2012/3/23 紀州ツアーその1 ― 2013年03月26日 20時53分07秒
私の住む愛知県から和歌山県は隣の隣の県にあたるのですが結構遠くて、どう行っても三時間くらいはかかります。
しかも奈良や大阪とは異なり鍾馗さんは少なく、一日歩いてたった一体とかシビアな探索となるため、なかなか足が向きません。
県内在住のonigawaraさんと、大阪在住の鍾馗友達のおとんさんがこまめに探索して見つけた鍾馗さんを、おとんさんがまとめて一気にご案内いただけるということで、
喜び勇んで出かけてまいりました。
いちにち、おとんさんの車で駆け巡ってこの日見た鍾馗さんは32体。
ほとんどがローカルの希少鍾馗さんです。
この日見せていただいた全32体を何回かに分けて、見た順に全部紹介いたします。
なお、特記ないものはすべて、onigawaraさんかおとんさんの発見です。
01.橋本市橋本 【#1458】
再開発中の地域の、とても古い家にあがっています。この鍾馗さんはなんとか生き永らえることができそうですが、町並みは壊滅状態。詳しくはこちら
細工が細かく、とても古い鍾馗さんである可能性があります。
銘あり。「紀州 東家 瓦与」
東家(とうげ)はこの鍾馗さんから程近いところにある地名。
地元の「瓦与」という屋号の瓦屋さんで製作されたのでしょう。
02.橋本市橋本 【#0189】
01のすぐ近くにありますが、この鍾馗さんのいる家は再開発中の町並みにぽつんと取り残されています。残念ながら風前の灯です。
2009年以来、4年ぶりの再々訪で健在を確認しました。
このお宅もとても由緒のある家のようですから、しばらくは安泰でしょうか。
04/05.橋本市九度山 【#1459】
大棟両端に対であがっていました。
こうして並べてみると 03.橋本市古佐田 とは表情や両手の造形がそっくりですね。
同一グループに分類したほうがいいかも?
この二体は明らかに兄弟です。
鍾馗さんのかぶる巾または帽子については、最近服部さんがおとんさんの掲示板で
考証を披露しておられますが、この鍾馗さんのような三本角はどの時代にもなかった、この鍾馗さんを作った職人さんのオリジナル。
こちらは探索中に発見した量産品です。
この鍾馗さんは2006年以来、約7年ぶりの再会です。
苔むすお顔は7年前からそのまま、特に苔が増殖してはいないようで
要はほったらかしなんですね。
豪邸の軒、正面ではなくお寺があるわけでもない横を向いて、中途半端な位置におられました。力強い姿なので目立つところに置いてもらえば映えると思うのですが。
橋本市東家にそっくりの兄弟を、吉野町上市には双子の兄弟を見つかっています。
浜千鳥の文様が衣服に彫り込まれていて、独特の個性になっています。
続きはまた。
その2 へ
その3 へ
2013/1/26 太子町・たつの市 ― 2013年02月03日 20時26分13秒
一昨年6月に兵庫県たつの市、太子町を探訪して、
珍しい鍾馗さんをたくさん見つけました。
この時は突撃スケジュールで行き残した集落がたくさんあったのと、後半は本降りの雨で、せっかくの鍾馗さんの写真がボケボケになってしまったのが心残りでした。
遠いこともあってなかなか行けなかったのですが、
先日ようやく再訪し、数は少ないですがよい鍾馗さんに出会えました。
たつの市揖保町揖保中 #1466
侍大将のように、どっかと腰をおろしています。
たつの市揖西町中垣内 #1467
向いの畑から撮影していたら隣の家の奥さんに声をかけられました。
よくある不審尋問(^^;
るる説明して疑いを解いたら、鍾馗さんの家のご主人に紹介してくれました。
以下はご主人に伺った話です。
・家は大正末~昭和初め頃の建築、瓦は昭和40年ころに葺き替えた。
・鍾馗さんは葺き替え以前のものを残したが、いつ頃の物かは不明。
保存されていた柱書きには天保四年(1833)、
鬼瓦には天保五年(1831)と書かれていて、
鍾馗さんもこの頃まで遡る可能性がありますが確証がありません。
たつの市誉田町井上 #544に収録
以下の鍾馗さんは再訪・再撮影です。
太子町竹広 #1301
太子町竹広 #1300
姫路市網干区和久 #1302
太子町蓮常寺 #544
太子町鵤 #1296
2012/8/17 安曇野 ― 2012年09月09日 13時03分30秒
家族旅行で安曇野を訪問した際に、昨年秋の安曇野鍾馗ツアーで時間切れとなって
見残していた、さんろくさん、naoさん発見の鍾馗さんたちを訪問してきました。
場所はあらかじめさんろくさんに伺っていたので迷うこともなく、家族を待たせながら
あわただしく撮影してきただけのことですので、
各鍾馗さんに関する説明はさんろくさんのブログに譲ります。
1.安曇野市豊科 (豊科駅前通り)
同じ屋根にもう1体鍾馗さんがのっていますが・・
横を向いてしまっています。
正面には
隣家が三階建てのビルに建て替わってしまったので、この鍾馗さんは日がな隣の壁をにらみつけています。
どんな顔をされているのでしょう?
2.安曇野市豊科
さんろくさんの紹介記事
立派なお宅の南北の棟端。
3.安曇野市豊科
2のお宅からはすぐ近く。
下の笑顔の像は鍾馗さんではないでしょうね。
4.安曇野市穂高 (柏矢町駅の東、蕎麦屋さん)
これまでの鍾馗さんと違って単独。反対側には何もありませんでした。
2.とともに、こちらの鍾馗さんの仲間だと思っています。
2012/4/30 長野探訪記 2日目 姨捨→丹波島 ほか ― 2012年05月08日 22時52分15秒
長野探訪の一日目は、思惑とは裏腹に花と廃線探訪三昧になってしまいました。
二日目はリベンジではないですが、先達の追っかけで確実に鍾馗さんを採集します。
予定は三部構成で盛りだくさん。
第一部はさんろくさんのご案内で筑北村:旧坂井村の鍾馗さんを案内いただきます。
(筑北村坂井)
(筑北村坂井)
(番外・安宮神社拝殿の天武像:鍾馗さんではないそうです)
詳しい説明はこちら(安曇野ハーブスクエアだより)をごらんください。
朝、二時間足らずの慌しい探訪でしたが、ゴールデンウィークの書き入れ時に
お時間を割いていただき、ありがとうございました。
第二部は旧街道をたどります。
さんろくさんと別れたあと、篠ノ井線で姨捨まで戻り、
田毎の月で知られる棚田の脇を下って善光寺西街道を北へ向かいます。
八幡、稲荷山など街道風情の残る町並みをたどりながら
篠ノ井追分で北国街道に合流します。
長野の手前が丹波島宿。ここにはまとまった数の鍾馗さんが残されています。
姨捨の手前の麻績宿でも鍾馗さんが見つかっているので、その間でもと
期待したのですが、この間では鍾馗さんを見つけることはできませんでした。
訪問の直前、淡交社の I さんから、丹波島宿の少し手前、下氷鉋の集落で
鍾馗さんを見つけたという情報が入ったのでさっそく訪ねてきました。
ご覧の通り、とても凝った作りの立派な鍾馗さんでした。
そして丹波島宿のこちらの鍾馗さんにそっくり。
どう見ても同じ鬼師さんの作品です。
この他に丹波島宿には六体の鍾馗さんが知られています。
こちらの鍾馗さんは街道からは見えません。
上の鍾馗さんと対になっていて、裏側にあります。
さんろくさんは家の方の許可を貰って庭から顔を捉えています。 →こちら
この鍾馗さんは知る限り2回引っ越しています。→こちら参照
こうして並べてみても、変化に富んだ魅力的な鍾馗さんが揃っています。
これを見ると、周辺にもまだまだ鍾馗さんが隠れているに違いないと
思ってしまうのですが、今のところ世の中そうは甘くないといったところです。
第三部は車をちょっと飛ばして中山道茂田井宿。
ここも最近、naoさんとさんろくさんが鍾馗さんを3体発見しているので
追っかけです。
いずれも鬼瓦と一体焼成で、丹波島の鍾馗さんと比べても
小ぶりでかわいらしいですね。
最後の鍾馗さんの揚がっていたお宅にはこんな瓦もありました。
施工の仕方もよく似ているので、同じ時期に葺かれたように思えます。
紀元二千五百六十年といえば1900年(=明治33年)
安曇野でもこの頃作られたと思われる鍾馗さんがいくつかあって、
信州で鍾馗さんブームが起こっていたのかもしれません。
二日間で約70km。久々によく歩きました。
2012/4/29 長野探訪記 1日目 屋代→須坂 ― 2012年05月02日 23時40分08秒
ゴールデンウィークの探訪先候補をいくつか挙げていたものの、
なかなか決められないうちに目前に迫ってきた中、
直前の水曜日に、出版でお世話になった淡交社のⅠさんから
メールが入り、出張中の長野市で鍾馗さん発見のお知らせでした。
長野も候補地のひとつだったため、これで行き先は決定。
一泊二日で長野市周辺の善光寺平をたっぷり歩いてきました。
4月29日(土)の探訪コースはしなの鉄道・屋代駅(千曲市)から
長野電鉄・村山駅(須坂市)までです。
夜中に自宅を出発して長野到着は朝6時。
長野駅近くのホテルの駐車場に車を止めて、電車で屋代駅に向います。
この日のコースは千曲川右岸を長野電鉄屋代線にほぼ沿う形となります。
ところが、その屋代線がこの4月1日限りでなんと廃線!!
途中、何度も遮断機が取り外され、ロープの張られた踏切を渡りました。
(岩野トンネル)
(金井山駅付近)
(信濃川田駅)
まだ一か月もたたないので、いつ電車が来てもおかしくない状態でした。
今回のコースは稲荷山宿で善光寺西街道から分かれて
飯山に向う「谷街道」をたどっています。
途中、城下町の松代の他に川田、福島などの宿場町や古くからの農村集落が点在しており、時々街道みちを外れてそれらの集落に立ち寄りました。
屋代、稲荷山あたりは歩いたことがあり、松代、川田も少し探したことがあります。
ほとんど鍾馗さんは見つかっておらず、
この日の目標も、『どこかで一、二体くらいは』とささやかなものです。
この日は朝から好天。千曲川の堤防に出ると、青空の下、満開の桃の花と
まだ雪をかぶった遠くの山々がまぶしい。
左が高綱山、右が飯縄山(たぶん)
松代の町外れで量産型ながら、1体発見。
新しいお宅の新しい鍾馗さん。
この日の最高気温は29℃、歩いた距離は37km。
汗だくになって歩きましたが結局見つかったのはこの1体だけでした。
とっても風情のある旧家も数多く残っているのですが、鍾馗さん発見には結びつきませんでした。
(松代町清野)
鍾馗に関しては日照りの一日を、あちこちで満開の花々が慰めてくれました。
ここでは果樹の花をいくつかご紹介。
この日一番目立っていたのがモモ。この花は淡い方ですが、もっと濃いピンクの花が満開を迎えていました。
リンゴの花。つぼみは濃いピンクですが咲くと白くなります。
まだ咲き始めたところでした。
これはナシだと思います。真っ白で少し皺のよった清楚な花。
これはスモモじゃないかと思います(あまり自信なし)
他より小さく、花弁も細めで涼しげです。
日も長く、少し余力もあったので長野市街に戻ってから、一時間ほど善光寺の門前町を歩いてみました。戦災がほとんどなく、関東風の巨大鬼瓦を構えた蔵造りの商家がかなりたくさん残されていましたが、鍾馗さんは見つかりませんでした。
これを見つけたときは心で快哉を叫びましたが、
狛犬のようですね。
まだまだ鍾馗はお休み中~富山・金沢訪問記 その2 ― 2012年04月18日 22時36分34秒
4.15(日)の金沢は穏やかに晴れて絶好の散歩日和。
杜の里から浅野川に沿って浅野川大橋まで往復しました。
娘の下宿のあたりの風景。
この景色を想像して、ロケーションを決めました。正解だったと思います。
といっても娘がどう思っているかは知りませんが。
対岸からはこんな眺め。
堤防はこんな感じの遊歩道です。
このアパートもすごくいいと思ったのですが、あいにく空いていませんでした。
下っていくと周囲は戸建ての住宅街に変わっていきます。
桜の下のおばあさんは、つくし摘みに余念がありません。
浅野川大橋に近づきました。ここも満開です。
この裏手が東茶屋街になります。
さほど広くない河原ですが、いろいろな花が咲いています。
水ぬるむ季節、鳥たちもなんとなくのんびりしています。
からすは行水中。
こんな散策コースが身近にある人たちがうらやましいです。
まだまだ鍾馗はお休み中~富山・金沢訪問記 その1 ― 2012年04月16日 20時40分22秒
このブログの売り物である、珍しい鍾馗さんが最近はちっとも出てきません。
今回もまったく関係ない記事ですので、悪しからずご了解ください。
下の娘はただいま金沢でひとり暮らし中で、浅野川べりに住んでいて、
部屋からは川沿いの遊歩道の桜並木がよく見えます。
学期の変わり目の四月初めには何かと用事があって出かけるのですが、
金沢の桜は例年四月も中旬以降が見ごろとなるため、
いずれ満開の時期に来てみたいと思っていて、今年念願を果たしました。
2012/4/14 土曜日はあいにくの小雨模様でしたが、富山付近を周遊。
富山城のすぐ北を流れる松川沿いに立派な桜並木があります。
ほぼ満開。
雨模様のため人手は少なく、屋台もお休みです。
富山駅のあたりで白えびとホタルイカをいただいた後、
鉄分含有量の高いミニトリップ。
富山駅北→(富山ライトレール)→岩瀬浜→(射水市連絡バス)→堀岡→(県営渡船)→越ノ潟→(万葉線)→本丸会館前→(徒歩)→高岡→(JR)→富山
おしゃれなLRT2路線と、無料の渡し船を使って約3時間、乗り物好きには垂涎もののコースではないでしょうか。
富山ライトレール、昔は国鉄富山港線で、確か日本一駅間距離の短いところがあるので有名なローカル線だったと思いますが、今では15分間隔でLRTが走っていて、地元の人の足としても復活しています。この日も老若合わせてまずまずの乗客数。
15分に一本来て、料金は200円ならあてにして使えますよね。
岩瀬浜駅を降りてすぐに、堀岡乗船場行き射水市コミュニティバスに乗り換え。
岩瀬浜周辺の集落を散策する案もあったのですが、駅に着くと一日三本しかないバスが待っていたので、町並み散策を省略してバスの客に。
またいつか、ゆっくり訪ねよう。
フェリー乗船場前がバスの終点。降りると古い町の向こうに巨大な吊り橋がそびえています。
フェリーは無料。向こうに見える橋(新湊大橋)はこの秋開通予定で、その後このフェリーは廃止されるそうです。
わずか5分程度のほんとに短い船旅ですが、乗るなら今のうちです。
このフェリーは富山新港の湾口部を結んでいます。
新港周辺は大工場が立地して港には大きな貨物船が停泊していました。
それらの船を通すためにこんなに高い橋脚が必要となったのでしょうが、
フェリー廃止、橋をどうぞと言われても、徒歩や自転車で渡りたい人は困ってしまいますね。
ちなみに富山新港はかつては放生津潟という潟湖で、景勝地としても親しまれていたということですが、昭和四十年代に湾口を開削し、湖を掘り下げて水深を確保した工業港として生まれ変わったそうです。
このあたりの経緯はこの本に詳しいです。
続・日本列島地図の旅 大沼一雄著
船を降りると目の前が万葉線・越ノ潟駅です。
かっこいいですね。
我々の駅到着と同時に電車も来ました。
ここまで異様に連絡が良い。
本丸会館前で途中下車して立ち寄った高岡古城公園の桜はまだちょっと早かった。
富山と高岡で結構違うものですね。
あっちこっち寄り道してたどり着いた金沢の娘の下宿から見た浅野川の夕景。
期待通り桜は満開。肌寒い日でしたが
待ちきれない人達はシートをひいて夜桜見物中。
期待していた通り、とってもきれいです。
昼間の景色も楽しみですが、長くなりましたのでつづきは明日にでも。
この日、一応鍾馗さんもきょろきょろ見ていましたが、
まったく見つかりませんでした。
唯一見かけた人形の瓦は高岡市内の大黒さん。
このあたりでは、恵比寿・大黒は少ないながらも時々見かけます。
ひょっとしたら鍾馗さんもどこかに隠れているのかもしれません。
2012/3/11 福岡県太宰府市 ― 2012年03月27日 22時14分25秒
とあるサイトで見かけない鍾馗さんを見つけました。
所在地については「太宰府市」としか書かれていなかったので
問い合わせしましたが、お返事のないまま時が過ぎました。
過日福岡へ用事ができたため、せっかくの機会に探しに行くことにしました。
太宰府にまったく土地勘はないのですが、それほど大きな町ではなさそうで
国土地理院の古い航空写真で確認しても、天満宮の門前町以外は、
ところどころに農村とおぼしき小さな集落が点在しているだけです。
発見した方も地元の人ではないようなので、
ここは門前町に的を絞って探索することにしました。
せっかくなので少し観光もしようと、西鉄都府楼前駅から歩きます。
太宰府政庁址、観世音寺をぶらぶらして、南側から門前町に入りました。
20分ほど歩いただけで発見!
お茶を商うお家でした。
奥様のお話、
「恵比寿様だと思っていました。30~40年前に割れてしまったので、
その時に作り直したはずです。」
ご主人
「これは大黒です。この家は何百年も経った家なので、瓦も相当古いんでは?」
建築は素人ですので、確かなことは言えませんが、明治・大正期には見えません。
せいぜい昭和初期以降ぐらいではないでしょうか。
作られた時期はわかりませんでしたが、丁寧に作られた手びねりの鍾馗さんです。
このあたりにも、確かな技術を持った職人さんがいたのでしょう。
周囲の町並みを少し探してみましたが、恵比寿さんを1体見かけたくらいで
飾り瓦は少ないようです。
夜は独りで福岡泊。
中洲の宿の近くでこんなお店を発見しました。
『しょうき』 行かない訳にはいかないですね(^^;
福岡市内に何店も展開するチェーン店のようですが、
安くておいしいうえに、独りで入りづらいような雰囲気でもなく大正解。
めちゃ寒い日だったので、ひとりで「もつ鍋」をつついてきました。
食べてみたいメニューは数々あったのですが、
一人では二~三品が限界なのが残念。
下田で鍾馗さん ― 2012年02月21日 00時10分18秒
家族旅行で伊豆へ出かけたついでに下田の鍾馗さんを見てきました。
今回の旅行のテーマは以下の通りです。
・銭湯のペンキ絵のような富士山を堪能する。
・河津桜を賞でる。
・稲取の雛のつるし飾りを鑑賞する。
あくまで鍾馗さんはついで。家族旅行ですから・・
駿河湾越しに富士山が広がる景色を楽しめそうなという観点から
お宿をセレクト。
沼津市西浦にある民宿「西浦荘」に決めました。
投宿した日は結局、富士山は全貌を現しませんでしたが
翌朝は快晴。
宿の部屋からはさえぎるものもない見事な景色、
180°のパノラマがひろがっていました。
(ちと重いのでクリックはご注意)
宿の選択と天気は最高。テーマその1は大成功です。
かなり前にみちくさ学会で銭湯を担当する、まぁやぁさんから
下田に鍾馗さんがいることを教えていただいていたのですが、
今回ようやく訪ねることができました。
重厚な民家が並ぶ下田の旧市街の中、「風待工房」というカフェの軒にあがっていました。
情報では同じものが二体ということでしたが、なぜか一体になっていました。
愛知県に非常に多い鍾馗さん #159 です。
静岡県ではこれが二体目の記録。
一体目は浜名湖岸の新居町ですので、東西の両端。
他にもきっとあるとは思いますが、静岡県では探してもほとんど見つかりません。
昼食後、河津へ。
河津桜はすっかり有名になり、桜のシーズンには観光客があふれるようです。
例年の見ごろに合わせて日程を設定したのですが、今年は寒いせいか開花が遅れ、まだほとんど咲いていません。
この写真を見れば、「結構いいじゃないか」と思われるかもしれませんが、
なんでも、駅前の三本だけ休眠打破剤とかいう薬剤を使って
無理やり咲かせているとか。
確かにこの日もずいぶん多くの見物客が来ていましたので、
一本も咲いていないでは皆さん納得しないから、地元も苦労されています。
実際のところはまだこんな感じ。
出かけられる方は地元の開花情報を確かめてから行きましょう。
最後は稲取の雛のつるし飾り。
ほとんど予備知識もなく、つまりそれほど期待もしていませんでしたが
これはなかなかのものでした。
雛飾りを取り囲む、膨大な手間ひまをかけて作られた飾りつけに圧倒されました。
2011/12/3・4 丹波・但馬・丹後 ― 2011年12月25日 23時42分00秒
紅葉には少し遅いかと出かけたのですが、それどころか冬の天気。
晴れたかと思うとにわかに雲が拡がり、雨が降り出します。
町歩きには非常に落ち着かない空模様でしたが、
気合いで何とか目的地を
巡ってきました。
訪問地は以下の通りです。
兵庫県篠山市
兵庫県朝来市竹田
兵庫県豊岡市出石
京都府宮津市
京都府伊根町
今回は観光メインで鍾馗探索は二の次です。
とはいえ性分で町を歩いていても気になるのは屋根の上。
全般的な傾向としては雪も多い気候のためか、黒っぽい釉薬瓦が主流で
関西地方とは異なって飾り瓦も鯱が多く、鍾馗さんをはじめとして恵比寿・大黒などもほとんど見られないようです。
以前、舞鶴で収穫があったので、隣接する宮津にはかなり期待を持って訪問したのですが空振りでした。
ただ、今回の訪問はそれほどしっかり見て回ったわけではないので、
きちんと探索すれば見つかるのかもしれませんが・・
非常に不安定な天気に振り回された二日間でしたが、
そのおかげで目にする景色はなかなかのものでした。
いくつか写真を貼っておきます。
(竹田城址)
(成相寺からの天橋立)
(宮津市・由良川河口付近)
今回、見つけた鍾馗さんはわずかに1体(^^;
(篠山市二階町)
帰ってから写真をチェックすると、横に銘らしきものが入っているようです。
現場ではまったく気づかず、迂闊でした。