2014/1/26 河内長野2014年01月30日 23時11分15秒

25日に引き続き、26日も小林さんの追っかけをしました。
この日は河内長野市。天野山金剛寺付近を探索したのち、日野、高向などを経由して
河内長野駅に向かいます。

この日の同行はおとんさんおひとり。おとんさんは先行して金剛寺付近を探索しておられ、かなり初見の鍾馗さんがあったと伺っていました。
また前日の大豊作の余韻もあり、相当な期待を持って臨みました。
この日の天気予報は朝のうち雨が残るものの、早いうちにあがって回復するとの
ことだったので、歩き始めるころにはやんでいるだろうとたかをくくっていたら
なかなかやむ気配がありません。厚い雲が垂れ込めているので光量不足で
ただでさえ薄暗い軒下にあることが多い鍾馗さんの撮影には致命的な条件。
結局昼まで、降ったりやんだりの肌寒い天気が続きました。

金剛寺以北の天野街道および東側に並行する丘の上の道で
見かけた鍾馗さんたち

河内長野市天野町の鍾馗さん

河内長野市天野町の鍾馗さん(画像処理前)
オリジナル状態はこんな感じ(^^; 
シャッタースピードは15分の1秒、これ以下で撮影した写真は全滅でした。
画像処理を念頭に、アンダーは覚悟で写してみました。
で、画僧処理をしてみると
河内長野市天野町の鍾馗さん(画像処理後)
なんとか鍾馗さんが姿をあらわしましたが、画質はざらざらです。

結局おとんさんが別の日に撮影した写真を拝借することにしました。
河内長野市天野町の鍾馗さん(おとんさんより拝借)

次の鍾馗さんも同じです。
河内長野市天野町の鍾馗さん(画像処理前)
画像処理前の状態

河内長野市天野町の鍾馗さん(画像処理後)
画像処理後。そもそもピントも合ってない(T_T)

河内長野市天野町の鍾馗さん
おとんさんからの借り物。
トックリバチに好まれ過ぎてますね。取ってあげたい。

河内長野市天野町の鍾馗さん

河内長野市天野町の鍾馗さん

河内長野市天野町の鍾馗さん

ここまでが天野町です。ずいぶん珍しい鍾馗さんが見つかりました。

ここからは私もおとんさんも初探訪ですが、いきなりの雨の峠越え。
民家もないので、しばらくは二人黙々と歩きます。
集落にたどりついても、昨日とは違ってなかなか鍾馗さんが見つかりません。

河内長野市高向の鍾馗さん
河内長野市高向

河内長野市高向の鍾馗さん
河内長野市高向
この鍾馗さんは小林さんが見つけておられます。
ほとんど寝たきり鍾馗さん。
起こしてあげたい。

河内長野駅までの道のり約10kmで目にしたのは
結局、上の二体と量産品が一体の計三体。

本当は河内長野駅からさらに山を越えて龍泉方面まで足を延ばす予定でしたが
二人ともすっかり気力がなくなってしまい、駅前でランチして
そのまま解散することになりました。

前日のような、数年に一度の大当たりもあれば、この日のようなちと辛い日もある。
行ってみないと本当にわからないのですが、この、先が見えないところが
鍾馗探しの醍醐味でもあります。
いや、負け惜しみでなく。


2014/1/25 富田林2014年01月29日 22時09分15秒

Facebookの「友達」小林さんが最近大阪南部で珍しい鍾馗さんを
たくさん見つけておられます。

それに触発されて、おとんさん、雪だるまさん、onigawaraさんお誘いして、
滝谷不動駅から彼方、佐備、西板持町、山中田町、北大伴町と
富田林市内を巡ってきました。
暖かい陽気にも恵まれ、ここ数年では記憶がないほど、
次々と貴重な鍾馗さんを見つけることができました。

とり急ぎ、主だった鍾馗さんの写真をアップします。

1.錦織中、錦織南

富田林市錦織中の鍾馗さん

富田林市錦織中の鍾馗さん

富田林市錦織南の鍾馗さん

富田林市錦織中の鍾馗さん

2.彼方

富田林市彼方の鍾馗さん

富田林市彼方の鍾馗さん

富田林市彼方の鍾馗さん

富田林市彼方の鍾馗さん

3.佐備

富田林市佐備の鍾馗さん

富田林市佐備の鍾馗さん

上の二体は同じ家の裏表ですが、様式がまったく違います。

富田林市佐備の鍾馗さん

富田林市佐備の鍾馗さん

富田林市佐備の鍾馗さん

富田林市佐備の鍾馗さん

上の二体も同じお宅ですが、作者は違うと思います。

富田林市佐備の鍾馗さん

富田林市佐備の鍾馗さん

富田林市佐備の鍾馗さん

この上の二体も同じお宅。これは同一作者でしょう。

富田林市佐備の鍾馗さん

上の二体と同じお宅。
顔の剥落が残念。量産品風の造りですが初めて見る鍾馗さん。

富田林市佐備の鍾馗さん

富田林市佐備の鍾馗さん

この二体も同じお宅。ほとんどそっくりですが、間違い探しレベルの違いがあります。

4.西板持町

富田林市西板持町の鍾馗さん

富田林市西板持町の鍾馗さん

富田林市西板持町の鍾馗さん
再録(#465

富田林市西板持町の桃太郎
再録(#464
左手に持つ札に「日本一」と書かれており、桃太郎で間違いなさそうです。
(顔が気持ち悪すぎますが・・)

富田林市山中田町の鍾馗さん
再録(#463

5.北大伴町

富田林市北大伴町の鍾馗さん
#937に分類

富田林市北大伴町の鍾馗さん
再録(#467

富田林市北大伴町の鍾馗さん
#145に分類

富田林市北大伴町の鍾馗さん
再録(#466

2014/1/18 和泉、阪南、泉南2014年01月23日 23時34分03秒

1月18日は大阪へ遠征。
最近、平日になかなかコースを練る時間がなかったので
昔、予定して行きそびれていた、ちょっと半端なコースを引っぱりだしてきました。

午前中は泉北高速・和泉中央駅から阪和線・和泉府中駅までの約10km。
池田下町、阪本町、芦部町、観音寺町 、桑原町、黒鳥町、府中町と
古い民家が多く残る町を鍾馗さんを尋ねて歩きました。

まったく鍾馗さんを目にすることができないまま、しばらく虚しく歩きましたが
観音寺町で今日最初の鍾馗さんに遭遇。

和泉市観音寺町の鍾馗さん
和泉市観音寺町
新種

この後は黒鳥町で量産品5体を発見して、午前の部は終了しました。

阪和線で南下して山中渓駅で下車。
午後の部はここからジグザグに、南海本線・岡田浦までの約15kmを歩きます。


和泉鳥取駅付近で見つけたのは、この人の後ろ姿。
阪南市和泉鳥取の大黒さん

こういう棟端鬼瓦に何か見つけた時は反対側もチェックするのが鉄則です。
反対側を見てみると、
阪南市和泉鳥取の鍾馗さん
丁寧に作られた感のあるよい鍾馗さんですが、正面に回ることはできません。

それにしても、鍾馗さんと大黒さんのペアというのは珍しく、
初めて見たように思います。

同じお宅の玄関にはさらにもう一体。
阪南市和泉鳥取の鍾馗さん

こちらは対照的に素朴な造り。
軒下で暗く、はっきり写せなかったのが心残りです。

泉南市樽井ではペアの鍾馗さん。
泉南市樽井の鍾馗さん

泉南市樽井の鍾馗さん

一件の家の表と裏、破風にいました。
上の鍾馗さんは泉佐野市日根野で以前に見つけた
こちらの鍾馗さんに酷似しています。

次は泉南市鳴滝
当初予定コースではなかったのですが、道を間違えて遠回りしたところで
出会いました。怪我の功名というか、鍾馗さんとのご縁を感じるのはこんなとき。
よく待っていてくれました。
泉南市鳴滝の鍾馗さん


最後は泉南市中小路
泉南市中小路の鍾馗さん

この鍾馗さんのように、硬直したように直立する鍾馗さん、
和泉地方には多く見られるように感じます。


この日は26体を発見しました。数は多くないですが、
手びねりの味わい深い鍾馗さんがよく見られるのがこの地域の特徴。
結果的に見つかるかどうかはさておき、
期待に胸をふくらませて歩き始めるまでのワクワク感はこの地域ならでは。
期待が裏切られることもほとんどありません。

2014/1/11 矢田寺周辺、平群町の山の中、旧山城町2014年01月15日 23時40分55秒

1月11日、とっても冷え込むとの予報でしたが奈良方面へ行ってきました。
タイトルの通り、支離滅裂にあちこちうろついています。

はじめは大和郡山市の西郊、矢田丘陵沿い。
雪だるまさん、おとんさんの直近の探訪成果の追っかけです。

大和郡山市矢田城町の鍾馗さん
大和郡山市城町 #122亜種として収録

鍾馗さんに朝日があたっています。
まだ七時台、道端の水たまりはかちかちに凍っていました。

大和郡山市城町の鍾馗さん
大和郡山市城町 同じ#122の再録。

大和郡山市矢田町の鍾馗さん
大和郡山市矢田町 #1557として収録
残念ながら逆光です。

ここからは矢田寺の門前にある鍾馗さんです。

大和郡山市矢田町の鍾馗さん
大和郡山市矢田町 #257亜種として収録

大和郡山市矢田町の鍾馗さん
大和郡山市矢田町 #216亜種として収録

大和郡山市矢田町の鍾馗さん
大和郡山市矢田町 #149亜種として収録

この後は車で平群町へ移動し、初訪問となる、
信貴山と生駒山の間の山あいに点在する集落を訪ね歩きました。

10か所くらい回りましたが新種発見は以下の二体。

平群町椹原の鍾馗さん
平群町椹原 #1558として収録

平群町越木塚の鍾馗さん
平群町越木塚 559として収録

今回、量産品を含めこのあたりで八体発見しました。
このあたりは山の中。
地図上では近くに見えてもアップダウンが多くて
平地のスペシャリスト(^^;はすぐに息が切れます。


まだ時間があったので、次は県境を越えて京都府木津川市に向かいました。
ここでは雪だるまさんから情報を頂いていた二体の鍾馗さんがお目当てです。

ところが一体目、上狛の鍾馗さんはどうしても見つけることができませんでした。
目印のお寺の境内に入ろうと思ったら門扉に鍵がかかっていたので、
ひょっとしてこの中に入らないと見つからないかなと思いましたが
どうにもなりません。

ちょっと落胆して次の目的地の椿井に向かったところ、
路地の思いがけないところで、ちょっと変わった鍾馗さんに遭遇しました。

木津川市山城町椿井の鍾馗さん
木津川市山城町椿井 #1560として収録

カッパのような頭であぐらをかいています。

木津川市山城町椿井の鍾馗さん
木津川市山城町椿井 #1561として収録

雪だるまさんからの情報どおり、住まいはあきらかに無住で荒れていました。
いつ取り壊されてもおかしくない絶滅危惧鍾馗さん。

2013/12/29 姫路~竜野、倉敷2014年01月02日 23時04分28秒

もう去年のことになってしまいましたが、兵庫県内の旧山陽道を歩いてきました。

尼崎~西宮~神戸にかけては大震災の被害が大きかったこともあるのでしょうが
古い家がほとんど残っておらず、私もほとんど歩いていません。
明石~姫路は2007年1月(もう7年も前!)に歩き、
2009年8月にも平行する区間を歩きましたが、
あまり鍾馗さんを見つけることができませんでした。

ここまでの状況ではこの先を歩く気には、あまりならないのですが、
その先の太子町、龍野あたりでは珍しい鍾馗さんが結構見つかっているのです。


2007年の探訪時はまだブログを始めてませんでした。
この時の終点は山陽本線 御着駅。姫路のひとつ手前です。
ここから、太子町までの区間に鍾馗さんはあるのでしょうか?
ずっと気になっていましたので、今回歩いてみました。


米原まで高速利用で車で行き、米原からは新快速を使えば
安く楽に山陽方面まで行けるので、久しぶりに使おうかと思ったのですが、あいにくの大雪で米原付近は相当雪が積っていそうだったので、急遽新幹線に変更。
出費は痛いが楽ちんに姫路まで到着。ただし雪の影響でかなり遅れたので
姫路から御着へ戻るのはよしにして、姫路駅からそのまま西を目指しました。

旧山陽道は国道2号線、一部179号線とくっついたり離れたりしながら
それなりに旧道の雰囲気を残していましたが、残念ながら鍾馗さんには
全然会えませんでした。

太子町阿曽の
太子町下阿曽

結局新たに見つかったのはこの一体だけでした。
兵庫県の代表的な鍾馗さんである#0544です。


これで帰ってはあまりに寂しいので、足を延ばして倉敷まで行くことにしました。
「足を延ばす」と言うには距離が遠すぎますが、
愛知県から見ると姫路も岡山も倉敷も「西の方」で一括り。
なんとなく大した距離ではないと思ってしまうのです。

かなり前にこちらのブログで、鍾馗さんの存在を知ったのですが
なかなか行く機会がありませんでした。


岡山県には2008年、2011年と訪問していますが、
一体も見つけることができていません。


他力本願ではありますが、馬鹿馬鹿しいけどささやかなリベンジ。

倉敷駅から徒歩十分くらいのところにあって、すぐ見つかりました。
岡山県の初記録になります。古いものではありません。

倉敷市川西町の鍾馗さん
倉敷市川西町 #1555で収録

帰りは青春18きっぷ活用で在来線に揺られること7時間。
電車旅は好きですが、さすがに疲れました。


阿波国鍾馗巡礼余話 『デジタル漬け』2013年12月25日 00時13分34秒

鍾馗さん探しの核心は、五感を研ぎ澄ましてひたすら歩くという
とてもアナログな営みですが、準備段階も事後の整理も、ご想像どおり
デジタルの世界に全面的に依存しています。
パソコンがなかったら、インターネットや検索エンジンがなかったら、
デジカメがなかったら、恐らく自分はこの趣味やっていなかったと思います。

今回の阿波巡礼、気がついてみるとどんだけデジタル機器を持参していることか。

ある日の荷物

並べてみたらこんなに持って歩いてました。

歩数計やIpodはご愛嬌ですが、今回マイクロソフトのWin8タブレット、
SurfacePro(一番大きいのです)を持ち歩いたのがこたえました。

普段はパソコンからルートマップを印刷した地図を持ち歩くのですが
今回プリントをさぼって、これで代用。
車の移動がメインならそれでもOKなのですが、
今回のように6時間も歩いていると、1kg程度のタブレットPCとはいえ、
肩に食い込んで辛くなってきました。
歩きながら取り出して、地図ソフトでルート確認なんてことも
頻繁にやっていたのですが、そのうち落としそうで怖い。

いったいどれくらい重いのか、秤で量ってみました(^^;
タブレット SurfacePro 1127g
デジカメ coolpix P510 591g
Kindle Paperwhite 206g
スマホ 117g
ガラケー 101g
iPod nano 41g
歩数計 38g

2013/12/14~15 阿波国鍾馗巡礼 二日目2013年12月24日 00時31分15秒


二日目は吉野川の北側の撫養街道を鳴門から土成まで、31kmほどを歩きます。

ゴールの土成町に宿を取り、車は宿に預けて、バスで起点の徳島駅経由鳴門に向かう予定で宿から10分足らずのバス停に着いてみると・・
あらかじめ調べておいた便はなんと日曜運休 (*_*;
次のバスは一時間後。まだ真っ暗な田舎のバス停で呆然。

最寄りの鉄道駅は鴨島駅ですが吉野川を越えて3km以上あります。
といっても何もない暗い寒いバス停でぼんやりと一時間を過ごすわけにもいかず
電車の時間を調べると7時5分発というのがあって、
連絡もよく鳴門には8時ちょっと過ぎに到着と、バスで予定通り行くより早く着けることがわかりました。
ただし、既に6時35分で3.2kmを30分で歩かないと間に合いません。
これはかなりのハイペースですが、迷わず歩き始めました。

吉野川 阿波中央橋 2013年12月15日早朝

吉野川の長い橋を歩いて渡りました。朝焼けです。

なんとか間に合いました。いきなりつまづきましたが我ながらナイスリカバリー。
スマホさまさまです。

早く着いたので、鳴門駅から街道を少し戻って東の方へ。
鳴門市林崎 妙見山に撫養城
鳴門市林崎。後ろは妙見山に撫養城。

探索は太陽に向かうか、背にするかで見つけやすさも疲れ方もまるで違います。
私はいつも太陽を背に、東から西に向かって歩くようにしています。

撫養の街中は古い家が数多く残っていましたが、鍾馗さんの姿は見当たりませんでした。

撫養の鏝絵
謎の鏝絵 「造車■」 何でしょう?


歩き始めて約10kmの鳴門市姫田は古くからの瓦産地。
歩いたルート沿いにも「鬼一製瓦」といった気になる屋号の瓦屋さんがあって
通りすがりで倉庫の中を眺めたりもしたのですが、目を引くものはありませんでした。

帰って師匠に報告すると、姫田の三木さんという瓦屋さんでは、
大阪/奈良あたりでよく目にする#0063の鍾馗さんを作っておられると
教えていただきました。
三木製瓦所という瓦屋さんも地図では見ていたのですが、街道からちょっと奥まったところにあるのでスルーしてしまいました。しまった。

姫田から少し行った、池谷駅(鳴門線の分岐駅)前で本日最初の鍾馗さんを発見。

鳴門市大麻町池谷の鍾馗さん
だいぶ摩耗していますが、#0063の一種で
博物館では住吉区住吉の鍾馗さんと同じ、レアな型物です。

鳴門市大麻町池谷の鍾馗ハウス

これまた玄関扉の上、お札を貼る位置に置かれています。

この後、連続して鍾馗さんが見つかり始めました。

鍾馗えびす
上の鍾馗さんとシルエットはそっくりですが、これは恵比寿さん。
鳴門市大麻町萩原アコメン


鳴門市大麻町坂東の鍾馗さん
鳴門市大麻町坂東

これは#0111ですが、#0063とは兄弟分。
鬼の顔が見えているのは初めて見ます。

鳴門市大麻町桧道ノ北の鍾馗さん
鳴門市大麻町桧道ノ北

#0111の標準タイプですが、関西では釉薬の乗ったものを見ることはありません。

板野町川端の鍾馗さん
板野町川端

大阪、奈良に多い量産品#0135です。あまりに立派なお宅で玄関が遠いので
ぼけてしまいました。


板野町犬伏の鍾馗さん
板野町犬伏

正面から撮影できなかったのでわかりにくいですが、#0650だと思います。
発見数は少ないのですが型物です。


ここまでの鍾馗さんは一日目と違ってすべてが型物で、
産地は淡路島か地元のようです。
また、知られている分布圏はいずれも大阪・奈良が中心の鍾馗さん。
昨日の、由来不詳の鍾馗さんたちとは違って、
関西圏の鍾馗文化が街道沿いに伝わってきたのではないかと想像します。

それにしても、なぜ徳島では揃いも揃って玄関に鍾馗さんがいるのでしょうか。
他の地域でも見られますが少数派で、普段の探索でもあまり玄関周りには注意を払っていませんでした。

瓦の鍾馗が普及する以前は、鍾馗札といって印刷された鍾馗像を戸守りに貼る風習が盛んだったと聞いたことがあります。
鍾馗札の代わりに瓦鍾馗が普及したのだとすれば、
お札を貼る玄関先に瓦鍾馗が置かれるようになったのは自然なこととも言えますが、
それでは関西ではなぜ小屋根や棟に置かれるようになったのか説明できません。

妄説ですが、民家の構造からの推理をひとつ。
目に見えない外敵から家を守るのが鍾馗さんの役目なので、
置き場所はなるべく周囲四方に目が届くところがいいと思われます。
なので、一番いいのは大棟のてっぺんで、東海地方ではこの置き方が多い。
いっぽう京都などでは一階の小屋根の上に置かれることが多いのですが、
これは道の狭い町場ならではで、大棟の上に置いたのでは全然見えないのです。
家人からも見えないのではいくらなんでも面白くないので、京都では通りに面してよく目立つ小屋根の上に置かれるようになったんじゃないかと思っています。

それでは徳島県ではというと、この地方の伝統的な民家は写真のような姿です。
四方蓋造りの民家 鳴門市
四方蓋造り」といわれていて、茅葺き屋根の下に傾斜の緩い瓦屋根を付けたような形態です。今はトタンがかぶせられているものがほとんどですが、
減ったとはいえ徳島県内では時々目にします。
この屋根に鍾馗さんをあげようとしても草葺きと瓦屋根の間にはほとんど空間がなく、
あげる場所がないのです。
やむなく玄関周りにあげるようになり、四方蓋造りが減って一般的な入母屋造りに変わっても鍾馗さんの置き場所としては玄関周りが一般的になったと。

まあ、スルーしておいてください(^^ゞ


この後、しばらく鍾馗さんの姿が途絶え、ひたすら足を前に進めるだけの探訪となり
30kmを超えて足を引きずり出した頃、一体の鍾馗さんが待っていてくれました。

阿波市吉野町柿原の鍾馗さん
阿波市吉野町柿原

シンプルで飾り気のない鍾馗さんですが初めて見るものです。

阿波市吉野町柿原の鍾馗ハウス
小さく典型的な四方蓋造りの家にありました。


ようやく土成町の宿に戻ってめてたく満願。
初めての四国巡礼は車での移動が800km、歩きが二日で60kmと
なかなかハードでしたが、実り多いものでした。

またそのうち、行ってみたいと思います。


2013/12/14~15 阿波国鍾馗巡礼 一日目2013年12月23日 00時12分00秒

朝三時に家を出て、途中事故渋滞で1時間遅れて八時過ぎに鳴門IC到着。

最初の目的地、松茂町中喜来はICからすぐです。
参考文献に番地まで出ていたのでピンポイントでGoogleマップで事前に見た限りでは屋根はいぶし瓦風で良い感じだったのですが、たどり着いてみると目的のお宅は建て替わっていて、鍾馗さんは見当たりませんでした。

気を取り直して、本日のメイン伊予街道歩きの出発点、徳島線蔵本駅へ向かいます。
伊予街道の起点は徳島ですが、徳島市の中心部にはあまり古い家が残っていないようなので、少し外れたここから歩き始めます。

街道は国道192号線とつかず離れず並行して残っていて、家々はかなり更新が進んでいますが、所々に明治くらいまで遡れそうな、本瓦葺きの重厚な建物が残っています。鬼面瓦はかなりたくさん見ることができますが、それ以外の飾り瓦はほとんど見当たらず、鍾馗さんももちろん見つかりません。
ストリートビューでもまったく見当たらなかったので少ないことは覚悟の上で、淡々と進みます。

鮎喰、国府と進み、八十八個所の札所もいくつか見ながら、石井町に到着。
おとんさん発見の鍾馗さんが本日の初鍾馗となりました。
石井町石井の鍾馗さん

石井町の鍾馗ハウス

街道から見ると、どうってことのない家ですが、瓦は本瓦です。
裏手に回るとずっと重厚な雰囲気を残している家でした。

その先旧鴨島町に入り徐々に景色は鄙びてきますが、街道沿いには引き続き重厚な家が点在しています。しかし鍾馗さんの姿はなく、テンションも下がってきます。
鴨島の町は古くから賑わっていたようで、期待していたのですがここも外れ。
駅前のアーケードも土曜日の午後にも関わらず、悲しいほどシャッター通りで人影がありません。

鴨島駅前商店街

寂しい気分で鴨島を過ぎたころ、ようやく当たりがありました。

吉野川市鴨島町西麻植の鍾馗さん

吉野川市鴨島町西麻植の鍾馗ハウス

玄関の上にいました。二階の緑色が微妙ですが、古そうな家です。

さらに100mほどのところで二体目を発見。

吉野川市鴨島町西麻植の鍾馗さん

この鍾馗さんも玄関の横。
北向きなので薄暗く、表情がよくわかりません。

吉野川市鴨島町西麻植の鍾馗ハウス

ここまで約20km歩いてかなり消耗していましたが、
二人のお出迎えを受けて私のパワーも完全リセットです(^^)v


今日はこのあと、三好市三野町の鍾馗さんも見に行きたかったので、
時間の都合もあり、阿波川島駅で終了することにしました。

阿波川島駅

特急停車駅ですが駅舎にもホームにも人影はなく、ベンチの下では猫が日向ぼっこ。

起点の蔵本に置いておいた車に戻り、R192を一路西へ。
晴れてはいるものの雲が多く、三時半なのに夕暮れモードでお日様との競争です。

目的地の三好市三野町芝生に到着したのは四時半少し前。
何とかおとんさんに教えていただいた鍾馗さんを撮影することができました。

三野町芝生の鍾馗さん

三野町芝生の鍾馗ハウス

鍾馗さんの左右には、鯉をあしらった立派な鬼面瓦が置かれていました。

この後、さらに上流に向かって井川町辻の鍾馗さんを確認に行きました。
この鍾馗さんは、私が四国で初めて見つけた記念の鍾馗さんなので、ここまで来たら挨拶していかないといけません。
到着したのは五時半近くでほ真っ暗。屋根の上に健在でいるのはわかりましたが
撮影はまったく不可能。

一日目はあわただしく動き回って終わりました。
情報に基づいて確認した鍾馗さんが三体に、新発見は二体でした。

伊予街道はまったく鍾馗をあげる文化が伝わっていない、
という訳ではないがかなり少なそう。
さらに上流を探訪するには気合が必要です。


2013/12/14~15 阿波国鍾馗巡礼 準備編2013年12月21日 23時13分59秒

月に一回くらい、思い出したときに『鍾馗』でGoogle検索や画像検索して、
どこかに耳よりな情報はないかチェックしています。
さらにその時思い出せば『馗』でも検索します。
「小沢」と「小澤」はどちらで検索してもいいのですが
「鍾馗」と「鐘馗」は同義語とはみなしてもらえないようです。

で、馗」でヒットしてきたのが、「阿波学会」の研究紀要です。
昭和20年代から続く、徳島県内の歴史。自然、文化等幅広く研究している団体のようですが、その文献が徳島県立図書館の手でデジタル化されてインターネットで閲覧可能になっています。
こうした出版物は全国各地に残されていると思いますが、なかなか手に取って見ることは難しいので、こうして居ながらにして検索・閲覧できるというのは本当にありがたい。

この中の「石井町の民家」という報告に鍾馗さんのことが紹介されているのを見つけたので、おとんさんの掲示板に報告したところ、さっそくおとんさんが現地調査に行ってくれました。

掲載されていた鍾馗さんは見当たらなかったものの、別の鍾馗さんが見つかりました。


さあ、こうなるともういけません(^^;
これまで吉野川中~上流部で2体記録がありますが、中下流域では初めての記録。
さらに同じ紀要には松茂町にも鍾馗があったという記載もあることがわかり、
管理人の心には、いつも徳島の空と町並みが浮かぶようになってしまいました。

これまで徳島県では本格的な鍾馗探訪をしたことはありません。

自宅から徳島の入口鳴門までは約350km、4時間半くらいでしょうか。
さすがに日帰りはしんどいし、無駄が多い。
暮れの忙しい時期、なかなか3連休ともいかないので、
一拍二日を前提にコースの検討を始めました。

徳島県はシンプルな構造で、ど真ん中を東西に吉野川が貫通し、
巨大な扇状地のように両岸に平野を作っています。北の低い山並みを越えれば
香川県、南側には四国山地の深い山々が連なっています。
徳島から吉野川右岸(南側)を西に、池田を経由して川之江に出る伊予街道と、
鳴門から吉野川左岸(北側)を西に向かい池田で伊予街道に合する撫養街道
主要な街道で、地図や航空写真で見ると古い街道町が点在していて魅力的です。
どちらも歩き通してみたいのですが、それぞれ70km以上もありそうです。
二日のうち一日は伊予街道、もう一日は撫養街道を歩き、
まずはそれぞれ鍾馗さんがいそうか、雰囲気を探ることにました。

約三週間、夜な夜な綿密に計画を練り、前日忘年会での酒を断ってまで
準備万端、午前三時に自宅を出発しました。

つづく



2013/12/7 滋賀県うろうろ2013年12月17日 23時40分16秒

ここのところ、滋賀県がちょっとしたマイブームです。
11月初めに第三回八幡系ツアーで皆さんをご案内した際に、
思いのほかたくさん新発見があったのに味をしめ、
二週間後に再訪したところ、近来まれに見る豊作で
ひとりですっかり盛りあがりました。

三匹目のどじょうを狙ってのこのこ出かけていきましたが、
そうはうまく行かず、数はそこそこあるものの、
この日見つかる鍾馗さんは量産品ばかり。
以下で紹介するものが主な収穫です。

甲賀市水口町山の鍾馗さん
甲賀市水口町山 #1549として博物館収録予定。
最初見たとき、こちらの鍾馗さんの兄弟かと思いましたが、
関係なさそうです、


近江八幡市小田町の鍾馗さん
近江八幡市小田町

日本で一番多い#0050ですが、顔周りの細部は職人さんが
手作業で線彫りをしたような素朴な表情です。
こういった鍾馗さんは他の型でもときどき見かけますが、
摩耗した型から取った鍾馗さんを補修して仕上げたのかなぁと
想像しますが、真偽は定かでありません。


水口町 謎の女性
甲賀市水口町本町

鍾馗さんではありませんが、謎の飾り瓦。
裸足の女性が柄杓のようなものを持って走っています。
博物館のほうにも掲載していますが、いったい何でしょう?