2013/12/14~15 阿波国鍾馗巡礼 二日目 ― 2013年12月24日 00時31分15秒
二日目は吉野川の北側の撫養街道を鳴門から土成まで、31kmほどを歩きます。
ゴールの土成町に宿を取り、車は宿に預けて、バスで起点の徳島駅経由鳴門に向かう予定で宿から10分足らずのバス停に着いてみると・・
あらかじめ調べておいた便はなんと日曜運休 (*_*;
次のバスは一時間後。まだ真っ暗な田舎のバス停で呆然。
最寄りの鉄道駅は鴨島駅ですが吉野川を越えて3km以上あります。
といっても何もない暗い寒いバス停でぼんやりと一時間を過ごすわけにもいかず
電車の時間を調べると7時5分発というのがあって、
連絡もよく鳴門には8時ちょっと過ぎに到着と、バスで予定通り行くより早く着けることがわかりました。
ただし、既に6時35分で3.2kmを30分で歩かないと間に合いません。
これはかなりのハイペースですが、迷わず歩き始めました。
吉野川の長い橋を歩いて渡りました。朝焼けです。
なんとか間に合いました。いきなりつまづきましたが我ながらナイスリカバリー。
スマホさまさまです。
早く着いたので、鳴門駅から街道を少し戻って東の方へ。
鳴門市林崎。後ろは妙見山に撫養城。
探索は太陽に向かうか、背にするかで見つけやすさも疲れ方もまるで違います。
私はいつも太陽を背に、東から西に向かって歩くようにしています。
撫養の街中は古い家が数多く残っていましたが、鍾馗さんの姿は見当たりませんでした。
謎の鏝絵 「造車■」 何でしょう?
歩き始めて約10kmの鳴門市姫田は古くからの瓦産地。
歩いたルート沿いにも「鬼一製瓦」といった気になる屋号の瓦屋さんがあって
通りすがりで倉庫の中を眺めたりもしたのですが、目を引くものはありませんでした。
帰って師匠に報告すると、姫田の三木さんという瓦屋さんでは、
大阪/奈良あたりでよく目にする#0063の鍾馗さんを作っておられると
教えていただきました。
三木製瓦所という瓦屋さんも地図では見ていたのですが、街道からちょっと奥まったところにあるのでスルーしてしまいました。しまった。
姫田から少し行った、池谷駅(鳴門線の分岐駅)前で本日最初の鍾馗さんを発見。
だいぶ摩耗していますが、#0063の一種で
博物館では住吉区住吉の鍾馗さんと同じ、レアな型物です。
これまた玄関扉の上、お札を貼る位置に置かれています。
この後、連続して鍾馗さんが見つかり始めました。
上の鍾馗さんとシルエットはそっくりですが、これは恵比寿さん。
鳴門市大麻町萩原アコメン
鳴門市大麻町坂東
これは#0111ですが、#0063とは兄弟分。
鬼の顔が見えているのは初めて見ます。
鳴門市大麻町桧道ノ北
#0111の標準タイプですが、関西では釉薬の乗ったものを見ることはありません。
板野町川端
大阪、奈良に多い量産品#0135です。あまりに立派なお宅で玄関が遠いので
ぼけてしまいました。
板野町犬伏
正面から撮影できなかったのでわかりにくいですが、#0650だと思います。
発見数は少ないのですが型物です。
ここまでの鍾馗さんは一日目と違ってすべてが型物で、
産地は淡路島か地元のようです。
また、知られている分布圏はいずれも大阪・奈良が中心の鍾馗さん。
昨日の、由来不詳の鍾馗さんたちとは違って、
関西圏の鍾馗文化が街道沿いに伝わってきたのではないかと想像します。
それにしても、なぜ徳島では揃いも揃って玄関に鍾馗さんがいるのでしょうか。
他の地域でも見られますが少数派で、普段の探索でもあまり玄関周りには注意を払っていませんでした。
瓦の鍾馗が普及する以前は、鍾馗札といって印刷された鍾馗像を戸守りに貼る風習が盛んだったと聞いたことがあります。
鍾馗札の代わりに瓦鍾馗が普及したのだとすれば、
お札を貼る玄関先に瓦鍾馗が置かれるようになったのは自然なこととも言えますが、
それでは関西ではなぜ小屋根や棟に置かれるようになったのか説明できません。
妄説ですが、民家の構造からの推理をひとつ。
目に見えない外敵から家を守るのが鍾馗さんの役目なので、
置き場所はなるべく周囲四方に目が届くところがいいと思われます。
なので、一番いいのは大棟のてっぺんで、東海地方ではこの置き方が多い。
いっぽう京都などでは一階の小屋根の上に置かれることが多いのですが、
これは道の狭い町場ならではで、大棟の上に置いたのでは全然見えないのです。
家人からも見えないのではいくらなんでも面白くないので、京都では通りに面してよく目立つ小屋根の上に置かれるようになったんじゃないかと思っています。
それでは徳島県ではというと、この地方の伝統的な民家は写真のような姿です。
「四方蓋造り」といわれていて、茅葺き屋根の下に傾斜の緩い瓦屋根を付けたような形態です。今はトタンがかぶせられているものがほとんどですが、
減ったとはいえ徳島県内では時々目にします。
この屋根に鍾馗さんをあげようとしても草葺きと瓦屋根の間にはほとんど空間がなく、
あげる場所がないのです。
やむなく玄関周りにあげるようになり、四方蓋造りが減って一般的な入母屋造りに変わっても鍾馗さんの置き場所としては玄関周りが一般的になったと。
まあ、スルーしておいてください(^^ゞ
この後、しばらく鍾馗さんの姿が途絶え、ひたすら足を前に進めるだけの探訪となり
30kmを超えて足を引きずり出した頃、一体の鍾馗さんが待っていてくれました。
阿波市吉野町柿原
シンプルで飾り気のない鍾馗さんですが初めて見るものです。
小さく典型的な四方蓋造りの家にありました。
ようやく土成町の宿に戻ってめてたく満願。
初めての四国巡礼は車での移動が800km、歩きが二日で60kmと
なかなかハードでしたが、実り多いものでした。
またそのうち、行ってみたいと思います。