2018/12/1 奈良県橿原市~葛城市(後編) ― 2018年12月06日 22時26分46秒
前回のつづきで、葛城市に入ります。
葛城市笛堂(新発見)
葛城市笛堂(再確認)
この二体に挟まれていた、の鍾馗さんだけがいなくなっていました。
(2006年3月撮影)
こちらのお宅、伝統様式は保っているものの、
かなり大掛かりな改修を行ったようで瓦も葺き替えられています。
古びていたので撤去してしまったのでしょうか・・・
葛城市笛堂(再確認)
葛城市北花内(新発見)
葛城市北花内(新発見)
滋賀県でよく見かけるこちら
の仲間ですが、顔つきの印象がだいぶ違っています。
葛城市辨之庄(新発見)
葛城市辨之庄(新発見)
このあたりの新発見は新しめ、塀の上の鬼門除けが続きます。
葛城市大畑(再確認)
2006年にはまだお顔がありましたが、既に大きな亀裂が入っていました。
(同じ鍾馗さん2006年3月)
葛城市大畑(再確認)
葛城市南今市(再確認)
葛城市南今市(再確認)
葛城市南今市(再確認)
葛城市南今市(再確認)
葛城市南今市(再確認)
葛城市南今市(再確認)
葛城市長尾(再確認)
葛城市長尾(再確認)
葛城市長尾(再確認)
葛城市竹内(再確認)
葛城市竹内(再確認)
葛城市竹内(再確認)
葛城市竹内(再確認)
葛城市竹内(再確認)
葛城市竹内(再確認)
葛城市竹内(再確認)
葛城市竹内(新発見)
淡々と再確認の鍾馗さんが続く中、最後の贈り物がこの鍾馗さんでした。
竹内集落の西光寺脇の比較的新しい蔵に古い鍾馗さんがあがっていました。
葛城市当麻(再確認)
葛城市当麻(再確認)
葛城市当麻(再確認)
葛城市当麻(再確認)
以上、延々と、だらだらとひたすら鍾馗さんを並べてきましたが
お付き合いありがとうございました。
やっぱり奈良歩きは楽しい!!
2018/12/1 橿原市~葛城市(中編) ― 2018年12月05日 22時50分37秒
記事のタイトルに脈絡がないですが、前回のつづき。
今日は大和高田市からです。
大和高田市勝目(再確認)
大和高田市勝目(再確認)
大和高田市勝目(再確認)
大和高田市出(再確認)
大和高田市出(再確認)
大和高田市出(再確認)
大和高田市西坊城(再確認)
大和高田市秋吉(再確認)
大和高田市秋吉(再確認)
大和高田市秋吉(再確認)
大和高田市秋吉(再確認)
大和高田市秋吉(再確認)
大和高田市内は再発見ばっかりでしたね。
それでも西坊城のはにわ鍾馗(?)さんは2006年に見つけて、
2008年に再訪したときに確認できなかっため、今回が12年ぶりの再会。
(遠いうえ、見える角度が限られていて、見つけにくい鍾馗さんでした)
弱々しくも、お変わりなく生き延びてきてくれたことに感謝です。
2006年当時の姿はこちらからどうぞ。
まだ続きます。
三千里到達! ― 2018年12月04日 22時38分48秒
皆さま、本当にお久しぶりです!!
探索をさぼっていたわけではないですが、
Webの更新は、時々おとんさんの掲示板に行く以外は、ハイ、さぼってました。
気を取り直して再開したいと思います。
この一年の間に、鍾馗さん探索の総歩行距離が探索開始以来
三千里に到達しました。
でも、そっちも統計記録を怠っていたので、
いつ三千里に到達したのか定かでない・・・・
ブログタイトルを変えようかなぁ。
一応の節目を迎えたわけですが、鍾馗さん探索を打ち止めにする
つもりはさらさらないので、引き続きだらだらやらせていただこうと思っています。
****
鍾馗さんの多い土地は大体歩いてしまって、探索コース作りに苦労しています。
ほとんど鍾馗さんが見つからないことは行く前からわかっているのに
敢えて行き、『やっぱりなかった』と言って帰ってくる。
ストイックですが、そんなのばかりではテンションは下がります。
今回選んだコースは奈良県。大和八木駅から、橿原神宮前駅、坊城駅、浮孔駅、
大和新庄駅、近鉄新庄駅あたりを経由して当麻寺駅まで。
この辺りは探索したことがあるところばかりですが、前回訪ねたのは12年前
なんてところもあるので、懐かしの鍾馗さんは元気かな?といったところで
あわよくば、新発見の鍾馗さんに会えるといいなとスケベ心も秘めてます。
結果、再確認、新発見取り交ぜて、たくさんの鍾馗さんが見つかったので、
橿原市編、大和高田市編、葛城市編の三回に分けて
鍾馗さんたちを紹介しようかと思います。
なお、型物の鍾馗さんは拡大画像を省略しています。
橿原市八木町(再確認)
橿原市八木町(再確認)
橿原市四条町(新発見)
エアコン室外機の陰で通りからは見えませんでしたが、
たまたま空いていた隣のお寺の境内に入って発見。
布袋さんと並んでいました。
橿原市四条町(再確認)
この鍾馗さん斜めからの撮影ですが、以前はもっと斜めからしか撮れなくて
判別不能扱いになってました。
今回、#131の仲間であることが判明しました。
橿原市四条町(再確認)
橿原市四条町(再確認)
橿原市大久保町(再確認)
橿原市御坊町(再確認)
橿原市御坊町(再確認)
橿原市御坊町(再確認)
橿原市久米町(再確認)
橿原市鳥屋町(再確認)
橿原市鳥屋町(再確認)
鳥屋町の鍾馗さんはすべて高松寺の周辺にいる「お寺鍾馗さん」。
3回目の訪問ですが、一度もお寺の門が開いていたことがないのが残念。
橿原市鳥屋町(再確認)
橿原市鳥屋町(再確認)
橿原市鳥屋町(新発見)
お寺の塀の外から覗いていて発見。
まさみさんからこの鍾馗さんの存在は聞いていたようにも思います。
橿原市西池尻町(新発見)
今回の新発見型物は塀の上の鬼門除けが多かったようです。
こちらは裏鬼門。
橿原市光陽町(再確認)
橿原市光陽町(再確認)
橿原市東坊城町(再確認)
橿原市東坊城町(新発見)
お寺の塀のにのってました。
お寺が道教の魔除けを揚げてどうするねん!!
橿原市古川町(再確認)
橿原市古川町(再確認)
(2005年の状態)
この間に屋根瓦の葺き替えがあり、それに合わせて
鍾馗さんも掃除したうえで固定し直してもらったようです。
こうした地道なメンテナンスを発見すると、とってもうれしい。
橿原市東坊城町(新発見)
さらに同じお宅の長屋門?には別の鍾馗さんを発見!!
(この鍾馗さんも以前にまさみさんが言及していたような・・)
橿原市古川町(再確認)
橿原市東坊城町(再確認)
橿原市東坊城町(再確認)
橿原市新堂町(再確認)
大和高田編につづきます。
記憶をたどって ― 2017年12月13日 23時11分30秒
(国会図書館ホームページより転載)
昨日の中日新聞夕刊に戦後まもなくの名古屋の風景を含むアーカイブが
国会図書館のHPで閲覧できるという記事を読み、さっそくアクセスしてみました。
モージャー氏撮影写真資料 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10756455/1
戦後まもなく来日した米国人の撮影した日本の写真が300枚ほど掲載されていて
名古屋に縁があったらしく、このあたりの風景もたくさんあったので
興味深く眺めていました。
その中で上の写真に目がとまりました。
キャプションには『焼け跡に残る工場 (場所不詳) 』とあるのですが
関連しそうな記憶があったのです。
アーカイブの209枚目になります。
私は昭和36年名古屋市守山区生まれ。(当時はまだ守山市)
子供のころのハレの買い物は、名鉄瀬戸線(せとでん)に乗って大曽根や大津町まで
行ったものです。
当時~昭和40年代の大曽根商店街の賑わいはすごかった。
その頃、瀬戸電が矢田川を渡るあたりから、車窓に"2本"並んだ大きな煙突が目につくようになります。いかにも古くて薄黒くて大きく、子供ごころに不吉な雰囲気を感じたものです。
ある日、車内で一緒だった母がちいさな私に、
こんなことを話してくれたのを鮮明に記憶しています。
『あの煙突、今は2本しかないけれど、前はもう1本、間に立っていたんだよ。
戦争で被害を受けたので、取り壊されちゃった。』
大曽根から矢田の間は三菱系の工場があったところで、現在も大曽根駅の東隣りは三菱電機が操業中ですが、そのまた東側はすっかり再開発されて現在は名古屋ドームやイオンとなり、まったく面影がありません。
ここは当時、三菱重工の名古屋発動機製作所というのがあって、
航空機のエンジンを作っていたために恰好の空襲の標的となったそうです。
上に掲載した写真を見てみると、中央の煙突に大きな穴が開いています。
煙突の用は足さないし危険なので、壊されるのは当然でしょう。
私が昭和40年代に見ていたのは、真ん中の煙突が取り壊された後の状態ということになります。
国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスで
当時の様子がわかる航空写真を見つけました。
http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=1170892&isDetail=true
(1946年5月28日 米軍撮影)
写真中央下部に三本煙突の影がくっきりと写っています。
現在の位置では名古屋ドーム北側の駐車場あたりになります。
位置 https://goo.gl/maps/LKhkXgaDPzy
この辺りの記憶が確かな父を先月亡くしました。
この話をしてくれた母は健在ですが認知症が進み、
こうした話が聞けることはないでしょう。
後悔先に立たず。
2017/11/4 岐阜県養老町 ― 2017年11月15日 22時33分53秒
鍾馗砂漠を行く その1 長浜市南部 ― 2017年09月26日 21時36分31秒
いよいよ過ごしやすくなってきて、本格的な探訪を再開です。
夏の間ごろごろしてすっかり鈍った体を起こすために、開幕戦はしっかり歩きたいところですが・・
鍾馗さんがたくさん見つかりそうなところはだいたい行き尽してしまって、
探訪ポイントは点々と残っているのですが、ポイント間の距離があり過ぎて
間を歩いてつなぐのはちょっとつらい。
クルマや公共交通でつなぐことになりますが、それでは『歩くぞ~』に反します。
そこで思いついたのが鍾馗砂漠シリーズ。
ほとんど鍾馗さんがいないことがわかっていて、
これまで敬遠していた所に行ってみよう!というわけです。
米原から北の湖北地方は鍾馗好きには有名な鍾馗砂漠。
近江八幡、野洲といった湖東地方は八幡系に代表される鍾馗さんのメッカなのですが
彦根辺りからは少なくなってきて米原以北ではすっかり見つからなくなります。
昔、旧伊吹町を歩いた時も、延々歩いて収穫はゼロ。
長浜などは古い町並みがよく残されているのですが、言葉を失うほど見つからない。
何度が沈没した後に昨年、地元の方のお導きでようやく鍾馗さんを記録しました。
長浜を中心とした琵琶湖東岸の湖北地域には旧街道も何本か通り、
とても趣のある集落もたくさん残されています。
これから何回かに分けてこの辺りを散歩のつもりで歩いてみようと思います。
第一回のコース:田村駅からぐるっと回って長浜駅まで
今回の目標:一体でも見つかれば成功。
好天、しかも薄い雲が直射光を遮ってくれる絶好の探訪日和です。
ちょうど彼岸花の季節。そして辻々から金木犀の強い香りが漂ってきます。
どちらも普段はまったく目立ってないのに、このわずかな期間だけ強烈な存在感です。
その他にも、
季節外れのハスの花
野生のミント
名前のわからない花(大豆畑に生えていた)
と美しい田園風景に加え、いろいろな花が目を楽しませてくれました。
と、このブログで風景や花を語るときはたいてい鍾馗日照りなのですが・・
今回は、
鍾馗さん見つけました!!
長浜市名越町
小さな蔵で建て替えられ、瓦も葺き直されているのですが、鍾馗さんを残してくれたみたいで、なかなか古そうな鍾馗さんです。
この鍾馗さんの近くに量産の鍾馗さん二体。
観光地化が進む長浜の黒壁スクエア近くで、京都伏見 浅田瓦さん製の
今出来鍾馗さん一体。
都合四体がこの日の収穫でした。
砂漠にしては上出来。
2017.7.8 松本周辺 2 ― 2017年07月19日 22時48分37秒
午後からは少し北に移動して、明科周辺から追っかけ開始。
まずは押野交差点近くの4人兄弟。
一軒の家で四方を固めています。
こちらの親戚 #1334
四人が四人とも、蜘蛛に気に入られて痒そうです。
次は明科中川手。JR明科駅の裏手でした。
この鍾馗さんには兄弟が結構います。 #1275
同じお宅の鍾馗さん こちらは #1278
元々は鬼瓦の位置に置かれていたのだと思いますが、
ずいぶん変わった形状の鬼瓦です。
県道から見えないことはないようですが、かなり離れており、
さんろくさんの情報がなければ一生巡り会えない鍾馗さんでしょう。
次の鍾馗さんはお隣りの谷筋。車道からは見下ろす位置に鍾馗さんがいます。
手抜きして見下ろしながら撮影したのでわかりにくいですが、
二つ上の鍾馗さんの兄弟です。 #1278
信州の鍾馗さんの場合、背景が緑の場合が結構多くて良い感じ。
最後、さらに隣の谷筋の板場集落で
とっても素朴な昆虫風鍾馗さん。
ここまでで時間切れ。
探し当てることができなかった鍾馗さんがまだいます。
さんろくさんからの宿題となった鍾馗さん
2017.7.8 松本周辺 1 ― 2017年07月17日 23時13分29秒
バンガロール赴任中に急逝されたさんろくさん。
弔問に伺うこともできず、ずっと心に引っかかっていましたが、
先日ようやくご遺族に挨拶することができました。
奥様がお子様達のサポートも受けながら、お店も以前と変わりなく営業を続けておられてほっとしました。
また、さんろくさんが取り組んでいたテーマブログも没後に原稿を整理して
そのまま公開されているようです。
さて、さんろくさんが生前発見した鍾馗さんで、未見のものが何体も残されていて、
今回それらを単独行で探してみました。
1.松本市里山辺周辺
美ケ原温泉郷としての温泉旅館街、古くからの住宅街、松本近郊の新興住宅街が混在した地域。
この付近でさんろくさんは11体の鍾馗さんを見つけていました。
このうち、8体を見つけることができました。
会えなかった3体は
外から見えないかうろうろしていましたが、場所が場所だけに無茶はできず・・
この資料館は現在耐震補強工事中で当分の間休館。
記事中、3体目の地面におりた鍾馗さん。この鍾馗さんは見つけることができませんでした。
以下、里山辺周辺で見つけることのできた鍾馗さんたちです。
4)、5) 松本市里山辺
蔵の両端にいます。
さんろくさんの写真からは一体の杖と剣の先が失われています。
6) 松本市里山辺
前の鍾馗さんのほど近く、
鳥衾に刻まれたとても珍しい鍾馗さん。
7)、8) 松本市里山辺
この二体もすぐ近く、棟の両端に対であがっています。
人間離れした形相がすごい。
続きます。
お待たせしました! ― 2017年06月07日 23時55分17秒
お待たせです!
本宅『鍾馗博物館』の久々の更新です。
インドに行ってからずっと滞っていましたが、
昨年一月分(一年半前!!)の記録をアップしました。
これからペースを上げて出番待ちの鍾馗さんたちを
紹介していきます。
伊賀上野近郊探索 おまけ ― 2017年01月31日 21時13分16秒
1月21日と29日の伊賀上野近郊探索で目にした、鍾馗さん以外の飾り瓦をご紹介します。
この地域の屋根はとても瓦に凝っていて、年代のありそうな如何にも腕の冴えた作品をいくつも目にしました。
定番の恵比寿・大黒に次いで第三の位置を占めているのが鯉、よそでは稀にしか見ない琴高仙人(きんこうせんにん)が、なぜかやたらと多かったのが印象的でした。
琴高仙人
琴高仙人
金拾万円入 ちょっとけちくさいと思いましたが・・
明治三十八年の銘入り。
この時代ならすごい大金でしょう。
猪にまたがる武将
この故事にちなんでいるのでしょうか?
騎馬の武将
平家物語にある先陣争いが由来のようです。
定番の恵比寿さん
同じお宅の恵比寿さん
謎の鳥
始めは雉かと思いました。でもよく見ると鶏のようなとさかがある。
鶏にしては尾羽が立派過ぎます。
孔雀にしてはとさかの形が合わない。
こうして迷ったときにいつもお世話になるサイト
で調べてみると、鳳凰にもとさかがあるようですが、
とまっている樹は鳳凰に付き物の桐ではなさそうです。
うーん、答えがでません。
謎の坊さん
旧大和街道を上野から木津川を渡ったあたりにいて、
洋風建築の屋上から川の方を見ていました。
等身大で瓦製ではなくコンクリートのようです。
このあたりは伊賀盆地の河川が集まって木津方面に流出していく地点で
低地のため昔から水害に悩まされてきたようです。
川の氾濫を見張っているのかもしれませんが、本当のところは不明。
羽織袴を着用しているようにも見えるので、聖職者ではないかもしれません。
ポーズが弱々しくてちょっと頼りない。
波うさぎがたくさん見られました。
九羽連続でどうぞ。
波うさぎ1
波うさぎ2
波うさぎ3
波うさぎ4
波なしうさぎ5
波うさぎ6
波なしうさぎ7
波うさぎ8
波うさぎ9
それぞれの場所をGoogleマップに公開しました。
おひまでしたらご覧ください。
(鍾馗さん以外の場所は結構適当です)