「玄関鍾馗」2014年02月03日 20時35分33秒

瓦鍾馗の置かれる場所としては、
京都市内に代表される街場に多い「軒」と
郊外に多い「棟」が大部分で全体の九割がたはこのどちらかに置かれています。

探す時にも視線はこの両者の間をさまよいます。

昨年秋、雪だるまさんに奈良を案内していただいた際、
雪だるまさんの見つけた鍾馗に玄関に置かれた鍾馗さんが
意外に多いことがわかりました。

さらに、12月に徳島県を探訪した際には、見つけた八体の鍾馗さんすべてが
玄関に置かれていました。

これまでごく例外だと思っていた「玄関鍾馗」が
地域によっては一般的だということに、ここに至って気がつきました。
こうなると気になってしまうので、手間のかかる仕事ですが、
これまでに見てきた鍾馗さんの写真を見直して、
玄関鍾馗さんをピックアップしたところ、合計74体を確認しました。
内訳は京都府が30体、大阪府 17体、徳島県 8体、奈良県 7体 など。
2500体以上を記録している愛知県ではわずかに1体でした。

そのうちの何体かを写真でご紹介。

和歌山市加太町の玄関鍾馗
和歌山市加太町
シンプルな玄関に堂々と鎮座

阿波市吉野町の玄関鍾馗
阿波市吉野町
この地域に典型的な四方蓋造りの民家

京都市上京区の玄関鍾馗
京都市上京区
生活感あふれる軒先に。話し相手には事欠かない。

京都市北区の玄関鍾馗
京都市北区
今風の家では屋根に鍾馗さんの置場がない?

京都市上京区の玄関鍾馗
京都市上京区
このお宅も置場に困った口か?

京都市北区の玄関鍾馗
京都市北区
粽の風化具合に歴史を感じます。
電球が灯ったらまぶしくて暑そう。

京都市中京区の玄関鍾馗
京都市中京区
京風の小ぶりな鍾馗さんは玄関にさりげなく納まります。

生駒市北田原町の玄関鍾馗
生駒市北田原町
一方、大ぶりの鍾馗さんは玄関に置かれると存在感があります。

泉大津市東港町の玄関鍾馗
泉大津市東港町
このサイズだと玄関ではちょっと窮屈で、居心地が悪そう。

五條市今井の玄関鍾馗
五條市今井
窮屈と言えばこの鍾馗さん。あまりに不憫です。


魔除に鍾馗札を玄関先にあげる風習は瓦鍾馗より前に普及していたようです。
師匠・服部さんのホームページからの引用

「魔除け」「疫病除け」の鍾馗札(紙に鍾馗の絵姿を摺ったもの)については、享和二年(1802)滝沢馬琴が江戸から京阪、伊勢の方に旅をした時に書いた、「 羈旅漫録」に、「遠州より三州のあひだ人家の戸守りはことごとく鍾馗なり、かたはらに山伏某としるしたるもあり」とあり、又、喜多村信節の「嬉遊笑覧」(1830)にも「・・・今も尾張熱田の民家にみなこの画像を戸に押す」とあって、遠州、三州、尾張のあたりでは「疫病除け」のためにみな鍾馗札を戸に貼っていたことがわかります。

そしてこれは馬琴も書いているように、山伏が鍾馗札を売り歩いていたらしく、昭和四十年、澤田四郎作氏の「戸守りの鍾馗」にも大阪のあびこ観音の参道で山伏姿の男が鍾馗札を売っていると書かれていますので、かなり長い間つづいていたことになります。 (現在でもあびこ観音では鍾馗札を売っております)

この鍾馗札と瓦鍾馗の関係はよくわかりませんが、三州は瓦の一大生産地なので、そこで鍾馗札が次第に瓦鍾馗に変わっていったのか、あるいは京都あたりで瓦鍾馗が流行してまわりに広まっていったのか、これはもうすこし考えてみたいと思います。

ただ、鍾馗札と瓦鍾馗ではあげる理由がすこし違うようにも考えられます。

奈良の古い集落を歩きますと、瓦鍾馗はお寺や神社のまわりか道の突き当たりにあり、それ以外の民家にはありません。これは最初の「文文集要」の鬼瓦対鍾馗のように、お寺の鬼瓦や神社の霊力に対してあげているので、「魔除け」「疫病除け」ではないようです。

寺の大きな鬼瓦に対しては戸口に貼る紙のお札よりも、同じく屋根に瓦の鍾馗像をあげた方がより効果的なのは確かで、このような用途で作られた瓦鍾馗がやがて鍾馗札に変わって一般の民家にもあげられるようになっていったのかもしれません。

***

鍾馗札が瓦鍾馗に置き換わっていったとすれば、
もう少し玄関鍾馗が多くてもいいような気がするのですが、
瓦鍾馗の据え付けは多くは瓦葺き職人さんによって行われるので、
職人さんとしては屋根葺きと同時に屋根に据える方が、
仕事の手間がかからないということかもしれません。

これから、鍾馗さんを後から買ってきてあげることが増えるようなことがあれば、
家人でも作業ができる玄関鍾馗さんが多くなるかもしれませんね。


玄関の上に作られた小ぶりの入母屋屋根の破風部分に
鍾馗さんが置かれるケースもかなりあるようです。
広義の「玄関鍾馗」とも言えますがこちらの分析はまたの機会に。