2012/4/30 長野探訪記 2日目 姨捨→丹波島 ほか ― 2012年05月08日 22時52分15秒
長野探訪の一日目は、思惑とは裏腹に花と廃線探訪三昧になってしまいました。
二日目はリベンジではないですが、先達の追っかけで確実に鍾馗さんを採集します。
予定は三部構成で盛りだくさん。
第一部はさんろくさんのご案内で筑北村:旧坂井村の鍾馗さんを案内いただきます。
(筑北村坂井)
(筑北村坂井)
(番外・安宮神社拝殿の天武像:鍾馗さんではないそうです)
詳しい説明はこちら(安曇野ハーブスクエアだより)をごらんください。
朝、二時間足らずの慌しい探訪でしたが、ゴールデンウィークの書き入れ時に
お時間を割いていただき、ありがとうございました。
第二部は旧街道をたどります。
さんろくさんと別れたあと、篠ノ井線で姨捨まで戻り、
田毎の月で知られる棚田の脇を下って善光寺西街道を北へ向かいます。
八幡、稲荷山など街道風情の残る町並みをたどりながら
篠ノ井追分で北国街道に合流します。
長野の手前が丹波島宿。ここにはまとまった数の鍾馗さんが残されています。
姨捨の手前の麻績宿でも鍾馗さんが見つかっているので、その間でもと
期待したのですが、この間では鍾馗さんを見つけることはできませんでした。
訪問の直前、淡交社の I さんから、丹波島宿の少し手前、下氷鉋の集落で
鍾馗さんを見つけたという情報が入ったのでさっそく訪ねてきました。
ご覧の通り、とても凝った作りの立派な鍾馗さんでした。
そして丹波島宿のこちらの鍾馗さんにそっくり。
どう見ても同じ鬼師さんの作品です。
この他に丹波島宿には六体の鍾馗さんが知られています。
こちらの鍾馗さんは街道からは見えません。
上の鍾馗さんと対になっていて、裏側にあります。
さんろくさんは家の方の許可を貰って庭から顔を捉えています。 →こちら
この鍾馗さんは知る限り2回引っ越しています。→こちら参照
こうして並べてみても、変化に富んだ魅力的な鍾馗さんが揃っています。
これを見ると、周辺にもまだまだ鍾馗さんが隠れているに違いないと
思ってしまうのですが、今のところ世の中そうは甘くないといったところです。
第三部は車をちょっと飛ばして中山道茂田井宿。
ここも最近、naoさんとさんろくさんが鍾馗さんを3体発見しているので
追っかけです。
いずれも鬼瓦と一体焼成で、丹波島の鍾馗さんと比べても
小ぶりでかわいらしいですね。
最後の鍾馗さんの揚がっていたお宅にはこんな瓦もありました。
施工の仕方もよく似ているので、同じ時期に葺かれたように思えます。
紀元二千五百六十年といえば1900年(=明治33年)
安曇野でもこの頃作られたと思われる鍾馗さんがいくつかあって、
信州で鍾馗さんブームが起こっていたのかもしれません。
二日間で約70km。久々によく歩きました。
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://kite5656.asablo.jp/blog/2012/05/08/6440552/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。