2012/4/29 長野探訪記 1日目 屋代→須坂 ― 2012年05月02日 23時40分08秒
ゴールデンウィークの探訪先候補をいくつか挙げていたものの、
なかなか決められないうちに目前に迫ってきた中、
直前の水曜日に、出版でお世話になった淡交社のⅠさんから
メールが入り、出張中の長野市で鍾馗さん発見のお知らせでした。
長野も候補地のひとつだったため、これで行き先は決定。
一泊二日で長野市周辺の善光寺平をたっぷり歩いてきました。
4月29日(土)の探訪コースはしなの鉄道・屋代駅(千曲市)から
長野電鉄・村山駅(須坂市)までです。
夜中に自宅を出発して長野到着は朝6時。
長野駅近くのホテルの駐車場に車を止めて、電車で屋代駅に向います。
この日のコースは千曲川右岸を長野電鉄屋代線にほぼ沿う形となります。
ところが、その屋代線がこの4月1日限りでなんと廃線!!
途中、何度も遮断機が取り外され、ロープの張られた踏切を渡りました。
(岩野トンネル)
(金井山駅付近)
(信濃川田駅)
まだ一か月もたたないので、いつ電車が来てもおかしくない状態でした。
今回のコースは稲荷山宿で善光寺西街道から分かれて
飯山に向う「谷街道」をたどっています。
途中、城下町の松代の他に川田、福島などの宿場町や古くからの農村集落が点在しており、時々街道みちを外れてそれらの集落に立ち寄りました。
屋代、稲荷山あたりは歩いたことがあり、松代、川田も少し探したことがあります。
ほとんど鍾馗さんは見つかっておらず、
この日の目標も、『どこかで一、二体くらいは』とささやかなものです。
この日は朝から好天。千曲川の堤防に出ると、青空の下、満開の桃の花と
まだ雪をかぶった遠くの山々がまぶしい。
左が高綱山、右が飯縄山(たぶん)
松代の町外れで量産型ながら、1体発見。
新しいお宅の新しい鍾馗さん。
この日の最高気温は29℃、歩いた距離は37km。
汗だくになって歩きましたが結局見つかったのはこの1体だけでした。
とっても風情のある旧家も数多く残っているのですが、鍾馗さん発見には結びつきませんでした。
(松代町清野)
鍾馗に関しては日照りの一日を、あちこちで満開の花々が慰めてくれました。
ここでは果樹の花をいくつかご紹介。
この日一番目立っていたのがモモ。この花は淡い方ですが、もっと濃いピンクの花が満開を迎えていました。
リンゴの花。つぼみは濃いピンクですが咲くと白くなります。
まだ咲き始めたところでした。
これはナシだと思います。真っ白で少し皺のよった清楚な花。
これはスモモじゃないかと思います(あまり自信なし)
他より小さく、花弁も細めで涼しげです。
日も長く、少し余力もあったので長野市街に戻ってから、一時間ほど善光寺の門前町を歩いてみました。戦災がほとんどなく、関東風の巨大鬼瓦を構えた蔵造りの商家がかなりたくさん残されていましたが、鍾馗さんは見つかりませんでした。
これを見つけたときは心で快哉を叫びましたが、
狛犬のようですね。
2012/4/30 長野探訪記 2日目 姨捨→丹波島 ほか ― 2012年05月08日 22時52分15秒
長野探訪の一日目は、思惑とは裏腹に花と廃線探訪三昧になってしまいました。
二日目はリベンジではないですが、先達の追っかけで確実に鍾馗さんを採集します。
予定は三部構成で盛りだくさん。
第一部はさんろくさんのご案内で筑北村:旧坂井村の鍾馗さんを案内いただきます。
(筑北村坂井)
(筑北村坂井)
(番外・安宮神社拝殿の天武像:鍾馗さんではないそうです)
詳しい説明はこちら(安曇野ハーブスクエアだより)をごらんください。
朝、二時間足らずの慌しい探訪でしたが、ゴールデンウィークの書き入れ時に
お時間を割いていただき、ありがとうございました。
第二部は旧街道をたどります。
さんろくさんと別れたあと、篠ノ井線で姨捨まで戻り、
田毎の月で知られる棚田の脇を下って善光寺西街道を北へ向かいます。
八幡、稲荷山など街道風情の残る町並みをたどりながら
篠ノ井追分で北国街道に合流します。
長野の手前が丹波島宿。ここにはまとまった数の鍾馗さんが残されています。
姨捨の手前の麻績宿でも鍾馗さんが見つかっているので、その間でもと
期待したのですが、この間では鍾馗さんを見つけることはできませんでした。
訪問の直前、淡交社の I さんから、丹波島宿の少し手前、下氷鉋の集落で
鍾馗さんを見つけたという情報が入ったのでさっそく訪ねてきました。
ご覧の通り、とても凝った作りの立派な鍾馗さんでした。
そして丹波島宿のこちらの鍾馗さんにそっくり。
どう見ても同じ鬼師さんの作品です。
この他に丹波島宿には六体の鍾馗さんが知られています。
こちらの鍾馗さんは街道からは見えません。
上の鍾馗さんと対になっていて、裏側にあります。
さんろくさんは家の方の許可を貰って庭から顔を捉えています。 →こちら
この鍾馗さんは知る限り2回引っ越しています。→こちら参照
こうして並べてみても、変化に富んだ魅力的な鍾馗さんが揃っています。
これを見ると、周辺にもまだまだ鍾馗さんが隠れているに違いないと
思ってしまうのですが、今のところ世の中そうは甘くないといったところです。
第三部は車をちょっと飛ばして中山道茂田井宿。
ここも最近、naoさんとさんろくさんが鍾馗さんを3体発見しているので
追っかけです。
いずれも鬼瓦と一体焼成で、丹波島の鍾馗さんと比べても
小ぶりでかわいらしいですね。
最後の鍾馗さんの揚がっていたお宅にはこんな瓦もありました。
施工の仕方もよく似ているので、同じ時期に葺かれたように思えます。
紀元二千五百六十年といえば1900年(=明治33年)
安曇野でもこの頃作られたと思われる鍾馗さんがいくつかあって、
信州で鍾馗さんブームが起こっていたのかもしれません。
二日間で約70km。久々によく歩きました。
悲しい気持ちは記事にして紛らわす・・ ― 2012年05月20日 15時19分32秒
昨日は三重県を探訪していましたが、最後に残念なことが。
ごく新しいお宅の屋根に小さく何かのっています。
もちろん鍾馗さんで、こんな感じです。
#0098 よく見られる量産品。
これだけならどうということない鍾馗さん発見ですが、
実はこのお宅が建つ前は
この鍾馗さんがあったところなんです!!
かなりお気に入りの鍾馗さんで、みちくさ学会はじめ、いろいろなところで
これまで紹介してきていますので、見覚えのある方もいらっしゃるのでは。
2008年当時の状態です。
家の全景は撮っていないのですが、
ご覧の通りかなり古いお宅の
ちょっと変わった位置に置かれていました。
探訪の帰りに、元気かな~と思って車で立ち寄ったのですが・・
家ごと影も形もありません。
建て替えで鍾馗さんも新しいものに取り替えた模様です。
呼び鈴をならして安否を確認する気にもならず、
そのまま帰りました。
こうして失われる鍾馗さんを数々目にしてきていますが
お気に入りだっただけに今回はかなりショック。
帰宅してからも
「家の中に保管しておられるかも」とか
「呼び鈴をならして確かめて凝ればよかった」とか、うじうじしています。
2012/5/12 信貴山西麓再訪 ― 2012年05月21日 22時49分08秒
大阪府の東端、奈良県との境に連なる生駒山地のふもとを南から北へ歩いてきました。
近鉄大阪線の安堂駅から奈良線瓢箪山駅まで、直線距離では10km足らずのところ、あっちへふらふら、こっちへふらふらと約20km。
この区間、東高野街道という由緒ある古道が走っていますが、現在は国道170号線として、狭くて歩道も未整備なところを結構クルマが通ります。少し歩いてみたものの、とても古街道歩きを楽しめるような代物ではないので早々に退散して、主に街道の東の山側に点在する古い集落を縫い歩きます。
ちょうど6年前にもほぼ同じコースを歩いているので、今回は当時見つけた希少鍾馗さんたちの健在確認が主目的で、あわよくば新発見がないかなぁと期待。
この時期にしては朝は結構冷え込みましたが、すっきり晴れて新緑も鮮やかな
歩くには最高の日になりました。
これといった観光名所はありませんが、風格のある古民家の建ち並ぶ集落と
その間にはなだらかな斜面に畑が広がってのびやかな風景。
奈良の山之辺の道を思わせるぶらぶら歩きにはもってこいのところだと思います。
主だった鍾馗さんは皆健在で、ほっとしました。
柏原市太平寺
八尾市服部川
八尾市楽音寺
東大阪市六万寺町
2012/5/19 参宮街道 明星~漕代、久居 ― 2012年05月22日 22時36分55秒
今回の探訪は二つのサイトに触発されてのおでかけです。
瓶底眼鏡さん運営のサイトに鍾馗さん探訪記があるのを最近発見しました。
参宮街道 明星・斎宮間の鍾馗さんを丹念に拾い集めているのに驚きました。
このあたり、自分も二度歩いたことがあり、伊勢方面では随一、鍾馗さんが数多く見られるところなのは知っていましたが、見覚えのない鍾馗さんがいくつか載っています。
これは行かなきゃねー
近鉄明星駅を起点に斎宮を経由して漕代駅まで、途中街道を外れてJR多気駅付近までの大迂回をはさんで歩きました。主に明和町内になります。
長閑ながらも、かつて伊勢参りの人たちが行きかって賑わった街道の雰囲気を残す風格のある家がたくさん残っていて、歩いていても楽しいところです。
ただし、抜け道にするのか、結構自動車が多いのが難点。
この街道筋で18体を確認。
瓶底眼鏡さんによれば、あと2体がどこかにあるはずですが見つけられませんでした。
大迂回した農村集落では残念ながら鍾馗さんは見つかりませんでした。
瓶底眼鏡さんの言うとおり、この街道沿いの鍾馗は大部分が突き当たり鍾馗でした。周辺ではどちらかというとお寺鍾馗が多く、なぜこの一角だけ突き当たり鍾馗となったのか、想像がつきません。
この区間でなんと言っても特徴的なのは、博物館で #737 として分類した福耳の鍾馗さんでしょう。
よく似ているけれど皆少しづつ違っていて、こうして並べてみても楽しい。
伊勢市から津市までの間で見つけていますが、このあたりに集中していて、
このあたりの瓦屋さんで作っていたのかもしれません。
この鍾馗さんだけは、ポーズはよく似ているものの、他とは別系統だと思います。
上の鍾馗さんたちを真似てつくったのではないかと想像します。
2.「津地域ガイド紹介」
津市久居(旧久居市)へ移動。
津市域のボランティアガイドのホームページで、この中の1ページに久居の鍾馗さんを紹介するページがありました。
冒頭で写真が紹介されている鍾馗さんは見たことがなく、なかなか立派そうです。
久居のどこか、というだけで大きな破風を背にしていることだけを手がかりに
推理を巡らせ久居の古い町並みを探索します。
ちょっと車で市街を流しますが、本町、二ノ町といった中心部には平入りの家が多く
写真のような入母屋の破風が見える家は少ないので、
中心部ではなく少し外れたあたりから探し始めました。
推理は的中して歩き始めて30分ほどで発見!
旧市街地の北の外れあたりの豪邸にあがっていました。
髭の感じはちょっとこちらに似ていますが、
腕の筋肉や手が写実的で、ずいぶん立派な鍾馗さんでした。
まだ少し時間があったので、津市郊外のお気に入りの鍾馗さんに
ご挨拶のつもりで立ち寄ったところ、悲しい結果になりました。
寄らない方が良かったな。
2012/5/27 八幡系ツアー第二回 ― 2012年05月30日 21時33分08秒
第一回から早いもので一年以上たってしまいましたが、
日曜日に八幡系ツアー第二回を決行しました。
前回と同じ野洲駅を起点に、竜王町→東近江市蒲生町→日野町→甲賀市土山町→甲賀町と巡って、本当はさらに野洲、守山と向う予定でしたがここまでで時間切れとなりました。
いずれ詳しくはおとんさんが記事化していただけると思いますので、
私のほうはつまみ食いのトピックスで手を抜かせていただきます(^^ゞ
(竜王町山之上)
以前の写真はこんな感じ。
今回は幸運にも向いのお宅の裏庭に入れていただけたので、
正面から撮影できました。
(甲賀市土山町南土山)
面長な顔に鋭い眼光で精悍な表情。まれに見るかっこいい鍾馗さんです。
伊賀市のこちらに雰囲気がとってもよく似ていて、おそらく同じ作者の手になると思います。
(伊賀市西湯舟)
この写真では隠れていますが、知恵の輪みたいな腰紐の結び目もそっくり。
(甲賀市甲南町池田)
以前に見つけた下の鍾馗さんと同じ家、すぐ後ろにあがっていたのに
見落としていました。われながらお粗末です。
表情がちょっと違いますが、この二体も同じ人が作ったものでしょう。
今回もまた繰り越しがでてしまいました。第三回はこの秋に開催しましょうね。