記憶をたどって ― 2017年12月13日 23時11分30秒
(国会図書館ホームページより転載)
昨日の中日新聞夕刊に戦後まもなくの名古屋の風景を含むアーカイブが
国会図書館のHPで閲覧できるという記事を読み、さっそくアクセスしてみました。
モージャー氏撮影写真資料 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10756455/1
戦後まもなく来日した米国人の撮影した日本の写真が300枚ほど掲載されていて
名古屋に縁があったらしく、このあたりの風景もたくさんあったので
興味深く眺めていました。
その中で上の写真に目がとまりました。
キャプションには『焼け跡に残る工場 (場所不詳) 』とあるのですが
関連しそうな記憶があったのです。
アーカイブの209枚目になります。
私は昭和36年名古屋市守山区生まれ。(当時はまだ守山市)
子供のころのハレの買い物は、名鉄瀬戸線(せとでん)に乗って大曽根や大津町まで
行ったものです。
当時~昭和40年代の大曽根商店街の賑わいはすごかった。
その頃、瀬戸電が矢田川を渡るあたりから、車窓に"2本"並んだ大きな煙突が目につくようになります。いかにも古くて薄黒くて大きく、子供ごころに不吉な雰囲気を感じたものです。
ある日、車内で一緒だった母がちいさな私に、
こんなことを話してくれたのを鮮明に記憶しています。
『あの煙突、今は2本しかないけれど、前はもう1本、間に立っていたんだよ。
戦争で被害を受けたので、取り壊されちゃった。』
大曽根から矢田の間は三菱系の工場があったところで、現在も大曽根駅の東隣りは三菱電機が操業中ですが、そのまた東側はすっかり再開発されて現在は名古屋ドームやイオンとなり、まったく面影がありません。
ここは当時、三菱重工の名古屋発動機製作所というのがあって、
航空機のエンジンを作っていたために恰好の空襲の標的となったそうです。
上に掲載した写真を見てみると、中央の煙突に大きな穴が開いています。
煙突の用は足さないし危険なので、壊されるのは当然でしょう。
私が昭和40年代に見ていたのは、真ん中の煙突が取り壊された後の状態ということになります。
国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスで
当時の様子がわかる航空写真を見つけました。
http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=1170892&isDetail=true
(1946年5月28日 米軍撮影)
写真中央下部に三本煙突の影がくっきりと写っています。
現在の位置では名古屋ドーム北側の駐車場あたりになります。
位置 https://goo.gl/maps/LKhkXgaDPzy
この辺りの記憶が確かな父を先月亡くしました。
この話をしてくれた母は健在ですが認知症が進み、
こうした話が聞けることはないでしょう。
後悔先に立たず。