2009/2/13 伊勢本街道からあちこち2009年02月15日 20時32分47秒

吉野町山口の鍾馗さん
先週以来の靴ずれの直りが悪く、あまり歩きたくなかったので
今週は自動車でのぐうたら探訪です。
歩いてはさすがに行きづらいような、三重・奈良県境の奥地を
一気に回ります。

勢和多気ICを降りて、かつて水銀採掘で栄えた丹生の町並みが今日の起点です。
その後は伊勢本街道に沿って、奥へ奥へ。
どこまで行っても集落が現れること、
かつては往来が激しかったと言われるわりには
険しい峠道があることに驚きました。
昔の人は足が丈夫だったのですね。

上多気、伊勢奥津を経由して奈良県へ。
御杖村、曽爾村など、こんな機会でもなければ
生涯訪れる機会はなさそうなところを通過します。
ところどころの集落をのぞき見ますが残念ながら鍾馗さんは見つかりません。
途中で伊勢本街道を離れ、大宇陀へ。
ここは何度も訪問したところですが
お気に入りの鍾馗さんがいくつかあり、写真を取り直しました。

さらに南へ向かい吉野町へ。
未訪の佐々羅周辺で鍾馗さんを捜し歩きました。

帰りは多武峰、榛原を経由し、都祁付近を流して帰路へ。

本日の走行距離は450km近く。
ガソリンは沢山使いましたが収穫はそこそこ。
もう少し落ち着いてゆっくりと探訪すべきですね・・

鍾馗とは?2009年02月15日 23時53分24秒

吹田市山田東の鍾馗さん
改めて、このブログのテーマである「鍾馗」さんについて。

私が追いかけている鍾馗さん、民家の屋根に置かれており
いわゆる魔除けの役目を持っています。

Wikipedia - 鍾馗

お札「鍾馗札」として玄関先に掲げられている場合もありますが、多くはここで紹介しているような、瓦製の人形であり、屋根のてっぺん(大棟)や一階の小屋根の上に置かれています。

日本全国で見られるわけではなく、近畿地方を中心に東海地方までに分布は限られ、関東、信越や中国四国地方以西ではごくまれに見られるのみとなります。

歴史的には19世紀初め頃からの風習のようで、それほど古いものではありません。
特に民家に置かれる性格上、古いものは残りにくい宿命にあります。

瓦は重量があるためか、かつては日本各地に瓦屋が存在し、地元で使う瓦をまかなっていたらしく、結果、鍾馗さんも地方色豊かで、鬼師(鬼瓦専門の瓦職人)や素人同然の職人さんが製作した個性的な「鍾馗さん」が今でもそこここに残されています。
しかしそういった零細な瓦屋さんも淘汰され、近年では個性的な鍾馗さんが産み出される背景は失われています。
さらに悪いことに日本の民家の寿命は短く、貴重な鍾馗さんも年々失われていっているようです。
古い家の場合、先代が建てた場合もあり、私が写真を撮っているのを見て、初めて自分の家に鍾馗さんがいることに気がついた、という方が少なからずいらっしゃいます。
建替えの時には省みられることもなく、棲家と運命を共にする鍾馗さんは数知れないことでしょう。
鍾馗を探し歩きながら、新築の家々を前にして「後30年早ければ」といつも感じています。

これまで、瓦鍾馗を研究された方は数少なく、どこにどんな鍾馗さんがあるのか、詳しくしらべた資料は存在しないようです。

等々、鍾馗さんを取り巻く状況は厳しいものですが、今日もあちこちの屋根の上で、鍾馗さんは踏ん張って鬼を見張っておられます。

このブログが、ささやかでも残された鍾馗さんに光をあてることにつながればと願います。