念撮影したのが
上の写真です。

三度目のお引越しは愛知県ではなく、長野県となりましたが、
素朴な鍾馗さんが数多く見られる安曇野で、末永く大事にされることになりました。


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「みちくさ学会」第19回記事が掲載されました。
今回は伊賀上野郊外の鍾馗さんを取り上げています。
よろしければお寄りください。

2011/11/5・6 安曇野ほか その12011年11月08日 20時40分44秒

第二回の安曇野を中心とした鍾馗さんツアーでは、
さんろくさんに加えて新加入のnaoさんが地道に探索して記録した鍾馗さんを
車で効率よく案内していただきました。まるで大名旅行。

二日で50体ほどの希少な鍾馗さんを見てきたので、整理が大変です。

鍾馗さんの紹介はもう少しお待ちいただくとして
また周辺ネタでお茶を濁します(・・;)

麻績宿の恵比寿さん

麻績宿を車で通行中に横からの姿が目に入り、
すわ鍾馗発見!と色めきたったのですが、正面に回ってみると恵比寿さんでした・・
手作りの貴重な飾り瓦には違いありません。

それにしてもうねうねぬるりとした雰囲気で気持ち悪い。
本当に福を招いてくれるのか、かなり疑わしい恵比寿さん・・・


豊科高家の恵比寿さん

こちらは二日目、naoさんがやはり車の中から発見したもの。

naoさんは視力2.0、他がまったく気づかない鍾馗さんをつぎつぎと見つけます。
すごいです。

これもやったやったと大喜びで写真を撮ってみると、おとんさんが
「魚持ってはる・・」
全体の雰囲気は間違いなく鍾馗さんなんだけど、これまた恵比寿さんでした。

2011/11/5・6 安曇野ほか その22011年11月09日 22時27分03秒

今回のツアーで目にした鍾馗さんを勢ぞろいさせました。
類似の鍾馗さんが複数ある場合はひとつにまとめています。

記録した鍾馗さん勢ぞろい

わずか二日の成果。
もうおなか一杯という感じ、お分かりいただけるのではないでしょうか。

全部で50体を記録して、とりあえず分類してみたところ、30種に分類できました。
他地域に比べて量産品が少なく、型物も少ないためご覧の通りの賑やかさです。

鍾馗記録の変化1月→11月

中信地方の鍾馗さん分布図です。
左は2011年1月時点、右が現在です。
わずかに点在するだけだったものが、松本盆地では非常に賑やかになりました。
特筆すべきは長野自動車道沿いの地域で、松本から長野にかけて、
ほぼ分布が連続してきたこと。
ここは善光寺西街道と呼ばれる松本方面から善光寺への参詣道として
賑わった旧街道沿いの地域です。

これまで、長野市南方の丹波島宿だけにまとまって鍾馗さんが見られることが
謎でしたが、こうして見ると南から街道沿いに伝わっていった様子が
強く想像できるようになってきました。

ひとえにさんろくさん+naoさんが地道に調査されてきた成果で、
ここまでの成果は「安曇野ハーブスクエアだより」にまとめられています。


歴史的、文化的な掘り下げは、引き続きさんろくさんが
深めていっていただけると思いますのでそちらはお任せして、
私は私らしく、鍾馗さんウォッチャーに徹して、
今回目にした鍾馗さんを少しづつ紹介していきたいと思います。


2011/11/5・6 安曇野ほか その3 須坂2011年11月21日 22時47分56秒

お出かけばかりしていて、ブログがほったらかし。
気を取り直して安曇野探訪記を再開します。

長野県須坂市は蔵の町として有名ですが、屋根瓦も凝ったものが数多く残り、
須坂市立博物館が平成12年に開催した企画展「須坂の甍」の図録には
さまざまな鬼瓦や飾り瓦に交じって、二体の鍾馗さんが掲載されています。

さんろくさんはこの情報をもとに、現在でもこの鍾馗さんが保存されていることを
突き止め、我々の訪問の段取りまでつけてくださいました。

安曇野からはずいぶん遠いですが、今回のツアーの始まりは
外からは見ることのできない、収蔵鍾馗さん訪問からスタートです。

1体目は小河原新田町のAさん宅。
図録では屋根にのっています。

図録より
(「須坂の甍」より転載)

ところが、家の建て替えの際に降ろされて、
現在では玄関の土間に置かれていました。

須坂市小河原新田町の鍾馗さん

ひびが入っているので動かすに動かせないそうですが、
大事にされていました。
信州に多い素朴な鍾馗さんとは完全に一線を画して、
均整が取れた高い技術を感じる鍾馗さんです。

うっかり聞き忘れましたが、さんろくさんはどうやって探し当てたのでしょう?


つづいて二体目は市街地中心部・穀町のMさん宅。

腰から下が欠損していますが、それでも50cmくらいある堂々たる鍾馗さんです。
蔵に収蔵してあるのを出してきていただきました。

須坂市須坂の鍾馗さん
(立派な鍾馗さんを前に色めき立つツアーメンバー)

現在も瓦関係の商売をやっておられますが、
先代までは瓦製造も手がけておられたそうで、
さんろくさんの聞き込みによれば、M家に招かれた三州の鬼師、
神谷喜三郎の作品ではないかとのこと。

須坂市須坂の鍾馗さん・彩色の痕跡

剣はぶっとい金属製。耐久性を考えると正解ですが手がこんでいます。

また、細部には、茶、緑、黄の彩色の痕跡が残ります。
いったいどんなに華やかな鍾馗さんだったのでしょうね。

他にもこちらには様々な瓦が保存されており、Mさんはわざわざ事情に詳しい
親戚の方にも声をかけていただき、貴重なお話を伺うことができました。


さらに、近くの神林家、今井家(蝶の民族館)を訪問しましたが、
先の予定もあって駆け足となり、先方にはちょっと申し訳ないことをしました。


Aさん宅でもMさん宅でも物好きの訪問に対し、
嫌な顔もどころか逆にご親切におもてなしまでいただきました。
須坂の人の親切さに触れ、いきなり暖かい気持ちになったところで午前の部は終了。慌しく須坂を離れましたが、またゆっくりと訪問したいところです。

2011/11/5・6 安曇野ほか その4 麻績宿2011年11月22日 22時39分21秒

初日の午後は須坂から引き返して、麻績村へ。

善光寺西街道の宿場として栄えた歴史を持ち、
現在でも街道集落の風情を残しています。

詳しくはさんろくさんの紹介を。

街道沿いのお宅にまず1体。
麻績宿の鍾馗さん

細身のバイオリニストといった風情。

屋根瓦は葺き替えられて新しくなっていますが、鍾馗さんは残された。
信州ではこのパターンが多くて、果報者の鍾馗さんにほっこりします。

麻績宿の鍾馗さん

反対から見るとやや凶相。寄らば切るぞ。


麻績宿の鍾馗さん

宿場の外れに近いところでもう1体。
これまた素朴な細工が好ましい、信州らしい鍾馗さんです。
右手に花を持っているみたいに見えますが、これは刀の鍔(つば)。

こちらのお宅の瓦は良く見ると表面の肌理が荒い。
よくわかりませんが、ひょっとしてコンクリ瓦?

麻績宿の鍾馗さんと紅葉

撮影しているときは鍾馗さんに夢中になっているのですが、
背景には色づいた里山。これも信州ならではですね。


麻績宿の恵比寿さん

麻績宿ではこんなのも。
この家も飾り瓦を残してくれました。
ただ、この恵比寿さまは微妙だな。

2011/11/5・6 安曇野ほか その5 西条、乱橋、四賀中川、取出2011年11月23日 23時39分10秒

麻績宿から善光寺西街道を南下します。

筑北村西条
西条の鍾馗さん

ちょっとシンプル過ぎでしょうか。鍾馗だと見ればそう見えてきますが。


筑北村乱橋大門
乱橋大門の鍾馗さん

かなり峠に近い山里。こんなところにも鍾馗さんがいることに感嘆します

風越峠を越えて、松本市(旧四賀村)に入ります。

松本市中川
松本市中川の鍾馗さん

道路からはかなり遠く離れたお宅。
下見のときに車中からnaoさんが見つけたそうですが、
これは普通見つからないと思います。さすがは視力2.0。
動体視力も高いんでしょうね。

松本市中川の鍾馗さん

ここも背景は紅葉。
余談ですが、このお宅のように、大棟の装飾を兼ねて丸瓦を互い違いに重ねる
葺き方、特に隙間を残して向こう側が見えるように葺かれた屋根が大好きです。
松本平ほか信州ではごく普通に見られますが、東海・近畿ではほとんど見られません。


松本市中川
松本市取出の鍾馗さん

こちらのお宅は大棟にも量産型が1体。

松本市中川の鍾馗さん


松本市取出
松本市取出の鍾馗さん

これとよく似たタイプは今回のツアー中、あちこちで目にしました。
ただし手作りのようでまったく同じ鍾馗さんはなく、それぞれが個性を主張しています。

2011/11/5・6 安曇野ほか その6 会田宿2011年11月24日 23時12分45秒

つづいての訪問地は善光寺西街道・会田宿

善光寺西街道は中山道・洗馬と北国街道・信濃追分を結ぶ脇往還。
江戸時代は東海、関西方面から善光寺を詣でる人たちで賑わったと思われます。

会田宿もその宿場のひとつです。宿場町はかなりの急坂沿いに伸びており、
その先の立峠につながっていきます。
今回訪ねてみて、街道全体がずいぶん険しい道であることを実感しました。

立峠の他にも険しい峠がいくつか控えており、長距離のウォーキングに多少は自信のある管理人もちょっと勘弁して欲しい行程です。

松本から長野へ向うのであれば、現在の国道19号線、犀川沿いを下ったほうが
多少距離は長くても、はるかに平坦だと思います。
当時は川沿いに道を通すことができなかったのでしょうか?
それとも多少の峠道が気にならないほど、江戸時代の人は健脚だったのでしょうか?

それにしてもやはり難儀な道には違いなかったようで、
明治に入って犀川沿いの道路が整備されると
善光寺西街道沿いの宿場は急速に寂れたようです。


会田宿の鍾馗さんたち。いずれも手びねりです。

会田宿の鍾馗さん1
家の方が脚立を出してきてくれた。

会田宿の鍾馗さん2
軒下・曇天と悪条件で・・・

会田宿の鍾馗さん3
土人形のような素朴な風情

会田宿の鍾馗さん3
隣の五常にはこの鍾馗さんの兄弟が二人。鬼の首を持っている。

会田宿の鍾馗さん5
サーファー鍾馗さん(さんろくさん命名)

いずれもさんろくさんの発見。