国土変遷アーカイブでタイムスリップ-桑名市の空襲 ― 2013年01月16日 22時50分57秒
国土地理院のWebサイトの「国土変遷アーカイブ」については
以前も取り上げたことがあります。
全国の航空写真が古いものも含めて公開されていて、
鍾馗さんのありそうな古い町並みを探し出すのに大変重宝なため、
探訪ルートの検討に絶大な威力を発揮します。
特に終戦直後から米軍によって撮影された一群の写真は、この時期としては
驚くほど高精度で全国をカバーしています。
拡大すると一軒々々の家の姿まで見ることができ、当時の家並みが
目に浮かぶようです。
いつものように、お出かけの検討にサイトの航空写真を眺めていて
下の写真に目が止まりました。
三重県桑名市・桑名城址の南西あたり、現在の桑名市内堀あたりです。
撮影日時は1946年3月27日、終戦から7か月しか経過していません。
点々と見える丸い穴のようなものは爆弾の痕だと思います。
この範囲だけでも10個以上確認できます。
また周囲には建物が点々と見られますが、元々写真の北半分は市街地で、
焼夷弾攻撃によってほとんど全域が焼失してしまったのだと思われます。
終戦直後の航空写真は焼け残った古い町並みを見つけるのに
とても便利ですが、これだけ生々しい戦禍の痕を見るのは珍しく、
戦争を経験しておらず、日頃は意識することもない自分ですが、
これを見たときはさすがに当時のことを思ってしばし沈黙しました。
上記によると、桑名市の面積当たりの爆弾投下量は全国一であったそうです。
資料中にある、慰霊碑が建てられた貝塚公園は
写真では中央の鍵型の堀の左側、爆弾痕が5つ並ぶあたりに作られています。
約3年後の同じ地域の写真です。
ひとつだけ、穴が残っているのが見えますが、ほとんどは埋められ、
家もかなり建ち並んできています。
悲惨な状況から、復興に励む人の姿が目に浮かぶようです。
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