2013年、今年もよろしくお願いします ― 2013年01月01日 12時53分30秒
2013/1/2 北名古屋市 ― 2013年01月04日 00時22分45秒
ここ数年、年の初めの探訪は名古屋市北部のミニ探訪と決まっています。
元日、名古屋市内の実家に帰省し翌朝からはひまだから、という単純な理由ですが。
元来このあたりはほとんど鍾馗さんが見られないため、こんなときくらいしか探索に出かけるきっかけがないということもあります。
今回は北名古屋市、旧師勝町エリアを歩きました。
名古屋の郊外として住宅開発が進んだところですが、地図で見る限りお寺も多く、それを取り巻く古くからの集落が点在していて地図上はいい感じ。
こじんまりとまとまっていて寒風吹きすさぶ中を、田んぼ道を延々と歩かされることもなさそうです。
小さな町ですので半日、12キロほどの探訪で旧師勝町域の九割がたのお寺は巡れたように思います。
結果は惨敗。
例年初探訪はせいぜい数体見つけるだけなのですが、今年はゼロでした・・
古い民家もそこそこ残っていますが、このあたり、あまり瓦には凝っていないようで
他の飾り瓦も鯉の滝昇りを二軒みかけただけ。
途中カメラを取り出すこともありませんでした。
さすがにちょっとがっかりです。
新春から景気の悪い記事もどうかと思ったので、記事とは全然関係ない旧作ですが
これまでブログ未掲載の鍾馗さんを一点ご紹介。
(愛知県東浦町緒川 2009年10月撮影)
新しい洋風住宅にあがっていますが、おそらくは建て替えられる前からの鍾馗さん。
これといった特徴のない鍾馗さんですが、この1体以外はどこでも見つかっていない
絶滅危惧種です。 #0023
2012年のまとめ ― 2013年01月06日 23時49分59秒
2012年はつごう62回探訪にでかけ、見つけた鍾馗さんは809体。
歩いた距離は759kmでした。
2011年は探訪67回、発見671体、歩いた距離746kmなので
少しだけ前年を越えることができましたが、
最盛期の2009年は探訪85回、発見1,352体、歩いた距離1,546kmですので
遠く及びません。
鍾馗さん密度の高い地域はそろそろ歩き尽くした感がありますので、
今後は山の中とか、そもそもほとんどなさそうな地域とか、
厳しい探訪が多くなりそうで最盛期のような訳にはいかないでしょう。
昨年は他力本願が多かったのも特徴でした。
鍾馗博物館の収蔵室には2012年、66種の鍾馗さんを新種として採録しましたが
うち、26体はどなたかからの情報提供によるもの。
鍾馗分布の中心から周縁部に探索範囲が広がりつつあるので、
この傾向は今後も続くと思います。言い換えれば情報提供頂ける方が
少しづつ増えているということで、ありがたいことです。
2012年3月発見の福岡県太宰府市の鍾馗さん。
九州では、宮崎市砂土原町に続く2例目でしたが、
その後大分県でsatopyさん、佐賀県でnaoさんと鍾馗さんの発見が続きました。
2013年もこうして全国鍾馗地図が塗り替えられていくといいですね。
ちなみに私の把握している範囲で、ですが
記録あり:
秋田、群馬、栃木、千葉、埼玉、東京、神奈川、山梨、長野、石川、福井、静岡、愛知、岐阜、滋賀、三重、京都、大阪、奈良、和歌山、兵庫、香川、徳島、愛媛、福岡、大分、佐賀、宮崎
記録なし:
北海道、青森、岩手、宮城、山形、福島、新潟、富山、茨城、岡山、鳥取、島根、広島、山口、高知、長崎、熊本、鹿児島、沖縄
2013/1/5 南知多・日間賀島 ― 2013年01月13日 19時39分26秒
1月5日は知多半島の先端部、南知多町の豊浜ほかと
その先にある日間賀島を訪ねてきました。
島と言っても半島先端の師崎港からは高速船でわずか7分。
あっという間に着いてしまいます。
ここでの鍾馗探訪は2008年以来の二回目。
前回10体を発見しましたが、まだまだ路地の裏側に潜んでいそうな気がしたので
久しぶりに訪ねてみることにしました。
日間賀島は「たこ」と「ふぐ」で名を上げ、結構遠くからも観光客が訪問するようで
師崎港の駐車場にも各地のナンバーを付けた車が並んでいました。
島も観光客がかなり目立ち、こうして賑わうことはめでたいことです。
前回は篠島との比較で、家並みも余裕を持って建てられているていると書きましたが
再訪してみての印象はなんのなんの、人ひとり歩くのがやっとの路地が縦横に曲がりくねって交わっていて、いかにも平地に乏しい漁村らしい佇まいを残しています。
ゼンリンの地図(≒Googleマップ)は自分自身の経験から、どんな細道でも載っていると思っていたのですが、ここでは地図にない細道がごまんとあるので、印刷した地図を持っていっても迷いました。
この日、日間賀島で新発見した鍾馗は9体。
先回の10体と合わせ19体になるのですが、先回の10体のうちこの日確認できたのは5体だけで、あとは探しても見つかりませんでした。
私の探し方が悪いのかもしれませんが、それだけ道が狭く入り組んでいるうえに
観光景気からか、家がずいぶん建て替えられているようにも感じました。
見つかった鍾馗さんはほとんどがありふれたものなので、ここの紹介はしませんが
鍾馗さんのいたところをいくつか載せておきます。
この鍾馗さん、たまたま緑色の家の前が更地になっていたので見えましたが、
路地からでは見えない位置にあります。
どうも、ちょっと変な位置に置かれている鍾馗さんが多いので
探す方は大変だけど楽しめます。
極めつけはこちら。路地の奥の家です。
これではわかりません。
見つけたほうを褒めるべきでしょう(^^)
左はこれまで博物館で#895として掲載していた鍾馗さん(名古屋市南区笠寺)で、
右は今回日間賀島で見つけた鍾馗さんです。
並べると同じ型から取られた鍾馗さんと納得いただけると思いますが、
気がついたときは嬉しかった!
国土変遷アーカイブでタイムスリップ-桑名市の空襲 ― 2013年01月16日 22時50分57秒
国土地理院のWebサイトの「国土変遷アーカイブ」については
以前も取り上げたことがあります。
全国の航空写真が古いものも含めて公開されていて、
鍾馗さんのありそうな古い町並みを探し出すのに大変重宝なため、
探訪ルートの検討に絶大な威力を発揮します。
特に終戦直後から米軍によって撮影された一群の写真は、この時期としては
驚くほど高精度で全国をカバーしています。
拡大すると一軒々々の家の姿まで見ることができ、当時の家並みが
目に浮かぶようです。
いつものように、お出かけの検討にサイトの航空写真を眺めていて
下の写真に目が止まりました。
三重県桑名市・桑名城址の南西あたり、現在の桑名市内堀あたりです。
撮影日時は1946年3月27日、終戦から7か月しか経過していません。
点々と見える丸い穴のようなものは爆弾の痕だと思います。
この範囲だけでも10個以上確認できます。
また周囲には建物が点々と見られますが、元々写真の北半分は市街地で、
焼夷弾攻撃によってほとんど全域が焼失してしまったのだと思われます。
終戦直後の航空写真は焼け残った古い町並みを見つけるのに
とても便利ですが、これだけ生々しい戦禍の痕を見るのは珍しく、
戦争を経験しておらず、日頃は意識することもない自分ですが、
これを見たときはさすがに当時のことを思ってしばし沈黙しました。
上記によると、桑名市の面積当たりの爆弾投下量は全国一であったそうです。
資料中にある、慰霊碑が建てられた貝塚公園は
写真では中央の鍵型の堀の左側、爆弾痕が5つ並ぶあたりに作られています。
約3年後の同じ地域の写真です。
ひとつだけ、穴が残っているのが見えますが、ほとんどは埋められ、
家もかなり建ち並んできています。
悲惨な状況から、復興に励む人の姿が目に浮かぶようです。
2013/1/12 美加の台~深井 ― 2013年01月18日 22時30分53秒
今年初めての県外遠征は迷った末に大阪に決定。
南海高野線・美加の台駅から高野線沿いに北野田付近まで北上、
そこから西に向かって泉北高速・深井駅まで約25kmです。
朝は冷え込みましたが風がほとんどなく、歩いていると少し汗ばむほどの
穏やかな探訪日和に恵まれました。
三日市町駅から河内長野駅の北方、高野街道が西高野街道と中高野街道に
特に三日市付近では珍しい鍾馗さんが次々と見つかり、
二人で大喜びしたところです。
今回の再訪で全員健在が確認できました。
今回、北野田まで、ほぼ南海高野線に沿って歩きましたが、この道筋は
ほぼ、中高野街道をたどっています。
以下、今回見つけた鍾馗さん。
(河内長野市石仏) #1435
(河内長野市石仏) #1436
おとんさんに教えていただいた鍾馗さんです。
(大阪狭山市半田) #1437
(堺市中区陶器北) #467 に分類
瓦の鍾馗さんとしては珍しく頭が小さい。
(堺市中区陶器北) #145
#145のグループは、とても立体的な造形の鍾馗さんなのですが
この鍾馗さんはつぶされたみたいに平たい。
(堺市中区陶器北) 同じく #145
(堺市中区東山) #1438
今回、収録した鍾馗さんの全貌は鍾馗博物館をご覧ください。
2013/1/19 大和八木~田原本、郡山、斑鳩(1) ― 2013年01月30日 19時39分33秒
1月19日は奈良の最低気温が-2.3℃と冷え込みましたが、
この時期、気温が低いのを嫌っていては冬眠状態になってしまうので、
果敢にお出かけしました。
冷え込んだ朝の町を歩くのは結構気持ちのよいものです(負け惜しみではなく)
大和八木駅を起点に下街道を北上します。
ほとんどが再訪地ですが、鍾馗さんを見落とすことには自信があるので(^^;
新しい鍾馗さんとの出会いに期待しています。
この日は途中からおとんさんに合流いただき、周辺でおとんさんが発見した鍾馗さんを案内していただいたので、大量の収穫がありました。
なるべくたくさん取り上げたいので、何回かに分けて紹介します。
橿原市小綱町 #0298
再々訪です。初回は左側の鍾馗さんに気がつかず、二回目は夕方で逆光。
今回は目論見どおり朝日をあびています。
今は家の左右でお寺をにらんでいますが、元々は棟の両端に別れていたのでしょう。
橿原市小綱町 #0990 に収録
小綱町では三体発見しました。以前に通ったときは一体も気づかず・・
何をしていたのだろうか?
細工の精細なこの鍾馗さんの仲間は吉野方面だけで発見しており、奈良盆地では初発見。
橿原市上品寺町 #1002
こちらも再訪。正面には回ることができず、逆光です。
橿原市上品寺町 #0237
この鍾馗さんとは三回目のご対面。
遠くの大棟にあるちいさな鍾馗さんですが、
CoolpixP510 1000mmの威力発揮といったところです。
橿原市新口町 #0847
この鍾馗さんたちとも三回目のご対面(笑)
あちこち剥落して痛々しいですが、目とか眉とか鼻まで、
粘土細工のように土台に貼り付けて作ったことが結果的によくわかります。
どちらの鍾馗さんも両頬に剥落痕があります。
頬ひげがついていたんではないかと思います。
田原本町千代 #0235
7年ぶりの再訪。まずは健在でほっとしました。
鬼瓦と一体成型で、「新鐘馗」の銘が入っています。間違えるなよ~
田原本町千代 #1439
上の鍾馗さんの裏の家で発見。
新種です。元は大棟端にあったと思いますが、軒に移動して
ちょうど顔の辺りが陰になってしまい残念。
つづきは明日以降に。
Coming soon ! (probably・・)
2013/1/19 大和八木~田原本、郡山、斑鳩(2) ― 2013年01月31日 00時54分40秒
続きです。 前の記事
ここからは田原本の寺内町にある鍾馗さんです。
7年ぶりの再訪です。前回、正面からも撮影したのですが、遠くて曇天だったので
写真は使い物になりませんでした。超々望遠レンズの恩恵。
こちらも再訪。名づけて「落ち武者鍾馗」
こちらも再訪。奈良に多いライオン鍾馗の一種です。
おとんさん発見の鍾馗さん。
まったくの新種で #1440
ここからはおとんさんの車でご案内いただいています。
田原本町千代 #599に収録
千代(ちしろ)は前の記事にも登場しますが、前の記事の千代とは少し離れています。
前の記事の「千代」のほうが集落としては古く、こちらの鍾馗さんのいる「千代」はその北方に新しく開かれた集落のようで、東西に細長く伸びた奈良には珍しい形をしています。
田原本町千代 #257に収録
#257は奈良を代表する分類泣かせの鍾馗さんで、リンク先を見ていただくと分かりますが、ちょっと同じ系統とは思えない鍾馗さんも含まれてしまっています。
分類の見直し作業を始めていますが、難航中・・
田原本町八尾 #1441
隣の家が邪魔になり、見える場所がほとんどありません。
とてもシンプルな鍾馗さんのようで、正面から見てみたいのですが難しそう。
田原本町今里 #257に収録
これも#257にとりあえず入れておきます。
七福神等、にぎやかに飾られたお宅にありました。
田原本町唐古 これまた#257に収録
軒下でよく見えませんが・・・
まだつづきます。