八幡系 (17) 湖西唯一の発見例2010年10月05日 23時09分31秒

八幡系鍾馗さんはほとんどが近江八幡市、東近江市を中心とした
湖東地方に集中しています。
八幡系分布図
(八幡系鍾馗さんの分布)

これまで唯一、琵琶湖西岸で見つけたのがこの鍾馗さん。
大津市和邇北浜の鍾馗さん
(大津市和邇北浜-旧志賀町)

残念ながら正面からの撮影は不可能でしたが、
同じ鍾馗さんを別の場所で、1体見つけています。
近江八幡市船木町の鍾馗さん
(近江八幡市船木町)

細長い顔にぎょろ目、垂れたような頬、逆立つ鬢と、
表情に八幡系の特徴を色濃く示しています。
左手で右袖をつかんでいたりと、手にも表情があります。

あぐらをかいて悠然と座っています。
八幡系では座った鍾馗さんがよくあるのですが、
一般には座った鍾馗さんはかなり珍しいもので、これも八幡系の特徴と言えます。

地図で見ると、西岸とは言えこのあたりの琵琶湖はごく狭く、
小舟でも、渡るのにはさして時間はかからないでしょう。
もっと西岸で八幡系が見つかってもいいように思うのですが、
かつての瓦屋の商圏は小規模だったんでしょうね。

八幡系 (16) 量産化への流れ2010年10月04日 23時36分01秒


東近江市鈴の鍾馗さん
(東近江市鈴)

ご覧のとおり、八幡系のお約束を守った鍾馗さんです。
ただ、本流八幡系と比べると、なんとなくライトな仕上がり。
衣服の文様も簡素化されているし、鬼瓦の地も無地ですが、
本流だったらこのスペースはきっと何かで埋め尽くしそうな気がします。

同日に近所でまったく同じ鍾馗さんを発見しました。

東近江市宮川の鍾馗さん
(東近江市宮川)

ということは、この鍾馗さんは型で作られて、
量産を意識した製品ということになり、
そういう目で見てみれば、極端な突起物がなく、
型抜きのしやすさを考えた形状になっています。

東近江市鈴の鍾馗さん

はじめの鍾馗さんを左側から見たところですが、
片側の鬢は枠から飛び出してしまうので省略されています。

八幡系も一般民家の需要が増えるにつれ、こういった普及版が
作られるようになっていったのではないかと推測されます。

本流のような豪華鍾馗さんはお値段もそれなりに張ったと思われますし、
庶民の家にはちょっと似合わないですからね。

実際に分布地で見られる八幡系の多くは、そうした量産タイプですが、
それぞれ八幡系の特徴をとどめています。

八幡系 (15) 縮み志向の鍾馗さん2010年10月01日 23時47分36秒


近江八幡市十王町の鍾馗さん
(近江八幡市十王町)

一見して八幡系の特色を備えていますが、棟瓦一体ではなく
足は広げていません。
それどころかこの鍾馗さん、何か小さく小さくまとめようとする意図が感じられます。
左手と右手は前で交差させています。
足はどこにあるのかよくわかりませんし、左肩が妙に膨らんでいます。
どれだけ見てもポーズがよくわからないのです。

サイズは違いますが、根付を見ているようで、
作者が技巧を誇っている感じですね。


八幡系 (14) 細部に影響を残す遠縁2010年09月30日 23時45分43秒


近江八幡市長光寺町の鍾馗さん
(近江八幡市長光寺町)

技巧に走ってともすれば人間離れした雰囲気を漂わせる八幡系鍾馗さんですが、
これはどちらかというと写実的な造形に向かった一体です。

八幡系の特徴が細部に見られますが、筋肉の浮き出た腕や
リアルな指の造形は近代彫刻のようです。

寺本仁兵衛の一門に属する鬼師が製作したものだと思いますが、
確かな腕前が判ります。

それにしても鬼はちょっととってつけたような感じ。
胸から下はどこへ行っちゃったのでしょうか?



八幡系 (13) 偉丈夫2010年09月24日 22時33分39秒

野洲市三上の鍾馗さん
(野洲市三上)

管理人の知る八幡系では最もマッチョ系の風貌です。
八幡系のお約束をほぼ踏襲していますし、
鬼瓦の両袖部をうまく鍾馗さんの翻る袖に合わせる工夫といい、
これは八幡系に違いありません。

若干丸顔であることと、細かい装飾が少ないことで
典型的八幡系とはかなり異なった雰囲気となっています。

元々は大棟をまたいでお寺を睨んでいたと思われますが、
現在は建て替わった家の軒でお寺に背を向けています。

銘は確認できません。

八幡系 (12) 正統を引く、少し崩れた二枚目2010年09月22日 23時31分26秒

滋賀東近江市蛇溝町の鍾馗さん

(東近江市蛇溝町)

この鍾馗さんも、特徴を備えた典型的な八幡系です。

ごらんの通り、なかなかのイケメン。
衣装に彫られた文様も非常に繊細でトップクラスの細工。

元々は大棟の端で、巴瓦をまたいでお寺に対峙していたと思われますが、
新居では軒下をあてがわれて、若干居心地が悪そうです。

反対側から見るとこんな顔になります。
滋賀東近江市蛇溝町の鍾馗さん

左右の目の大きさがずいぶん違ってアンバランスなのが
気になって仕方がありません。

今回のシリーズの最初の方で紹介した、
超絶技巧の鍾馗さんたちに比べるとサイズも小さめで、
技術的にも少し差があるように思えます。

寺本仁兵衛作の立派な鍾馗さんは手が届かなくても
これくらいなら一般民家でも手が届き、サイズも手ごろ。

この鍾馗さんは唯一無二で、他では見つかっていませんが、
八幡系鍾馗にも、低コストで徐々に量産可能な「型もの」が
現れて以降は手びねりで普及していったと思われます。

八幡系 (11) 見得のポーズ2010年09月21日 23時00分02秒


安土町西老蘇の鍾馗さん
(近江八幡市(旧安土町)西老蘇)

棟端瓦(鬼瓦)ではなく、単独であげるために焼かれており、
衣服の幾何学文様は入っていませんが、
全体から受ける第一印象は紛れもなく八幡系です。

複雑で凝ったポーズに、細部の技巧を織り込みながら
全体として流れるように破綻なく仕上げています。
繰り返しの表現ですが、見得を切る歌舞伎役者みたい。

また、風が後ろから吹いていることを、髪や衣服のなびき方で表現しています。


安土町西老蘇の鍾馗さん

別の角度から。

野洲市木部の鍾馗さん

先日掲載のこちら(野洲市木部)と表情がよく似ています。
見得のポーズ系であることも共通。

八幡系 (10) 八幡系の極北2010年09月20日 23時12分32秒

八幡系鍾馗といえば、高い技術を惜しげもなく駆使した
技巧派なのですが、中にはこんな八幡系も存在します。
八幡系が到達した一方の極地とでもいえましょう。

彦根市清崎町の鍾馗さん
(彦根市清崎町)

条件1)、2)に該当するので一応、私的分類では八幡系に入るのですが、
相当な異形。

最初見たときは鍾馗なのかどうかも定かでなく、
しばらくは前にたたずんで眺めていました。

彦根市清崎町の鍾馗さん(顔)
顔。人間離れしてます。
髭は八本足みたいで、本気で最初はタコだと思った。

彦根市清崎町の鍾馗さん(手)
素朴極まりない剣を持つ右手の造作。上にちんまりとあるのは肘?

先週紹介したこちらの鍾馗さんとは、比べるのが申し訳ないほどです。


それでも、形式といい、大仰なポーズといい、
作者が八幡系の基準作品を何か見て、その再現を試みたと想像します。

写真が普及する前の時代、せいぜいスケッチか、記憶だけを頼りに
工房で作った鍾馗さんは、オリジナルとは似ても似つかぬものになりましたが、
こうしてユニークな作品として結実し、100年後の物好きを喜ばせています。

八幡系 (9) 野生的な外戚2010年09月18日 22時19分03秒

近江八幡市船木町の鍾馗さん
近江八幡市船木町【0546】 詳しい紹介はこちら

安土町小中の鍾馗さん
近江八幡市(安土町)小中【1216

どちらも八幡系の特徴をよく備えています。
まとめて紹介したのはその雰囲気が非常に似通っているためです。

ただし正統派八幡系鍾馗さん(たとえば)に比べると、表情はワイルドで荒武者風。
いっぽう衣服のディテールはそっくりで、かつ非常に緻密。

さらに二つとも左右の脚部は分割され、胴とは別に焼かれています。
これは元祖八幡系と共通の手法で、八幡系でも他にはほとんど見られない特徴。
(ただし船木町のほうは正確には胴と両足の二分割ですが)

さらに、
安土町小中の鍾馗さん【部分】

小中の鍾馗さんの右手の上あたりには、小さく「舟木」の銘。
船木町の鍾馗さんとの関係を強く想像させられます。

ところが、
近江八幡市船木町の鍾馗さん【部分】

船木町の鍾馗さんの右足には「瓦外」の銘。
ここに「舟木」と入っていれば話はわかりやすいのですが・・・(^^;


情報は少ないながらも、こうして色々推理(想像?)できるのも
八幡系鍾馗さんの楽しいところです。

八幡系 (8) 八幡系元祖の作品?2010年09月17日 22時10分01秒


東近江市五個荘塚本町の鍾馗さん
東近江市五個荘塚本町

ちょっとこの鍾馗さんにはそぐわない、小さな公民館風建築に乗っています。

鋭い目つきがかっこいい鍾馗さんですが、
典型的八幡系というわけではありません。

先に示した八幡系の五つの特徴
1)棟端鬼瓦と一体で成形・焼成
2)棟巴瓦をまたぐように両足を広げて踏ん張っている。
3)細長い顔に、彫りが深くバタ臭い目鼻立ち。
4)七宝などの装飾文様を衣服に散らす。
5)袖や裾には装飾の細いストライプが入る。

該当するのは1)と2)だけです。
しかしこの鍾馗さん、横に回るとこんな銘が彫られています。
東近江市五個荘塚本町の鍾馗さん(銘)

AR.Drone があればもう少しきちんと撮れるかもしれませんが、
(賀)村 仁兵衛 と読めます。
もうお分かりの方もいらっしゃると思いますが、
かわらミュージアム収蔵の八幡系元祖
寺本仁兵衛 作ではないかと思われます。
もちろん代々の名乗りなので、これだけで時代はわかりません。
また、寺本家は八幡の多賀村に居を構えており、
「賀」の字は定かではありませんが、「多賀村」だといいな・・

背後の棟瓦とは色合いも異なり、別の場所から移されたのではないかと思います。

同じ建物の反対側にはもう1体。
東近江市五個荘塚本町の鍾馗さん

こちらは銘は確認できませんが、様式から見ても明らかに同一作者です。

東近江市五個荘塚本町の鍾馗さん(クローズアップ)
バストショット。
驚いたのは眼の表現。
瞳孔まで表現されていて、白目の部分には光沢があるようです。
まさか仏像みたいに玉眼を埋めたりはしないと思うので、
ここだけ釉薬を乗せたのか、はたまた磨いたのか。

いずれにせよ、並々ならぬ表現へのこだわりが感じられ、
「八幡系恐るべし」との感を深くします。