2017/11/4 岐阜県養老町 ― 2017年11月15日 22時33分53秒
2017.7.8 松本周辺 2 ― 2017年07月19日 22時48分37秒
午後からは少し北に移動して、明科周辺から追っかけ開始。
まずは押野交差点近くの4人兄弟。
一軒の家で四方を固めています。
こちらの親戚 #1334
四人が四人とも、蜘蛛に気に入られて痒そうです。
次は明科中川手。JR明科駅の裏手でした。
この鍾馗さんには兄弟が結構います。 #1275
同じお宅の鍾馗さん こちらは #1278
元々は鬼瓦の位置に置かれていたのだと思いますが、
ずいぶん変わった形状の鬼瓦です。
県道から見えないことはないようですが、かなり離れており、
さんろくさんの情報がなければ一生巡り会えない鍾馗さんでしょう。
次の鍾馗さんはお隣りの谷筋。車道からは見下ろす位置に鍾馗さんがいます。
手抜きして見下ろしながら撮影したのでわかりにくいですが、
二つ上の鍾馗さんの兄弟です。 #1278
信州の鍾馗さんの場合、背景が緑の場合が結構多くて良い感じ。
最後、さらに隣の谷筋の板場集落で
とっても素朴な昆虫風鍾馗さん。
ここまでで時間切れ。
探し当てることができなかった鍾馗さんがまだいます。
さんろくさんからの宿題となった鍾馗さん
2017.7.8 松本周辺 1 ― 2017年07月17日 23時13分29秒
バンガロール赴任中に急逝されたさんろくさん。
弔問に伺うこともできず、ずっと心に引っかかっていましたが、
先日ようやくご遺族に挨拶することができました。
奥様がお子様達のサポートも受けながら、お店も以前と変わりなく営業を続けておられてほっとしました。
また、さんろくさんが取り組んでいたテーマブログも没後に原稿を整理して
そのまま公開されているようです。
さて、さんろくさんが生前発見した鍾馗さんで、未見のものが何体も残されていて、
今回それらを単独行で探してみました。
1.松本市里山辺周辺
美ケ原温泉郷としての温泉旅館街、古くからの住宅街、松本近郊の新興住宅街が混在した地域。
この付近でさんろくさんは11体の鍾馗さんを見つけていました。
このうち、8体を見つけることができました。
会えなかった3体は
外から見えないかうろうろしていましたが、場所が場所だけに無茶はできず・・
この資料館は現在耐震補強工事中で当分の間休館。
記事中、3体目の地面におりた鍾馗さん。この鍾馗さんは見つけることができませんでした。
以下、里山辺周辺で見つけることのできた鍾馗さんたちです。
4)、5) 松本市里山辺
蔵の両端にいます。
さんろくさんの写真からは一体の杖と剣の先が失われています。
6) 松本市里山辺
前の鍾馗さんのほど近く、
鳥衾に刻まれたとても珍しい鍾馗さん。
7)、8) 松本市里山辺
この二体もすぐ近く、棟の両端に対であがっています。
人間離れした形相がすごい。
続きます。
2016/11/5 山梨県笛吹市 ― 2016年11月29日 22時09分26秒
インドにいながらネットサーフィンしていて見つけた鍾馗さん。
地元の地域再発見プロジェクトが作成した街歩きマップです。
(トップページ)
(マップ)
山梨在住のnaoさんにフォローしていただいて盛り上がっていました。
このたび、『ワインツーリズムやまなし 2016』というイベントに参加して
ワインをぐびぐび飲んできたのですが、
点在するワイナリーからこの鍾馗さんは徒歩圏内。
行ってきました。
笛吹市上矢作。
ぶどう畑の中に建つ豪邸。
残念ながら逆光。絶好のワイン日和でしたが・・
後ろ姿がかわいい。
周辺も少し探してみましたが、他には発見できず。
本当に最高の天気でした。
勝沼ぶどう郷駅から甲府盆地の向こうに南アルプスを望む。
本日の戦利品。
2014/5/17 美濃中山道 つまみ食い ― 2014年06月02日 20時39分50秒
とってもいいお天気となった5月17日、おとんさんの掲示板で宿題になっていた
又兵衛さん発見の鵜沼の鍾馗さんを見に行ってきました。
鵜沼宿は以前に比べるとずいぶん整備されて小ぎれいな宿場町になっていて
中でも一番古く、幕末に建てられた旧家に鍾馗さんがあがっていました。
屋根の立派さに比べると小さな鍾馗さん。
掲示板には他にも何枚か写真を貼っていますので、
そちらもご覧いただければ幸いです。
その後、西へ向かい、那加から加納にかけて歩いてみましたが、
この区間では既知の鍾馗さんを数体再確認したのみ。
岐阜駅から電車を使って、養老鉄道 東赤坂駅まで移動。
次はsatopyさんが同じ掲示板で紹介されていた、昼飯町の鍾馗さんを見に行きます。
なかなか力強いお姿。
家の裏には兄弟も一体。
足を延ばして中山道を垂井まで歩きました。
この鍾馗さん、胴体は量産の#159と同じですが、
顔立ちはまったく違います。量産型を元に顔周りの仕上げは職人さんが
オリジナリティを発揮したのでしょうか。
ちょっと制作過程が想像しにくいこんな不思議な鍾馗さんが時々見つかるのも
醍醐味です。
この日28キロ歩いて、ここで紹介した四体以外は量産品を五体発見したのみ。
鍾馗多産地帯の関西とは違って、なかなかしんどい探索です。
2013/12/29 姫路~竜野、倉敷 ― 2014年01月02日 23時04分28秒
もう去年のことになってしまいましたが、兵庫県内の旧山陽道を歩いてきました。
尼崎~西宮~神戸にかけては大震災の被害が大きかったこともあるのでしょうが
古い家がほとんど残っておらず、私もほとんど歩いていません。
明石~姫路は2007年1月(もう7年も前!)に歩き、
2009年8月にも平行する区間を歩きましたが、
あまり鍾馗さんを見つけることができませんでした。
ここまでの状況ではこの先を歩く気には、あまりならないのですが、
その先の太子町、龍野あたりでは珍しい鍾馗さんが結構見つかっているのです。
2007年の探訪時はまだブログを始めてませんでした。
この時の終点は山陽本線 御着駅。姫路のひとつ手前です。
ここから、太子町までの区間に鍾馗さんはあるのでしょうか?
ずっと気になっていましたので、今回歩いてみました。
米原まで高速利用で車で行き、米原からは新快速を使えば
安く楽に山陽方面まで行けるので、久しぶりに使おうかと思ったのですが、あいにくの大雪で米原付近は相当雪が積っていそうだったので、急遽新幹線に変更。
出費は痛いが楽ちんに姫路まで到着。ただし雪の影響でかなり遅れたので
姫路から御着へ戻るのはよしにして、姫路駅からそのまま西を目指しました。
旧山陽道は国道2号線、一部179号線とくっついたり離れたりしながら
それなりに旧道の雰囲気を残していましたが、残念ながら鍾馗さんには
全然会えませんでした。
太子町下阿曽
結局新たに見つかったのはこの一体だけでした。
兵庫県の代表的な鍾馗さんである#0544です。
これで帰ってはあまりに寂しいので、足を延ばして倉敷まで行くことにしました。
「足を延ばす」と言うには距離が遠すぎますが、
愛知県から見ると姫路も岡山も倉敷も「西の方」で一括り。
なんとなく大した距離ではないと思ってしまうのです。
かなり前にこちらのブログで、鍾馗さんの存在を知ったのですが
なかなか行く機会がありませんでした。
岡山県には2008年、2011年と訪問していますが、
一体も見つけることができていません。
他力本願ではありますが、馬鹿馬鹿しいけどささやかなリベンジ。
倉敷駅から徒歩十分くらいのところにあって、すぐ見つかりました。
岡山県の初記録になります。古いものではありません。
倉敷市川西町 #1555で収録
帰りは青春18きっぷ活用で在来線に揺られること7時間。
電車旅は好きですが、さすがに疲れました。
2013/12/14~15 阿波国鍾馗巡礼 二日目 ― 2013年12月24日 00時31分15秒
二日目は吉野川の北側の撫養街道を鳴門から土成まで、31kmほどを歩きます。
ゴールの土成町に宿を取り、車は宿に預けて、バスで起点の徳島駅経由鳴門に向かう予定で宿から10分足らずのバス停に着いてみると・・
あらかじめ調べておいた便はなんと日曜運休 (*_*;
次のバスは一時間後。まだ真っ暗な田舎のバス停で呆然。
最寄りの鉄道駅は鴨島駅ですが吉野川を越えて3km以上あります。
といっても何もない暗い寒いバス停でぼんやりと一時間を過ごすわけにもいかず
電車の時間を調べると7時5分発というのがあって、
連絡もよく鳴門には8時ちょっと過ぎに到着と、バスで予定通り行くより早く着けることがわかりました。
ただし、既に6時35分で3.2kmを30分で歩かないと間に合いません。
これはかなりのハイペースですが、迷わず歩き始めました。
吉野川の長い橋を歩いて渡りました。朝焼けです。
なんとか間に合いました。いきなりつまづきましたが我ながらナイスリカバリー。
スマホさまさまです。
早く着いたので、鳴門駅から街道を少し戻って東の方へ。
鳴門市林崎。後ろは妙見山に撫養城。
探索は太陽に向かうか、背にするかで見つけやすさも疲れ方もまるで違います。
私はいつも太陽を背に、東から西に向かって歩くようにしています。
撫養の街中は古い家が数多く残っていましたが、鍾馗さんの姿は見当たりませんでした。
謎の鏝絵 「造車■」 何でしょう?
歩き始めて約10kmの鳴門市姫田は古くからの瓦産地。
歩いたルート沿いにも「鬼一製瓦」といった気になる屋号の瓦屋さんがあって
通りすがりで倉庫の中を眺めたりもしたのですが、目を引くものはありませんでした。
帰って師匠に報告すると、姫田の三木さんという瓦屋さんでは、
大阪/奈良あたりでよく目にする#0063の鍾馗さんを作っておられると
教えていただきました。
三木製瓦所という瓦屋さんも地図では見ていたのですが、街道からちょっと奥まったところにあるのでスルーしてしまいました。しまった。
姫田から少し行った、池谷駅(鳴門線の分岐駅)前で本日最初の鍾馗さんを発見。
だいぶ摩耗していますが、#0063の一種で
博物館では住吉区住吉の鍾馗さんと同じ、レアな型物です。
これまた玄関扉の上、お札を貼る位置に置かれています。
この後、連続して鍾馗さんが見つかり始めました。
上の鍾馗さんとシルエットはそっくりですが、これは恵比寿さん。
鳴門市大麻町萩原アコメン
鳴門市大麻町坂東
これは#0111ですが、#0063とは兄弟分。
鬼の顔が見えているのは初めて見ます。
鳴門市大麻町桧道ノ北
#0111の標準タイプですが、関西では釉薬の乗ったものを見ることはありません。
板野町川端
大阪、奈良に多い量産品#0135です。あまりに立派なお宅で玄関が遠いので
ぼけてしまいました。
板野町犬伏
正面から撮影できなかったのでわかりにくいですが、#0650だと思います。
発見数は少ないのですが型物です。
ここまでの鍾馗さんは一日目と違ってすべてが型物で、
産地は淡路島か地元のようです。
また、知られている分布圏はいずれも大阪・奈良が中心の鍾馗さん。
昨日の、由来不詳の鍾馗さんたちとは違って、
関西圏の鍾馗文化が街道沿いに伝わってきたのではないかと想像します。
それにしても、なぜ徳島では揃いも揃って玄関に鍾馗さんがいるのでしょうか。
他の地域でも見られますが少数派で、普段の探索でもあまり玄関周りには注意を払っていませんでした。
瓦の鍾馗が普及する以前は、鍾馗札といって印刷された鍾馗像を戸守りに貼る風習が盛んだったと聞いたことがあります。
鍾馗札の代わりに瓦鍾馗が普及したのだとすれば、
お札を貼る玄関先に瓦鍾馗が置かれるようになったのは自然なこととも言えますが、
それでは関西ではなぜ小屋根や棟に置かれるようになったのか説明できません。
妄説ですが、民家の構造からの推理をひとつ。
目に見えない外敵から家を守るのが鍾馗さんの役目なので、
置き場所はなるべく周囲四方に目が届くところがいいと思われます。
なので、一番いいのは大棟のてっぺんで、東海地方ではこの置き方が多い。
いっぽう京都などでは一階の小屋根の上に置かれることが多いのですが、
これは道の狭い町場ならではで、大棟の上に置いたのでは全然見えないのです。
家人からも見えないのではいくらなんでも面白くないので、京都では通りに面してよく目立つ小屋根の上に置かれるようになったんじゃないかと思っています。
それでは徳島県ではというと、この地方の伝統的な民家は写真のような姿です。
「四方蓋造り」といわれていて、茅葺き屋根の下に傾斜の緩い瓦屋根を付けたような形態です。今はトタンがかぶせられているものがほとんどですが、
減ったとはいえ徳島県内では時々目にします。
この屋根に鍾馗さんをあげようとしても草葺きと瓦屋根の間にはほとんど空間がなく、
あげる場所がないのです。
やむなく玄関周りにあげるようになり、四方蓋造りが減って一般的な入母屋造りに変わっても鍾馗さんの置き場所としては玄関周りが一般的になったと。
まあ、スルーしておいてください(^^ゞ
この後、しばらく鍾馗さんの姿が途絶え、ひたすら足を前に進めるだけの探訪となり
30kmを超えて足を引きずり出した頃、一体の鍾馗さんが待っていてくれました。
阿波市吉野町柿原
シンプルで飾り気のない鍾馗さんですが初めて見るものです。
小さく典型的な四方蓋造りの家にありました。
ようやく土成町の宿に戻ってめてたく満願。
初めての四国巡礼は車での移動が800km、歩きが二日で60kmと
なかなかハードでしたが、実り多いものでした。
またそのうち、行ってみたいと思います。
2013/12/14~15 阿波国鍾馗巡礼 一日目 ― 2013年12月23日 00時12分00秒
朝三時に家を出て、途中事故渋滞で1時間遅れて八時過ぎに鳴門IC到着。
最初の目的地、松茂町中喜来はICからすぐです。
参考文献に番地まで出ていたのでピンポイントでGoogleマップで事前に見た限りでは屋根はいぶし瓦風で良い感じだったのですが、たどり着いてみると目的のお宅は建て替わっていて、鍾馗さんは見当たりませんでした。
気を取り直して、本日のメイン伊予街道歩きの出発点、徳島線蔵本駅へ向かいます。
伊予街道の起点は徳島ですが、徳島市の中心部にはあまり古い家が残っていないようなので、少し外れたここから歩き始めます。
街道は国道192号線とつかず離れず並行して残っていて、家々はかなり更新が進んでいますが、所々に明治くらいまで遡れそうな、本瓦葺きの重厚な建物が残っています。鬼面瓦はかなりたくさん見ることができますが、それ以外の飾り瓦はほとんど見当たらず、鍾馗さんももちろん見つかりません。
ストリートビューでもまったく見当たらなかったので少ないことは覚悟の上で、淡々と進みます。
鮎喰、国府と進み、八十八個所の札所もいくつか見ながら、石井町に到着。
おとんさん発見の鍾馗さんが本日の初鍾馗となりました。
街道から見ると、どうってことのない家ですが、瓦は本瓦です。
裏手に回るとずっと重厚な雰囲気を残している家でした。
その先旧鴨島町に入り徐々に景色は鄙びてきますが、街道沿いには引き続き重厚な家が点在しています。しかし鍾馗さんの姿はなく、テンションも下がってきます。
鴨島の町は古くから賑わっていたようで、期待していたのですがここも外れ。
駅前のアーケードも土曜日の午後にも関わらず、悲しいほどシャッター通りで人影がありません。
寂しい気分で鴨島を過ぎたころ、ようやく当たりがありました。
玄関の上にいました。二階の緑色が微妙ですが、古そうな家です。
さらに100mほどのところで二体目を発見。
この鍾馗さんも玄関の横。
北向きなので薄暗く、表情がよくわかりません。
ここまで約20km歩いてかなり消耗していましたが、
二人のお出迎えを受けて私のパワーも完全リセットです(^^)v
今日はこのあと、三好市三野町の鍾馗さんも見に行きたかったので、
時間の都合もあり、阿波川島駅で終了することにしました。
特急停車駅ですが駅舎にもホームにも人影はなく、ベンチの下では猫が日向ぼっこ。
起点の蔵本に置いておいた車に戻り、R192を一路西へ。
晴れてはいるものの雲が多く、三時半なのに夕暮れモードでお日様との競争です。
目的地の三好市三野町芝生に到着したのは四時半少し前。
何とかおとんさんに教えていただいた鍾馗さんを撮影することができました。
鍾馗さんの左右には、鯉をあしらった立派な鬼面瓦が置かれていました。
この後、さらに上流に向かって井川町辻の鍾馗さんを確認に行きました。
この鍾馗さんは、私が四国で初めて見つけた記念の鍾馗さんなので、ここまで来たら挨拶していかないといけません。
到着したのは五時半近くでほ真っ暗。屋根の上に健在でいるのはわかりましたが
撮影はまったく不可能。
一日目はあわただしく動き回って終わりました。
情報に基づいて確認した鍾馗さんが三体に、新発見は二体でした。
伊予街道はまったく鍾馗をあげる文化が伝わっていない、
という訳ではないがかなり少なそう。
さらに上流を探訪するには気合が必要です。
2013/12/14~15 阿波国鍾馗巡礼 準備編 ― 2013年12月21日 23時13分59秒
月に一回くらい、思い出したときに『鍾馗』でGoogle検索や画像検索して、
どこかに耳よりな情報はないかチェックしています。
さらにその時思い出せば『鐘馗』でも検索します。
「小沢」と「小澤」はどちらで検索してもいいのですが
「鍾馗」と「鐘馗」は同義語とはみなしてもらえないようです。
で、「鐘馗」でヒットしてきたのが、「阿波学会」の研究紀要です。
昭和20年代から続く、徳島県内の歴史。自然、文化等幅広く研究している団体のようですが、その文献が徳島県立図書館の手でデジタル化されてインターネットで閲覧可能になっています。
こうした出版物は全国各地に残されていると思いますが、なかなか手に取って見ることは難しいので、こうして居ながらにして検索・閲覧できるというのは本当にありがたい。
この中の「石井町の民家」という報告に鍾馗さんのことが紹介されているのを見つけたので、おとんさんの掲示板に報告したところ、さっそくおとんさんが現地調査に行ってくれました。
掲載されていた鍾馗さんは見当たらなかったものの、別の鍾馗さんが見つかりました。
さあ、こうなるともういけません(^^;
これまで吉野川中~上流部で2体記録がありますが、中下流域では初めての記録。
さらに同じ紀要には松茂町にも鍾馗があったという記載もあることがわかり、
管理人の心には、いつも徳島の空と町並みが浮かぶようになってしまいました。
これまで徳島県では本格的な鍾馗探訪をしたことはありません。
自宅から徳島の入口鳴門までは約350km、4時間半くらいでしょうか。
さすがに日帰りはしんどいし、無駄が多い。
暮れの忙しい時期、なかなか3連休ともいかないので、
一拍二日を前提にコースの検討を始めました。
徳島県はシンプルな構造で、ど真ん中を東西に吉野川が貫通し、
巨大な扇状地のように両岸に平野を作っています。北の低い山並みを越えれば
香川県、南側には四国山地の深い山々が連なっています。
徳島から吉野川右岸(南側)を西に、池田を経由して川之江に出る伊予街道と、
鳴門から吉野川左岸(北側)を西に向かい池田で伊予街道に合する撫養街道が
主要な街道で、地図や航空写真で見ると古い街道町が点在していて魅力的です。
どちらも歩き通してみたいのですが、それぞれ70km以上もありそうです。
二日のうち一日は伊予街道、もう一日は撫養街道を歩き、
まずはそれぞれ鍾馗さんがいそうか、雰囲気を探ることにました。
約三週間、夜な夜な綿密に計画を練り、前日忘年会での酒を断ってまで
準備万端、午前三時に自宅を出発しました。
(つづく)
2013/11/30 大垣市-神戸町-池田町-揖斐川町 ― 2013年11月30日 21時05分38秒
ここのところ、歩かない探訪続きだったので、
久しぶりにストイックな探訪を試みました。
岐阜県の大垣駅から北上して、神戸町神戸、池田町池野といった
古くからの街場を経由して揖斐川町揖斐川まで約30kmを歩いてきました。
気温は低いものの風がほとんどなく、汗もかかず鼻水も出ず(^^;と
探訪にはこれくらいの天候が一番いいのかもしれません。
このあたりはsatopyさんの探索情報はあるものの、
自分は一度も行ったことがない処女地。
そんなに多くは期待できないものの、二割くらいの期待を持ってのお出かけです。
残念ながら結果ははずれ。
5体見つけましたがいずれもライオン丸やジャミラといった量産品ばかり。
まあゼロでなかっただけ、良しとしましょう。
神戸(ごうど)を探索中に見かけた檜皮葺の塔は日吉神社の三重塔。
室町時代の遺構で思いのほか優美な塔です。