11/17 明日開催イベントのお知らせ2012年11月16日 20時06分57秒

以前、彦根の鍾馗探しをご一緒した団体「まち遺産ネットひこね」の
鈴木 達也さんが、鍾馗さんの語り部としてイベントに登場します!

テーマは「鍾馗さんを探しにまちへ出よう!」

もう明日に迫っていますが、参加費無料、定員30名早い者勝ち!
ぜひお出かけください。

日時:11月17日(土) 10:30~12:00
場所:ひこね街の駅「寺子屋力石」(彦根市河原二丁目3-6 花しょうぶ通り) 

詳細はこちら
まち遺産ネットひこね


来週24日(土)には鍾馗さんマップを使った町あるきイベントも開催予定です。
ちなみに私も参加させていただく予定!

2012/11/10 野洲~近江八幡 朝鮮人街道 32012年11月13日 23時51分52秒

近江八幡旧市街地へ入ってからは、既知の鍾馗さんの再確認と共に
これまで歩いたことのない辻を隅々まで探索してみました。

近江八幡市孫平治町の鍾馗さん
(近江八幡市孫平治町)

再録(#0524
通りからは見えず、洞覚寺に向って階段を上がりながら振り返ると
門前の家の屋根にいるのが目に入ります。
ほぼ横倒しになってしまっていますが、あぐらに立て膝、腕まくりと
非常に凝ったポーズです。

近江八幡市孫平治町の鍾馗さん
(孫平治町)

再録(#0523
裸足の鍾馗さん。棟端の鬼瓦一体は近江八幡市内でも珍しい。
ふと、安曇野での法則を思い出し、一軒おいた隣の更地に入り込んで
反対側を見てみると

近江八幡市孫平治町の鍾馗さん(裏側)
(孫平治町)

いました!
残念ながらこの角度が限界で、これ以上正面に回って撮影できそうな所は
見つかりませんでしたが、剣を持っているので鍾馗さんだと思います。


近江八幡市孫平治町の鍾馗さん
(孫平治町)

さらに、更地で振り返って反対側の家を見わたすと、ここにも!!
お向かい鍾馗さんです。

近江八幡にはなぜか多い座り鍾馗さん。
#1426として新種登録。

近江八幡市孫平治町の鍾馗さんのいる家

通りに面して大きな看板があがっているので、この鍾馗さんは通りからは
まったく見えません。
更地ということは古い民家があったと思われ、心痛むものがありますが、
今回ばかりは感謝です。


近江八幡市池田町の鍾馗さん
(池田町)

ここまでの成果に味をしめ、以降はこれまで入ったことのないお寺の境内を
重点的に見て回りました。
この鍾馗さんは正栄寺境内から発見。
#1427として新種登録。


近江八幡市為心町の鍾馗さん
(為心町)

さらに、正福寺境内でも。
この鍾馗さんはお寺に非常に近く、正面から写すのは
お寺の屋根に上らない限り不可能です。
#1428として新種登録。


近江八幡市博労町の鍾馗さん
(博労町)

最後は願故寺です。このお寺の周りにはたくさん鍾馗さんがいることを知っていて
何度か境内にも入ったことがあるのですが、撮影の難しい鍾馗さんが多い。
新兵器P510もあることですし、性懲りもなく3度目(4度目?)の訪問です。

上は再録(#655
いつも逆光で苦労する鍾馗さんです。
鍾馗さんと書きましたが、両手のポーズは巻き物でも広げているようで、
実は鍾馗さんでないのかもしれません。
なお、少し写っていますが、別の鍾馗さんがすぐ下にあがっています。


今回はずうずうしく、お寺の裏の墓地まで入り込んで探索してみたところ、

近江八幡市博労町の鍾馗さん
(慈恩寺町)

この鍾馗さんは再録(#0530)。座っています。
これまで遠くからしか撮影できなかったのですが、ずいぶん近づくことができました。

近江八幡市博労町の鍾馗さん
(博労町)

何度も来ていながらなぜか見落としていた鍾馗さん。
分類に迷いましたが、一応、#0520 の亜種としておきます。


近江八幡市慈恩寺町の鍾馗さん
(慈恩寺町)

新発見。裏手の墓地からしか見えないところにありました。
ところで、これは鍾馗さんなんでしょうか?

あまり細かいところは気にせず、#1429として新種登録。


近江八幡市慈恩寺町の鍾馗さん
(慈恩寺町)

再録(#0532)。
この鍾馗さんも適切な撮影ポイントが見つからずに苦労していましたが、
裏手からはまずまずの位置で写せます。
こうして細部を写しとってみると、異国風の不思議鍾馗さんでした。

願故寺周辺では、これまで既になくなってしまったのも含めると十二体のお寺鍾馗を
記録しました。これはすごい数で、きちんと調べたわけではありませんが
ひとつの寺院のお寺鍾馗の数として、伊勢中川・常念寺の十四体に続いて
日本で二番目じゃないかと思います。


近江八幡市街地 鍾馗マップ

今回の歩いたルートは赤線
これまでの探訪(青線)と合わせ、ほぼ碁盤目の街路を網羅しましたが、
きっとまだ見落としがあるんだと思います・・


それにしても新発見の多い、充実した探索でした。

歩いた距離は25km強。
以前なら余裕の距離なのですが、まだ体力回復途上のせいか、
20kmを超えたあたりから脚がつりそうになり、最後はよれよれ。

じっくりあせらず脚力を回復せねば。


2012/11/10 野洲~近江八幡 朝鮮人街道 22012年11月12日 23時21分26秒

朝鮮人街道という名前は、江戸時代初め、李氏朝鮮の使節、「朝鮮通信使」が
徳川将軍を表敬訪問する際に通行するために整備されたことにちなみます。
今で言う「全権大使」のような人の一行で、500人にものぼる大部隊だったそうです。

もともとは織田信長が古くからの生活道路をつなぐ形で整備したといわれ、
徳川家康が関ヶ原で勝った後、上洛する際に利用した道筋としての吉例があり、
大名の参勤l交替の際には使用することを認められていなかったそうです。
江戸時代を通じて朝鮮通信使がこの街道を使用したのは計十回ですから、
平均して二十数年に一回しか通らなかったことになります。

以上のような来歴があるため、歩いてみても結構あちらへ曲がりこちらへ曲がりと
一直線ではありません。また古い街道集落の風情はありますが、肝心のお客さんが始終行き交う訳ではないので、宿場町として発展することはなかったようです。

詳しく知りたい方はこちら

朝鮮人街道は野洲市行畑で中山道と分かれます。
今回はここから探訪スタートですが、分岐前の中山道でさっそく1体発見。

野洲市野洲の鍾馗さん
(野洲市野洲)

守山で見つけた、こちら(#0534)の兄弟とみました。
京都系の血を引く近江系。


野洲市野洲の鍾馗さん
(野洲市野洲)

街道から少し外れた顕了寺に向ってあがった鍾馗さん。再録(#0537

野洲駅周辺は市街化が進み、鍾馗さんは見当たりません。
少し迂回してJRを渡り、富波乙に入ると再び古い街道集落の風情が現れます。

野洲市富波乙の鍾馗さん
(野洲市富波乙)

こちらも再録(#1282)。前回は正面のお寺(遍照寺)の門が閉まっていて
正面から撮影できませんでした。

野洲市富波甲
(野洲市富波乙)

こちらも再録(#538)。この鍾馗さんのいる光徳寺ではこの日寄り合いが開かれていて
人でいっぱい。写真を撮る不審なよそ者は当然誰何されましたが、笑顔で対応。


野洲市富波甲の鍾馗さん
(野洲市富波乙)

この鍾馗さんも光徳寺周辺。再録です(#1283)。
手のポーズがごちゃごちゃしていてどうもよくわかりません。


以下三体は街道からちょっと外れた野洲市上屋の見星寺を取り囲むように
あがっていました。ここは初訪問。

野洲市上屋の鍾馗さん

野洲市上屋の鍾馗さん

この二体は明らかに兄弟で八幡系の香りを感じます。
大きな目とおちょぼ口のバランスが微笑ましい。
#1424として新種登録

野洲市上屋の鍾馗さん

ずいぶん小さい鍾馗さんでした。うつむき加減でしかめっ面。
#1425として新種登録

この後、朝鮮人街道は田園地帯に入り、日野川を渡って近江八幡市に入ります。

近江八幡市街地で見つけた鍾馗さんについては、次回に紹介します。

2012/11/10 野洲~近江八幡 朝鮮人街道 12012年11月11日 20時52分34秒

県外へ探索に出かけるのは9月15日の松阪以来。

本当に久しぶりのお出かけでうずうずしていました。
足慣らしも兼ねて、滋賀県は野洲から近江八幡にかけてを歩いてきました。

このブログの読者ならご存知と思いますが、このあたりは鍾馗さんが多く見られるところで、もちろん私も何回となく出かけています。

並行して走る旧街道、中山道と朝鮮人街道もほとんど歩いているのですが、私の場合民家のないところはパスして別の方向へ向ってしまいますので、歩いた軌跡はどちらもつまみ食いのように断続しています。

今回、ほとんど再訪で足慣らしでもあることから、ゆっくり街道歩きもいいかと、
朝鮮人街道の基点の野洲市行畑から、近江八幡までを歩いてきました。

行き帰りは桑名と近江八幡を結ぶ国道421号線を利用しました。
かつては『酷道』として有名で、なかでも石榑峠(いしぐれとうげ)越えは
一度だけ通ったことがありますが、狭い急勾配のヘアピンが連続し、
もう一度行きたいとは思いませんでした。


昨年峠をパスする石榑トンネルが開通して前後の道路もかなり広くなり、
すっかり通りやすい道になっていました。

石榑トンネル滋賀県側出口付近の紅葉
石榑トンネル滋賀県側出口付近 かなり色づいています。

知立から近江八幡まで、約110km 所要時間2時間40分でした。
名神、新名神に比べ最短距離となるため、意外に近く
行楽のクルマで高速が混雑する時期には十分使えるコースです。

ただし、滋賀県側の永源寺ダム付近は狭いところを結構ダンプとすれ違いました。
この点は要注意かと思います。


余談が長くなりましたが、この日の成果は新収録21体、再確認48体。
改めてこの地域の鍾馗さんの充実ぶりと、私の見落としの多さを確認しました(^^;

長くなりますので、主な出会った鍾馗さんの顔写真を紹介して、
次回以降につづきます、

今回であった鍾馗さん(野洲、近江八幡)


彦根の鍾馗さんマップ!2012年06月25日 22時09分06秒

6月17日、彦根に行ってきました。
今回は「まち遺産ネットひこね」の皆さんからのお招きです(^^;

『まち遺産ネットひこね』は、町に残る歴史遺産を再発見して
市民や観光客に彦根の知られざる魅力を伝えていこうと活動しておられる団体で、
今年のテーマのひとつが『鍾馗』。

彦根とその周辺地域の鍾馗さんマップを作成するとともに、
秋にはそれを使ったまち歩きイベントを計画中で、
私のほうに情報提供依頼がありました。

もちろん諸手をあげて協力です。

これまでに私が彦根市内で発見した鍾馗さんは50体弱。
大部分は郊外の農村集落で、中心市街地はお寺鍾馗を数体知るのみです。

郊外は一般の町歩きにはちょっとハードルが高いし、どうかなあとも
最初思いましたが、NPOの方は既に30体近くを市街地で発見しておられ、
一度ご案内しますとのお誘いをいただきました。

降り続いていた雨も幸い上がり、
市役所に集合して、メンバーの皆さんと一緒に鍾馗探訪してきました。

彦根城天守
彦根城を案内いただきました。
彦根は何度も来ているのですが、お城に入るのは初めて(^^;


彦根といえば言わずと知れた国宝・彦根城に日本一のゆるキャラ・ひこにゃん。
さらに町並みを再現した夢京橋キャッスルロードと一級の観光資源を
保有していて、滋賀県の町では訪れる人も多いイメージがあります。
この日も日曜日ということもあって、かなりの人手で賑わっていました。

でも案内いただいた方たちのお話では、賑わうのはそういった一画だけで
少し外れると観光客も地元の人もぐっと少なくなって、
なかなか賑わいを取り戻す手立てが見つからないのが悩みとか。

鍾馗さんは思いがけない街角に潜んでいるので、
マップ片手にいろんな人が、いろんな所を歩いてくれるといいですね。

どんなマップができるか、乞うご期待です。


この日は30体弱の鍾馗さんを案内していただきました。
以下、めぼしい鍾馗さんです。

彦根市本町の鍾馗さん
本町

彦根市本町の鍾馗さん
本町

彦根市中央町の鍾馗さん
中央町

腹のあたりに獣の顔があるのが不思議です。
服部さんこまさんによると、中国の絵画で鍾馗に虎が付き物になっていることは
結構多いとのことですが、またがったり、横に従えるのが通例だそうです。
この鍾馗さんの場合、中途半端なところについていて
なんとも割り切れない、釈然としない造形です。


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「みちくさ学会」第26回記事が掲載されました。
よろしければお寄りください。今回のタイトルは「鍾馗さんの受難」

2012/5/27 八幡系ツアー第二回2012年05月30日 21時33分08秒

第一回から早いもので一年以上たってしまいましたが、
日曜日に八幡系ツアー第二回を決行しました。

もちろんメンバーは師匠服部さんと盟友おとんさんです。

前回と同じ野洲駅を起点に、竜王町→東近江市蒲生町→日野町→甲賀市土山町→甲賀町と巡って、本当はさらに野洲、守山と向う予定でしたがここまでで時間切れとなりました。

いずれ詳しくはおとんさんが記事化していただけると思いますので、
私のほうはつまみ食いのトピックスで手を抜かせていただきます(^^

竜王町山之上の鍾馗さん
(竜王町山之上)

以前の写真はこんな感じ。
今回は幸運にも向いのお宅の裏庭に入れていただけたので、
正面から撮影できました。
竜王町山之上の鍾馗さん(旧)



甲賀市土山町南土山の鍾馗さん
(甲賀市土山町南土山)

面長な顔に鋭い眼光で精悍な表情。まれに見るかっこいい鍾馗さんです。
伊賀市のこちらに雰囲気がとってもよく似ていて、おそらく同じ作者の手になると思います。

伊賀市西湯舟の鍾馗さん
(伊賀市西湯舟)
この写真では隠れていますが、知恵の輪みたいな腰紐の結び目もそっくり。


甲賀市甲南町池田の鍾馗さん
(甲賀市甲南町池田)

以前に見つけた下の鍾馗さんと同じ家、すぐ後ろにあがっていたのに
見落としていました。われながらお粗末です。

甲賀市甲南町池田の鍾馗さん

表情がちょっと違いますが、この二体も同じ人が作ったものでしょう。


今回もまた繰り越しがでてしまいました。第三回はこの秋に開催しましょうね。


2011/7/29 京都・大津2011年08月08日 23時24分26秒

今回の京都探訪は再訪が中心。
写真の出来が悪い鍾馗さんの再撮影をしがてら、
行きがけの駄賃で目新しいものが見つかればいいな、
といった乗りの探訪です。

祇園、島原、西陣など、中心部をメインにまわりました。

宮川筋のお茶屋さん

写真は宮川筋のお茶屋さんにあがる鍾馗さん(#176)です。
やはり一般民家とは一味も二味も粋さが違います。


下京区梅小路東中町の鍾馗さん
(下京区梅小路東中町)

新発見はこの一体だけでした。
どこかで見た気がするなと思いながら、帰宅後に
服部さんの「洛中・洛外の鍾馗」を見返してみると
よく似た鍾馗さんが下京区 壬生川通七条上ル で記載されていました。

万寿寺通の鍾馗さん

市内で時々見かける、この鍾馗さんの亜種(#174)として登録しました。

ちなみにこの鍾馗さん、右手の指が6本あるように思えます。
拡大して見てくださいね。

その他は写真の差し替えが中心。
残念ながら消失を確認した鍾馗さんもいくつかありました。

詳しくは鍾馗博物館 「更新情報」からご覧ください。


この日は京都の探索終了後、大津市へ。
最近、鍾馗探索の魅力にめざめた
大津市在住の「つづら」さんとお会いして
中心街をほんの少しですが一緒に歩きました。

再開発計画もあり、町屋が失われていく状況に危機感を持ち、
行動を起こしておられます。
鍾馗さんの保護にとっても心強い援軍です。
これからもよろしくお願いします。


2011/7/8 甲賀・伊賀2011年07月13日 22時28分49秒

今年の梅雨も早々に明け、ぎらぎらと陽射しが照りつける季節になりました。
歩くのが基本の鍾馗探索には一番不向きな季節です。
特に水分補給が不確実な農村部に行くのには、かなりの覚悟が必要です。
今どきの日本、コンビニはともかく清涼飲料の自販機くらいは
どこにでもありそうなものですが、歩いて移動する人間にとっては、
なかなかたどり着けないことがあって、2008年には三重県で死ぬかと思ったことも。

さて、猛暑に探索は気が進まない状況下、
相方に付き合ってドライブに出かけることになりました。
それならば、と少々の探索をかけてみる事にしました。

目的地は滋賀県甲賀市信楽町と三重県伊賀市の旧阿山町域。
いずれも丘陵地に集落がところどころに点在していて、陽気の良い時期であれば
歩いて巡ることも可能ですが、この時期にはちょっとありえないので
車でちょっと走っては止まり、お寺の周りをきょろきょろすることを
繰り返しました。

滋賀県内で10か所探索しても目立った収穫はなく、三重県に入りましたが
こちらも最初に訪ねた集落ははずれ。
それほど気合を入れて来たわけでもなく、
そろそろ暑さもあって気力が薄れてきたところで当たりがきました。

伊賀市西湯舟の鍾馗さん

伊賀市西湯舟平泉寺は、お寺の前に民家が数件点在するだけの小さな集落です。
地図で見るたたずまいからは大して期待できるとも思えず、
パスしようかと思ったくらいでした。
ところがこの小さな集落に、上のものに始まり五体の鍾馗さんを発見。
それも初見のものばかりです。

伊賀市西湯舟の鍾馗さん


伊賀市西湯舟の鍾馗さん


伊賀市西湯舟の鍾馗さん


伊賀市西湯舟の鍾馗さん


さすがに最近は探索し尽くしてきた感もあり、なかなかこれだけの大収穫を
ひとところで得ることはなかっただけに、
いやぁ、年甲斐もなくすっかり興奮しました。

以降は憑き物が落ちたように好調となり、
以下の鍾馗さんを発見しました。


伊賀市中友田の鍾馗さん
(伊賀市中友田)

伊賀市小杉の鍾馗さん
(伊賀市小杉 下も)
伊賀市小杉の鍾馗さん


数はそんなに多くないのですが、量産品が少なく、
手びねりの逸品揃いの伊賀地方の面目躍如といったところでした。



2011/5/18 米原市2011年05月23日 00時00分30秒

滋賀県の最東端に位置する、米原市・旧山東町、伊吹町エリアに行ってきました。

滋賀県最高峰(といっても1377m)の伊吹山の南麓一帯で、
終日伊吹山を横目で見ながらの探訪となります。

伊吹山(米原市小田から)
米原市小田付近から見る伊吹山

ちなみに「小田」と書いて「やないだ」と読みます!
究極の難読かも。


米原市市場 付近
米原市市場付近

先週の吉野に引き続き、この日も好天。
苗の並ぶ水田を前景に、新緑が目に沁みます。

米原市伊吹地区の俯瞰
米原市伊吹

いかにも鍾馗さんがひそんでいそうな、
雰囲気のある集落がそこここに。

でも鍾馗さんは1体も見つからず。
37kmほどのロングウォークでしたが、徒労に終わりました。

鍾馗さんがないのでみちくさしていました。
ちょっと珍しいものをいくつか紹介します。

その1 大清水という集落で見かけた蔵の鏝絵
不思議な三種の神器

小槌と宝珠まではわかりますが右上の道具は何でしょう。
ネットで調べてみると、「鑰(やく)」という蔵の鍵で、
宝物の象徴としての意味もあるとか。宝尽くしの絵柄ということですね。


その2 上野集落のパイプライン
伊吹山麓のパイプライン

画面全体に高架鉄道のようなものが横切っているのがお分かりでしょうか。

右は右端に見える工場まで続いており、
左は山を巻くようにつながっていて終点は見えません。

どうも伊吹山で採掘した鉱石(石灰岩?)を工場まで運ぶ
コンベアのようなものと思われますが、
調べていないので確かなことはわかりません。

その3 いぶきさんがいっぱい
伊吹地区住宅図

伊吹地区(集落の写真は上のほうで掲載)の住宅地図です。
眺めていると「いぶき」さんという苗字が多いのですが、
「伊吹」という漢字は使われておらず、いろんな「いぶき」さんがいます。
さて、問題です。いったい何種類の「いぶき」さんがいるでしょうか。
お暇な方はクリックして拡大画像を眺めてください。

こたえ
6種(伊富貴 伊夫貴 伊夫伎 膽吹 井吹 伊夫気) 

2011/4/29 八幡系ツアー第一回2011年05月11日 23時44分22秒

GW初日、服部さん、おとんさんと一緒に近江八幡周辺を巡ってきました。
主目的は「八幡系」鍾馗さん。

既におとんさんが「鍾馗を探そう」で成果を公開しておられますので、
ここでは、おまけの情報を少し。

◆待ち合わせ場所の野洲駅に少し早くついてしまったので、
 駅から近い富波乙、富波甲の集落を少しぶらつくことにしました。
 朝鮮人街道が通る集落で、近江の街道集落の雰囲気をよく残したところです。

 2006年に一度歩いたことがあるので、既知の鍾馗さんを再確認しようと、
 軽い乗りで訪れたところ、新種を2体も発見してしまいました。
 
野洲市富波乙の鍾馗さん

野洲市富波乙の鍾馗さん
(野洲市富波乙 遍照寺前)

ひどい逆光。お寺の境内からは正面の全身像が写せそうでしたが、
門が閉まっていました。

野洲市富波甲の鍾馗さん
(野洲市富波乙 光徳寺前)
先回、このお寺にも行っているけど、この鍾馗さんのある角は
スルーしてしまっていた。


新発見がある一方で、見つけられなかった既知鍾馗さんも。

野洲市富波乙の鍾馗さん
(野洲市富波乙 光徳寺前 2006年撮影)

そんなに様子が変わってはないので、いるはずなんだけど・・・

同じところに行っても毎回新たな発見があるというのは、
再訪し甲斐がある一方で、如何に自分の眼があてにならないか、
の証明でもあるな。


近江八幡では、この鍾馗さんが見つからず。

近江八幡市船木町の鍾馗さん
(近江八幡市船木町 厳浄寺前 2006年撮影)

おりしも門前では古い家を解体中でした。
どうも、この家と運命を共にしてしまったようです。
ひと足遅かった・・・・

大津市和邇北浜の鍾馗さん

同じと思われる鍾馗さんを、琵琶湖対岸の大津市和邇北浜で
1体見つけていますが、残念ながら正面からの撮影ができない位置にあります。