2012/2/25 奈良 ― 2012年03月06日 00時30分24秒
週末の予報は雨模様で、半ばあきらめていましたが、
直前の予報は「弱い雨」。
えいやっ、とふんぎりをつけて奈良へでかけました。
予報どおり弱い雨。
傘は探訪に邪魔なので差しません。
それでも苦にはならない程度の雨でしたが、
降ったり止んだり一日中降り続きました。
それでも寒さは和らぎ、春の近さを感じられる一日でした。
歩いたコースはこんな感じです。
櫟本→中之庄町→蔵之庄町(以上天理市)→白土町→井戸野町(以上大和郡山市)→帯解→古市町→京終→ならまち(以上奈良市) 約25km
このあたりはこれまでも散々歩いているところで、
奈良の場合、最近は再訪、再々訪のところばかりなのですが、
それでも見落としていた鍾馗さんが続々と見つかります。
これだからやめられません。
今回見つけためぼしい鍾馗さんです。
(天理市楢町)
上半身の雲形?文様、下半身の釣り針??文様とも
このあたりではよく見かける装飾です。
顔つきもどこかで見たことあるような感じなのですが、収蔵室を眺め回しても
類例は見つかりませんでした。
(大和郡山市石川町)
ここは六年ぶりの訪問。先回は鍾馗探索の駆け出しの頃だったので
見落としが多いのではと気になっていました。
案の定、ここではたくさん発見しました。
この鍾馗さんも塀が邪魔になって、少し背伸びしないと見えないところに
潜んでいました。
なんとも素朴でいい感じなのですが、光量不足で撮影は失敗。
晴れた日に再訪しよっと。
(大和郡山市井戸野町)
井戸野町も三回目の訪問。
この鍾馗さんはお寺からは離れたところにあって
これまでは通ったことのないところにありました。
ちょっと首を斜めにかしげています。
長屋門の端から通りの方を睨んでいるのでしょうか。
反対側は布袋さん。変わった組み合わせですが、鬼瓦の形状がだいぶ違うので
もともと対ではなかったのかもしれません。
2012/3/3 京都 ― 2012年03月24日 23時36分55秒
記事アップが遅れに遅れてしまいましたが、
3月3日にまたしても京都へ行ってきました。
今年に入って京都は既に4回目。ハイペースです。
出版がらみで打合せが入ったり、本屋を巡ってみたり、純然たる鍾馗探索は
少なかったのですが、今回はピュアな鍾馗探索。
一日かけて30kmたっぷり歩いてきました。
コースは地下鉄東山駅から北上して出町柳で鴨川を渡り、鞍馬口駅、堀川寺ノ内、
千本中立売と経由して大将軍あたりをうろうろ。
丸太町通を烏丸まで戻って京都市役所駅がゴール。反時計回りに中心部の北半を
ぐるっと一周したような感じです。
こう書くとあっさりしていますが、実際には気になる路地を見つけては入り込んだりしてみちくさしまくっています。
新しく見つけた鍾馗さんは65体、再確認した鍾馗さんが43体とやはり一日で
百体を超える鍾馗さんを目にしましたが、めぼしいものをご紹介します。
(上京区猪熊通)
京都の市中ではとっても珍しく、大棟にあがっています。
一見してこちらの鍾馗さんを思い浮かべた方もいるのでは?
(上京区猪熊通)
比べてみると、デザインは瓜二つ。共通の型から取ったとしか思えませんが、
細部の出来はまったく違います。
右がかなり丁寧に作りこまれていて、鬼師の腕の冴えを感じる仕上がりになっているのに対し、左は明らかに掘りが鈍いです。
服部さんによると、瓦屋さんの間では鍾馗の型の貸し借りが行なわれていたらしく
別々の職人さんが同じ型を使って製作していたとすると、なんとなく納得いきますね。
(上京区猪熊通)
ひとつめの鍾馗さんからすぐ近くで、奈良産とおぼしき鍾馗さんを見つけました。
奈良系と思われる鍾馗さんを京都で見ることはめったにないことなので
これを見つけたときはかなり!!!。
(中京区東洞院通)
この日のハイライトはこちら。
おわかりでしょうか?
服部さんの著作「洛中洛外の鍾馗」の表紙を飾っていた
秀作の鍾馗さんです。
「鍾馗さんを探せ」に寄稿いただいたコラムでも紹介された、
服部さんお気に入りの一体。
本になってすぐ、棲家の解体とともに行方不明になっていましたが、
2008年に服部さんの友人が、もとあった場所にほど近いマンションのベランダで
再発見したという、ドラマチックなエピソードの持ち主です。
しかし、ベランダの桟が邪魔をしてお顔が見えない(;;)
通りからはこれが限界。
かちっとした写真を撮るには、どうしてもお宅に上げていただかざるを
えないようです。
金星・三日月・木星 ― 2012年03月26日 23時27分47秒
2012/3/11 福岡県太宰府市 ― 2012年03月27日 22時14分25秒
とあるサイトで見かけない鍾馗さんを見つけました。
所在地については「太宰府市」としか書かれていなかったので
問い合わせしましたが、お返事のないまま時が過ぎました。
過日福岡へ用事ができたため、せっかくの機会に探しに行くことにしました。
太宰府にまったく土地勘はないのですが、それほど大きな町ではなさそうで
国土地理院の古い航空写真で確認しても、天満宮の門前町以外は、
ところどころに農村とおぼしき小さな集落が点在しているだけです。
発見した方も地元の人ではないようなので、
ここは門前町に的を絞って探索することにしました。
せっかくなので少し観光もしようと、西鉄都府楼前駅から歩きます。
太宰府政庁址、観世音寺をぶらぶらして、南側から門前町に入りました。
20分ほど歩いただけで発見!
お茶を商うお家でした。
奥様のお話、
「恵比寿様だと思っていました。30~40年前に割れてしまったので、
その時に作り直したはずです。」
ご主人
「これは大黒です。この家は何百年も経った家なので、瓦も相当古いんでは?」
建築は素人ですので、確かなことは言えませんが、明治・大正期には見えません。
せいぜい昭和初期以降ぐらいではないでしょうか。
作られた時期はわかりませんでしたが、丁寧に作られた手びねりの鍾馗さんです。
このあたりにも、確かな技術を持った職人さんがいたのでしょう。
周囲の町並みを少し探してみましたが、恵比寿さんを1体見かけたくらいで
飾り瓦は少ないようです。
夜は独りで福岡泊。
中洲の宿の近くでこんなお店を発見しました。
『しょうき』 行かない訳にはいかないですね(^^;
福岡市内に何店も展開するチェーン店のようですが、
安くておいしいうえに、独りで入りづらいような雰囲気でもなく大正解。
めちゃ寒い日だったので、ひとりで「もつ鍋」をつついてきました。
食べてみたいメニューは数々あったのですが、
一人では二~三品が限界なのが残念。